会員・会友レポート

シンポジウム「歴史的ピアノと音楽文化」(前編)

2019/05/21
● シンポジウム 歴史的ピアノと音楽文化
執筆者:中野春花(音楽学)
第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールを振り返る 前編

2019年3月13日(水)一橋大学インテリジェントホール

2018年9月、第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールが開催された。世界最高峰として名高い、ショパン国際ピアノコンクールを主催するポーランド国立ショパン研究所(NIFC)のその画期的な催しに、いま、熱い回顧的な視線が向けられている。とりわけ日本では川口成彦さんが第2位に輝いたことにより、このコンクールの余韻はいまだ消える気配を見せない。
 去る3月13日(水)、本コンクールを振り返るシンポジウムが東京、一橋大学インテリジェントホールにて行われた。第1部では小岩信治さん(音楽学者、同大学大学院教授)、小倉貴久子さん(フォルテピアノ奏者)、川口成彦さん(フォルテピアノ奏者)による報告と演奏が、第2部では松尾梨沙さん(音楽学者)、太田垣至さん(鍵盤楽器製作・修復家)による本コンクールについての考察が披露された。

第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールを終えて

司会の小岩教授はまず、「このコンクールは異文化の人々が混ざり合った場であった」と語った。本コンクールには川口氏のようなピリオド楽器奏者はもちろん、フォルテピアノの経験の浅いモダンピアノ奏者も参加した。名だたる国際ピアノコンクールの入賞者がピリオド楽器の扱いに苦戦する様子も見られたが、一方でピリオド楽器奏者が有利であったとも言えない。主に古典派作品を扱う後者にとって、ピアノ協奏曲でオーケストラとの共演する際の音響バランス等、難しい面も多いからだ。審査にも著名なピリオド楽器奏者とショパン弾きとして知られるモダンピアノ奏者の両方が集まった。「開幕前から審査員の中でも議論があったと聞いていた。コンクールが始まってみなければ誰も様子がわからない状況だった」と川口氏は振り返る。さて、いざコンクールが開幕すると、プレイエル、エラール、ブッフホルツ等用意された5台のフォルテピアノは、この多様な挑戦者たちの音楽家としての資質を、驚くほど露わにしたという。本コンクールでは各課題曲の音楽的解釈だけではなく、その解釈に適する楽器の選定も評価の基準になる。ピリオド楽器奏者として小倉氏は、「ピリオド楽器を用いて演奏する理由は、作品の本質を演奏で引き出したいから。その作品がもともと持っている個性を今ここに再現しようとする姿勢が、誠実な音楽スタイルだと思っている」と語った。楽器の違いによる障害をなくし、作品の核心に迫ろうとする場面で重要になるのが、楽器選択なのだ。既にここで演奏者の技量が試されているとも言えよう。

川口成彦氏の見たショパン国際ピリオド楽器コンクール

川口氏はフォルテピアノ歴9年目で本コンクールに参加した。ヨーロッパ各地で様々なピリオド楽器に触れた経験を生かし、複数のフォルテピアノを曲の特徴によって慎重に選び分けた。また、繰り返されるパッセージで装飾を加えたり、モデレーターペダルを用いて音色に変化を加えるといった、ショパンの時代の音楽家に共通する音色の操作や、当時の演奏習慣を熟知し豊かに再現した演奏が高く評価された。「様々な出場者がそれぞれの立ち位置を自覚し、各々の作戦を持っていた。僕は古楽の世界で研鑽を積んできた身として、古いピアノの魅力を最大限に引き出すことを目標にしていた」と川口氏は語る。タッチの繊細さやウィーン式アクションに不慣れなため、モダンピアノに近い楽器のエラールを弾き続ける出場者もいた。彼らのように、あくまでモダンピアノ奏者として深めてきた解釈や演奏技術を、ピリオド楽器を用いて表現し、ピアニストとしての新しい一面を探し出そうとする者もいた。「僕はそれをとても良いことだと思う。これまでモダンピアノで沢山ショパンを弾いてきた人も、当時の楽器に触れることで考えが改まり、解釈も変わる。様々な立ち位置の出場者が競い合う雰囲気は大変面白かった」と川口氏は振り返った。

ショパン研究者から見るショパン国際ピリオド楽器コンクール

ショパン研究者である松尾氏は「本コンクールはNIFCが各種学会や音楽教育の場面で示し、温めてきた多角的・学際的なショパン解釈の文脈において、重要な意味を持つ催しの1つだった。」と総括した。松尾氏によると、NIFCは近年、ショパン研究への学際的な視点(作品や演奏だけに固執しない、複数の学問領域にまたがる視点)を重視し、その姿勢は学会運営だけでなく音楽教育にも影響を与えているという。例えば、2013年には演奏家、指揮者、音楽学者を目指す学生を対象に、音楽評論を執筆するワークショップが開催された。これに参加し、ショパン研究、現代音楽、文学、ピリオド楽器、録音分析というあらゆる分野の専門家の講義を受け、まさに学際的な音楽教育を体験した松尾氏は「今思えば、この時既に本コンクールの構想が煮詰まっていたのだろう」と振り返る。さらに松尾氏はこの姿勢がモダンピアノ・コンクールの成長を促すことを期待している。「ショパン国際コンクールの出場者は、超絶技巧やダイナミクスというある一定の価値観に走る傾向があり、今後の行き詰まりが懸念される。時代考証をせずには演奏できないピリオド楽器に触れることで、当時の楽器や演奏習慣を勉強することになり、自ずと多角的な演奏解釈が生まれるだろう。本コンクールはモダンピアノ奏者にも重要なことを教えてくれた」と語った。また、2015年のショパン国際コンクールにショパン研究者として著名なジョン・リンク氏が初めて審査員に加わったことを指摘し、審査に学術的な視点を取り入れる意図の表れだと推測した。いずれにせよ研究者が審査員に加わることで、出場者の演奏解釈に視野の広がりや深さが生まれることは間違いないだろう。

日本におけるピリオド楽器のこれから

日本でフォルテピアノの製作、修復を行う太田垣氏は、本コンクールの影響で人々のフォルテピアノへの関心が高まったことを喜ばしく語る一方、修理、調整を担う技術者の後継者不足を嘆いた。同じく希少な楽器であることにより、楽器に触れられる機会が限られていることを小倉氏と川口氏も指摘した。楽器、技術者、学べる環境という全てのアスペクトをうまく循環させ、ポーランドを始めヨーロッパが見据えるピアノ教育を日本でも実現するためには、音楽大学を始めとする機関による理解と基盤づくりが必要になる。そのことを登壇者全員が呼びかけ、本シンポジウムは幕を閉じた。


ピティナ編集部
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