海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を!第2章 5.音楽と数学の共通点から探る教養体系~金子一朗さん

2015/06/23
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第2章:歴史的観点から。
音楽はどう学ばれてきたのか~専門と教養と 1 古代・中世では、音楽を教養として

古代ギリシア・ローマ、中世まで、音楽は数学とともにリベラルアーツとして学ばれていた(参考:1.「古代・中世では音楽を教養として」。両科目に共通することはなにか、あるいは音楽でこそ学べることはなにか?ピアニスト・数学教師である金子一朗さん(2005年特級グランプリ)に、両者に深く精通している立場からお話をお伺いした。「なぜ音楽が教養となるのか」を考える機会になれば幸いである。

1.音楽と数学はなにが似ているのか?
(1)構造が似ている

数学と音楽の体系はほとんど同じだと思います。まず「分野としての構造」、そして「分野を身につけていく過程」、さらに「歴史的変遷」、この3つに集約できると思います。

小中学校で勉強する幾何学(図形の性質を求める学問)は、古代ギリシア時代に相当深く追究されています。皆が無条件で成立を認める公理(平行な二直線は交わらない、等)に基づいて作られているため、論理的にきちんとした構造になっています。測量などに用いる実用性の高い定理が発達した一方で、古代ギリシア特有の美意識に基づいたもの、図形の美しさからくる諸性質・定理(後の時代に作られた九点円の定理などに類するもの)を追究していく側面もありました。日本も江戸時代を中心に、和算という形で数学は独自の発展をし、美しい図形の問題を作って神社に奉納する算額という習わしがあります。

その後、幾何学は歴史的に進化を遂げ、16世紀頃から座標軸上に図形を配置して計算によって結果を出す解析幾何学、さらに19世紀頃には解析幾何学を内包しつつ発展したベクトルを用いた幾何学が誕生しました。19世紀末には集合論が編み出され、今やこの概念なしに語れる分野はないほど我々の思考に深く根ざしています。
古代ギリシアの数学は、それ自体を内包しながらより高度な処理や論理が使えるように発展していった、つまり前の機能を持ったまま拡張されていきました。これを数学の一つのモデルとしましょう。

音楽には「演奏する」「作曲する」という二つの大きな行為があります。たとえば作曲行為に用いられた音は、ヨーロッパの中世までは自然倍音の第4倍音までで、最初は単旋律、後に平行オルガヌムが4度、5度進行するようになりました。ルネサンスになると第5倍音が使われるようになり、3度の出現によって和音が豊かになりました。バロックになると第7倍音まで、古典・ロマンになると第11倍音まで、さらに近代のスクリャービン、ラヴェルなどになると第13倍音くらいまで増えていきました。その後、調性が崩れていきました。

和音の個数や連結の仕方、旋律のつなぎ方、調性にも各時代特有の方法があります。中世・ルネサンス時代には教会旋法がいくつかあり、バロック時代にはそれが長調と短調の2種類に集約され、ロマン派後期から近代にかけて教会旋法がまた復活し、さらにスクリャービンに端を発し、メシアンによって体系化された移調の限られた旋法などの新しい人工的な旋法や、シェーンベルクなどによる12音技法などが出現しました。

また古典派の和音の種類や連結の仕方は大体決まっていて、Vの後はIかVI、IIの後はV、カデンツ・・そのような構造を一つの文として、和声フレーズがいくつか組み合わされて全体を作っています。数学の公理と同じく、和音連結のルールもその時代の美意識であり、誰もが認めるものです。

近現代になるほど和音や楽器の種類が増え、音域も広がり、複雑化しているとはいえ、おおむね前の時代の作曲語法を内包しつつ拡張されています。数学も音楽も、全員が認める何かを見出し、そこから性質を作り拡張していくという流れは同じです。それが古代ギリシア時代に音楽と数学が同じカテゴリであった理由ではないでしょうか。

(2)学習のプロセスが似ている

数学を学ぶプロセスと、作曲や演奏ができるようになるプロセスも似ています。

小学校の算数はつるかめ算、流水算、旅人算など、身近にある素材を使って問題の答えを見つけていきます。中学校の数学では方程式が登場し、それらがすべて一発で解けるようになります。

ピアノの演奏を考えてみると、子どもは理屈なしに小品を一つ一つ暗譜して弾いてしまいます。しかし段々と規模が大きくなり、複雑かつ多様な様式の曲を勉強するようになると、どこかで限界が訪れます。そこで統合的にまとめて一通りに処理できる“方程式”の登場です。ピアノでいえば技術と作曲語法ですね。作曲語法は、誰もが美しいと感じる定理と組み合わせ方のパターンがあり、音の連結の仕方、(限定進行音、禁則など)、楽式論(二部形式、ソナタ形式など)、旋律の組み合わせ方(対位法など)など、作曲家はほぼ例外なくそのルールに従って作曲しています。

一つ一つの曲を独立して演奏できるようにするのは算数の数ある計算法で答えを出すことと似ています。でもバッハの平均律にしてもベートーヴェンやショパンの作品にしても、「こうきたら次はこうなる」という一定のルールがある。例外はありますが、ルールが分かれば自動的に流れが見えてきます。直列的に音楽史上の変遷を見ていくと、同じ時代の中にもあります。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどは同じ潮流の中にいるので、ソナタ形式の構造を理解すれば、同じような処理ですべて弾けるようになります。算数の計算法から数学における自動的な処理の変化に似ています。

そのことに気づいたのは大学3年生の時です。自分が音楽的に弾いているつもりの表現が、果たして正しいのか、どこにその根拠があるのか、どういう規則で音が配置されているのか、それらを知りたくなって作曲語法を勉強始めました。後づけであろうと、何で美しいかを論理的に説明できるようにしたいのです。今でも一晩のリサイタル(※8月12日)の分量であれば、仕事の合間でも2か月で暗譜できます。語法を知っているので、記憶する部分は極めて少ないからです。

(3)歴史的変遷が似ている

音楽でいえば楽器の変遷、数学でいえば機材の変遷が、学問自体を変えていきました。

数学では様々な記号を駆使して処理していくのは19~20世紀初頭までで、その後自動計算器が発明され、戦後にはコンピュータが発明されました。それが数学の思考自体を大きく変えていったのです。コンピュータの計算処理能力が上がり、金融工学、物理学、経済学関連、軍事産業、オペレーションズリサーチ等、多分野に対しての応用性が出てきました。


ツィンバロン(画像:wikipediaより)

ピアノの本質的な響きの感覚はここ100年ほどあまり変化していませんが(最近ファツィオリは4本ペダルで新たなモダンピアノの可能性を追究していますが)、その前は劇的に変化しています。ピアノの原型となった鍵盤付きの楽器の一つはチェンバロで、プサルテリウム、ハープ、リュートなどの撥弦楽器から生まれました。引っ掻く動作を自動化したもので19世紀初頭くらいまでは実用的な楽器であり、たとえばベートーヴェンのソナタだと15番までは「フォルテピアノまたはチェンバロのためのソナタ」という副題が付いていました。その後にチェンバロとクラヴィコードなどが融合した形で生まれたのがフォルテピアノで、打弦楽器ツィンバロン(木琴や鉄琴のようにバチを叩いて弾く)に鍵盤をつけて自動化したようなものです。それによって強弱が表現でき、同時に出せる音も増えました。クラヴィコードもタンジェントで弦を叩いて音を出しますが、チェンバロとは根本的に構造が違います。

1800年からの100年で鍵盤楽器は劇的に変化を遂げ、音楽の姿もどんどん変わっていきました。リストやドビュッシー、ラヴェルの音楽がバロック時代にあるとは考えられません。楽器の変化によって音楽も変化しているからです。これは、数学の計算処理能力の変容によって学問体系そのものが変化したのと似ています。

今では古楽器研究者が当時の文献を紐解き、楽器や演奏法の検証を行い、それがスタンダードとして理解されるようになりました。この10年ほどで、当時の楽器様式の響きをどうモダンピアノに反映させるかを考えながら弾く人が増えてきました。個人的にはフォルテピアノ、チェンバロ、クラヴィコードも弾くのが好きで、そのニュアンスを可能な限りモダンピアノに反映させようとしています。

ピティナ鍵盤楽器事典

INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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