海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を!第6章3. 身体を見直して演奏の向上を(2)美しい姿勢&気の流れ

2016/02/22
第6章:ライフスタイル&ボディ編
3
身体を見直して、演奏と生活習慣の向上を
美しい姿勢、脱力の仕方を見直す

美しい姿勢や所作は、ピアノ演奏のすべてに関わる。前回に引き続き「身体を見直して演奏の向上を目指す」ために、二つの事例をご紹介したい。


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金城学院ピアノ科教授の馬塲マサヨ先生は、ご自身の経験と学びをもとに、美しい姿勢の整え方を研究。西欧人と日本人の生活習慣の違いが、力の入れ方や奏法の違いにつながっているというのは、目から鱗が落ちるような気づきだろう。ピアノ科学生にどのようなご指導をしているのかお伺いした。

「どこの力を抜けばいいのか」が分からない!?

馬塲マサヨ先生:合理的で美しい身体の動きを習得することによって、音の質は変化します。「音が浮く」と言われても使うべき筋肉の場所が分からない、「力を抜いて」と言われてもどこを抜けばいいのかわからない。「ピアニストのための脱力法」(1年次後期)の授業では、無駄な力を抜くことの重要性を教えると共に、どこに力をいれるべきなのか、また力の方向性についても学んでもらいます。一人一人の学生に向き合い、問題がどこにあるのか、具体的にその箇所と理由を説明してあげると、何が無駄な動きなのかがわかってきます。また、すべての事柄は姿勢に深く関わっていますので、姿勢を直すことは自分自身の可能性を開くことなもつながります。

ピアニストはインナーマッスルが大事ですが、アウターマッスルに力が入りがちなので、それを緩めるのがポイントですね。これができると、美しく座ったり、美しく歩くことが出来るようになるので、授業ではウォーキングの練習もします。また寝転がって足で床をけって、動きがゆっくり上半身に移っていくのを味わうフェルデンクライスというワークも取り入れています。骨の動きに沿って動かしてあげると、固まって動かないところまで緩んで動くので、その感覚を覚えてもらいます。

日本人と外国人は、身体の使い方がすべて「逆」

私は昔腰痛持ちだったのですが、演奏中の姿勢が「前に傾きすぎている」と指摘されたことがきっかけで、自分の姿勢を見直すようになりました。藝大に通っていた頃、「野口体操」の野口先生の講義を受け、それが私の指針になりました。また合気道の先生である高岡英夫さんが「ゆる体操」を提唱しています。この先生にも大変素晴らしい学びを頂きました。





「日本人と外国人は伸筋と屈筋、最初に使うのが反対」これは新しい発見でした。たとえばナイフやのこぎりを扱う時、日本は引く時に力を入れますが、外国人は押す時に力が入る。刀は一度力を引きますが、フェンシングは伸ばしたままです。箸とフォークの持ち方、ひらがなとローマ字の筆記体にしても、手首の使い方が違います。私は学生にわかりやすいように、日本人ははじめに屈筋を使う「鍬型」、西洋人ははじめに伸筋を使う「スコップ型」(写真下)と言って教えています。ピアノは西洋楽器ですから、鍬を使うようにではなくスコップを使うような力の方向性で身体を使う方が楽に良い音が出るのです。

授業名は「脱力法」となっていますが、本当は「力の入れどころと向きが違う」ということを伝えたいです。知ってしまえば簡単なのですが、私も長い間気がつかず、勉強を重ねてきた末に出会いがあって初めて気づきました。学生たちも今までやってきたことを覆すので習熟には時間がかかりますが、この原理に気がつくと変わります。

授業で取り入れているフェルデンクライス・メソードの創始者、フェルデンクライスはアレクサンダー(アレクサンダー・テクニック創始者)とほぼ同時代の人で、メソードの趣旨も似ています。ヨーロッパでは、交通事故の後遺症で腰を痛めた人などの治療としても使われています。演奏家の技術向上のためのワークとしても効果があるものとされ、アルトゥール・ルービンシュタインも学んでいました。授業を受けた本学科の学生も、抜けなかった力が抜けてとても弾きやすくなった言う声がたくさん上がっています。

  • 出版情報:「目からウロコのピアノ奏法」 ~オクターブ・連打・トリル・重音も即克服~』(ヤマハミュージックメディア刊)。

呼吸と身体を整え、"気"の流れをよくする

セミナー受講後に。後方左より、ピアニストの井村理子さん、安田正昭さん。中央は講師の新井眞澄先生

"気"や"意識"という目に見えないものにフォーカスし、身体全体をほぐして手に気を集中させることによって、音や音楽の質を変えていく。新井眞澄先生による『身体と呼吸を整えると演奏が変わる!』が昨春、東京で開講された。その様子をリポートする。40年以上にわたり野口整体を最高幹部指導者から伝授され、その体験と教えをピアノ奏法に結びつけたメソードで、ベルリン藝大でも様々な国籍の学生に好評を得ていたそうだ。(ベルリン藝術大学では、グループ形式で各自演奏した後に身体の調整を行い、最後に演奏をしてその変化を観察し、年1-2回ホールで演奏会を開催)


身体の動きや気の流れ方を整えると、いかに演奏が変わるか

この日は、筆者を含む3名の受講生を対象に行われた。まず1人ずつ弾いて現在の状態を把握して頂いた後、様々なエクササイズを実践し、そのたびに演奏して経過を観察した。共通課題として「身体の中に"気"を流す」ためのイメージトレーニングや、野口整体を踏まえた背骨の意識、腰の入れ方、身体の重心や軸の置き方、身体の中を動かすなど、ピアノを弾くための身体の使い方を実践しながら学んだ。

「今どのくらい身体に気が流れているか」を先生が瞬時に見極められ、言葉一つで余計な意識が取り除かれ、腕から手にかけて気が通り、本来の姿が立ち現れてくる。筆者の場合は最初やや緊張していたのが、特に"入場→お辞儀をするエクササイズ(演奏する曲をイメージしたテンポで入場し、何かが訪れたと感じた時に頭を上げる)"や"背骨・腕全体を動かすエクササイズ"などで、次第に身体がほぐれてリラックスしてピアノに向かうことができた。またラフマニノフの前奏曲Op.32-12冒頭pで始まる右手のパッセージが、肩甲骨のある部分の開き方に気を付けるようアドバイス頂き、そこを意識することによってより自然に安定して動くようになった。一緒に受講したお二方も、「眼をお腹に入れる」などのアドバイス一つによって、音や表現がぐんと伸びやかになっていた。

また合間のティータイムも、"口に含んだお茶や吸い込んだレモンの香りが、腕を通って指先まで流れるように"というイメージトレーニングや、二人一組で相手の気の流れを読み取るなど、興味深い時間になった。

自分の身体の中で"気"を巡らせることは、自分を信頼して、ピアノに、聴衆になじむことに繋がり、聴き手とのラポールを築く上でも大切。またピアノを弾く身体を作るということは、身体を見つめ直し、整えることでもあり、日常生活においても意識が変わると実感した。同形式で行われていたベルリン藝大でのセミナーでは、ピアノ科、演奏家コース、時にはディプロマコースやコンセルヴァトワールの才能ある生徒も含まれ、ピアニストのセドリック・ペシャ氏(Cedric Pescia/2002年ジーナ・バックアゥワー国際コンクール優勝、ジュネーブ大学教授)もその一人。"気"というと一見東洋的な考え方だが、どの国の人にも通じることだとあらためて感じた。


3-3.リポート:音楽医科学センターフォーラム
INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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