海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を!第6章:ライフスタイル&ボディ編 1.表現する身体を創る

2016/01/22
第6章:ライフスタイル&ボディ編
1
表現する身体を創る

「表現したい!」という気持ちは誰にでも備わっている(第1章「表現する力」)。自分に合った表現方法を知り、学ぶことによって、より伸びやかに、細やかに、自らを表現できるようになる。最近では自己表現の場が多様化し、今や誰でもステージに立てる時代になった。一生を通じて、何百回、何千回も人前に立つこともあるだろう。自分の内面をより掘り下げて表現するため、また音楽をより深く理解して表現するため、表現する身体を小さい頃から創っておきたい。

身体を動かすと、音楽が身体の内に入っていく
~ロシア・フランス・日本の事例から

子どものころから音楽を身体の中に取り入れること。これはすべての土台になる。この考え方はおそらく世界共通である。(写真:2014年度A2級受賞者記念演奏会より)

たとえばロシアでは音楽、バレエ、フィギュアスケート、新体操に至るまで、世界的に活躍する優れた人材を数多く輩出しているが、身体の動きはいつでも音楽に美しく寄り添っている。小さい頃から、音楽と身体を一体化させる教育をしているようだ。参考「幼児音楽教育プログラム~ロシアのピアノ教育から学べること」

フランスでは、音楽院に入学するとまず、ソルフェージュや表現することを学び、そして個々に合った楽器を決める。バレエ学校でも基礎練習のほか、表現力を学ぶ時間があるという。音楽をまず身体の中に入れ、歌ったり、動いたりしながら、音楽を身体全体で捉えることを重視している。(参考「芸術性を高めるソルフェージュを目指して」~子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編より

身体を動かすことが、音楽理解に効果を発揮していることを示した実験がある。あるフランスの小学校で行われた聴取実験”Musique & Mouvement a l'école”(Simonne Marques著)によれば、現代作品やドビュッシー前奏曲「アナカプリの丘」(第1巻・5番)を、1回目は音を聴くだけ、2回目は音に合わせて身体を動かせたところ、児童の一人は「1回目は自分が音楽を"見ている"感じ、2回目は音楽に"触れている"感覚がした」そうだ。身体を動かすことによって音楽が内に入っていき、能動的に感情移入するようになる。著者は「動きは単に、よりよく音楽を理解するための手段、というだけではなく、むしろ音がどう鳴っているのかを正確に知るための方法なのである」と結論づけている参考:「感から知に変える音楽の聴き方」


自然に音楽を体感し、理解するリトミック
~日本の事例より

このような考え方を体系化した教育プログラムの一つが、スイスで生まれたリトミックだろう。音楽に合わせて身体を動かすことによって、リズム感、拍子感、表現意欲など、様々な力を自然に身につけていく。ではリトミックをピアノレッスンに繋げていくためにはどうしたらいいのだろうか、それをテーマにした講座が2015年4月に開催された。

300名以上の生徒を抱える石黒加須美先生の教室(ピティナ評議員、名古屋支部長、一宮ステーション代表)では、リトミック、音感教育、ピアノレッスンを組み合わせた総合的な音楽教育を行っている。「細かい指先より、大きく身体で表現した方が、音楽が自然に身に入っていきます!」と先生は力強く語る。たとえばド→ミは単なる「音の移行」ではなく「時間・空間・力の移動」であり、身体表現によって、音楽的な意味を体感しながら理解できるという。そこで石黒先生の教室では、学齢別に習得させたい能力を決め、様々な動きを音楽と連動させながら身体に働きかけていくそうだ。

たとえば年少向けの発表会プログラムは『こうえんにいこう!』というお題で、虫を探そう、滑り台をすべろう、噴水を見つけた!などの場面を想定しながら、ピアノの音の高低を聞き分けてポーズを取ったり、リズムを聴き分けて反復したり、強弱を聞き分けて全身で音楽を表現させる。想像の世界の中で、子供達は自由に遊びながら即時反応を行っていく。それによって集中力や判断力とともに、大きな声で堂々と歌う、歌いながら踊る(複数のことを同時にする能力)、広い舞台を大きく使うなどの能力が自然と身についていくそうだ。

全身をのびのび動かすことに慣れてくると、身体の動きや意識の向け方も少しずつ複雑になってくる。年中の生徒さんは、指先への意識や状況をイメージする力を鍛えたり、チームごとにオリジナルポーズを創作したり、小1の生徒さんは、友だちと違う方向へ動いたり(判断力)、人と違うリズムパターンを考えたり(独創性、責任感)、ボディパーカッションのアンサンブルに挑戦。小2になると、ハーモニーやフレーズなど音楽の各要素を視覚化したり、感情を伝える目線や表情を考えたり、他人と違う動きと音でアンサンブルするなど、次第に高度になっていく。

石黒先生リトミック発表会・小1の部

リトミックに慣れてきた小3の生徒さんは、様々な道具を使いながら、自由な発想力や即興力に挑む(『工場で生まれる音楽』)。各グループが異なるリズムを同時に鳴らしたり(ポリリズム)、同じ曲の拍子を変えてビートの違いを感じたり、相手を良く聴く力やフレーズ感覚への働きかけも増えていく。最後は小ロンド形式の「タイプライター」を合奏してフィニッシュ!

音楽と身体の動きを連動させながら、学齢に応じて様々な能力を身につけていくプログラムが素晴らしい。また年次が上がってくると、チーム全体をまとめたり、分からない部分を教えてあげたりと、リーダーシップも発揮するようになってくる。実際、生徒さんには生徒会長や学級委員長なども多いという。身体の使い方や意識が高められると、音楽はもちろんのこと、日常生活も変わってくるようだ。何より、子どもたちの身体が伸びやかで、笑顔も晴れやか!音楽を生き生きと感じて伝える身体を、小さい頃から育むことが大事だとあらためて感じる。

身体を動かすことは、脳にも良い影響がある。特にピアノを弾くと脳の構造が変わるという研究結果も出ている。参考:『今こそ音楽を!~脳科学的視点から』澤口俊之先生インタビュー


なぜ表現する身体に、人は感動するのか

では表現する身体が究極に磨き上げられるとどうなるのか。なぜ人はそれに心を動かされるのだろうか。身体とはその芸術や競技で最高のパフォーマンスを発揮するため、それに見合った所作に進化していく。

誰でも「究極の身体を体現するためのメカニズム」を持っているが、使っていないだけである。アーティストやアスリートはその芸風や競技に合わせた「究極の身体」が出来上がっており、いわばその「メカニズム」を体現した人である。レギュラーの身体ではそれを能動的に発動はできなくとも、受動的に感知することができる。だから達人芸を観たくなり、見ると感動するのだという。(『究極の身体』高岡英夫著p251)

また身体の動きは、自らが関わる事象が最適化されるように進化するだけでなく、事象そのものが開かれていく契機にもなる。たとえば、指揮者・井上道義氏を被験者として「身体の動きが音楽とどう結びついているのか」を調べた実験がある。筆者は結論をこのように導き出した。

音楽というアートは、音響の次元に閉じたものではなく、それを演奏する身体に対して開かれたもの、いやむしろ身体によって開かれるものであるということができる。(中略)実際、井上による多義的な身振りは、彼の身体が彼独自の仕方で楽曲の構造と結びついていたことになる。(『アート/表現する身体~アフォーダンスの現場』佐々木正人著、p105~106)

表現するものに対して身体が深くコミットするほど、身体の動きそのものが「音楽を語る」ことになるのだろう。と考えると、身体の動かし方を身につけることは、それにどう関わるかということに深く結びついている。

脳科学者の黒川伊保子氏は、幼少期の音楽教育に関して次のように述べている。「楽譜を贈り物だと思って、ワクワクしながら一つ一つの音に出会ってほしいですね。そのときに身についた身体性はブロックのピースで、ずっと何か作るときの基本の形になります。そのブロックのピースの形を多くするためには、感動とともに身体を動かしていくことが大事ですね。」『子ども脳がもつ無限の可能性』~子供の可能性を広げるアート教育・フランス編より

さらに物事を習う時には、プロの所作を目の当たりにすることが重要という。身体とはそれだけで、様々なことを語っているのだから。

INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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