海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を! 第1章:社会的観点から 2.「文脈を読み解く力、創る力」

2015/04/24
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今こそ音楽を【1】社会が変わる~社会は何を求めて、音楽には何ができるのか?
音楽家は優れた解読者でもある!?

21世紀は答えがない時代と言われる。日々、あまりにも多様な情報に接しているからかもしれない。情報が断片化された"点"のまま、読み流されてしまうことも多い。しかし点と点を追っていくと、一本の"線"が見えてくることがある。その繋がりが見出せると、その"線"が何を意味しているのかを推測できるようになり、自分なりに価値判断ができるようになる。これは文脈を発見するプロセスに似ている。

「文章が全体として一つのメッセージを伝達するためには、一文一文を独立したものと考えず、それぞれが意味的に関連したものとして紡ぎ続ける読み手の努力も不可欠です。意味というものは存在するものではありません、読み手の努力で見出すものなのです。」(石黒圭著『「読む」技術~速読・精読・味読の力をつける』より)

楽曲解釈でも、文章読解と同じことがいえる。音楽は時間芸術であり、そこには時間とともに展開される文脈がある。どんな性格の曲なのか、全体はどんな構造なのか、主題はどう展開するのか、調性はどう変化しているのか、ハーモニーはどう進行しているのか、フレーズはどう連なりどこへ収束するのか、どこが頂点か、そこからどんな文脈が導き出されるのか、音色はどう響かせるか、作曲家が影響を受けた音楽・芸術作品は何か、当時の時代背景や楽器はどうか、等々から、曲の文脈を深く読み解いていくことができる。すると音一つにしても、それが全体の中でどのような意味を持つのかによって、音量、音質、色彩、音の深さ、柔かさや鋭さ、方向性などが変わってくる。

国際コンクールでは、このような曲全体を見る力、それを踏まえて楽想を膨らませる力が大変重視されている。参考:2010年ショパン国際コンクールさらに最近はフリープログラムが増えているが、曲の選択と配置によって新しい視点や解釈を提案したり、無名の曲に芸術的価値を見出したり、テーマに沿った選曲で自分なりの文脈を創ることもできる。ピアニストの見識の広さと力量によって、いかようにも世界を広げていける参考:2013年ヴァン・クライバーン国際コンクール

体系的な学びは他分野にも応用できる

調性音楽はバロック・古典・ロマン派・近現代と大きく四期に分けられ、その約300年の間に時代様式・楽曲形式・楽器構造などが大きく変遷しており、これを体系的に学ぶことによって歴史的大局観が得られる。また、一人の作曲家あるいは複数の作曲家を比較考察すること、たとえばバッハの平均律で描かれる24全調の壮大な世界観や、ベートーヴェンのピアノソナタに垣間見える熟考の推移などは、多くのことを示唆してくれる。

音楽の時代様式や楽曲形式などの体系的な理解が進むと、「この場合はこう考えればいい」といった方法論が身につき、さらに「この楽節はこう展開するだろう」「あの曲にも応用できそうだ」といった推察力や応用力が備わってくる。

これに着目したカリキュラムを実施しているのが、MITマサチューセッツ工科大学である。現在約2,000名が教養科目として音楽科目を選択し、そのうち約200名が音楽に比重を置いた“音楽専修”である。彼らの多くは他学科主専攻だが(機械工学、数学、コンピュータ・サイエンスなど)、歌、楽器演奏、室内楽といったパフォーマンスへの関心が高く、実際に得意であることも多いそうだ。

現在音楽専修生のアドバイザーをしているエミリー・ポロック音楽学科教授は西洋音楽史入門クラス担当で、毎週講堂での講義90分+小グループセッション60分の二本立てで進められる。1学期で3本の小論文(1500~2400 words)が課され、学期末に試験が行われる。
「オペラであれば舞台演出が時代によってどう変遷してきたのか、交響曲であればその楽曲が時代によってどのように聴取されたのかなど、楽曲の時代背景とその意味を理解してもらうようにしています。また伝統的な音楽様式や楽曲形式といった抽象的な概念も扱います。音楽経験の少ない学生には、音楽がどのように感情・イメージ・事象・記憶を伝えているかを話し、それを彼らなりにストーリーテリングに生かしてもらいます」。

テクストのある歌曲・歌劇や、ストーリー性のある標題音楽を取り上げることが多いそうだが、フーガやソナタ形式等の抽象的な音楽にもテンションやコントラストがあり、それが全体としてストーリーを成していることを理解してもらうという。

ちなみにMIT構内では、廊下を歩いているとどこからともなくピアノやヴァイオリンの音が聴こえてくる。正門前ではアンサンブルグループが集まって演奏を始め、学生たちは耳を傾けながら笑顔で通り過ぎていく、という光景も目にする。一瞬音楽学校かと勘違いするほどであった。

MITに限らず、アメリカの総合大学には音楽学科や音楽学校があり、音楽専攻生だけでなく、他学科生も教養科目として履修することができる。その数なんと、一大学あたり数百~数千人規模!中には音楽を全く弾いたことも、聴いたこともないという初心者もいる。それでも音楽に興味を持って履修する学生が後を絶たないそうだ。音楽そのものの魅力に加え、こうして他分野に応用できるアプローチも採られている。

日本でも、音楽や芸術で培われる力が注目されてきている。「美術や音楽で培われるものは、その分野だけでなく、そこで培われた物の見方や考え方、処理の様式や問題解決の戦略は、他にも転移や汎化する可能性がある。対象や領域を越えて精神機能が育つということを共通認識とすべき」(国立教育政策研究所「教育課程の編成に関する基礎的研究」)

まさに音楽や芸術は、普遍的な教養体系なのである。

◎お知らせ今年7月にアルテスパブリッシング社より、2012年度連載「アメリカの大学にはなぜ音楽学科があるのか」を再取材・編集した本が刊行予定です。どうぞお楽しみに!
INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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