海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を!第6章 2. ワーク・ライフ・バランスを柔軟に(1)本業とピアノを両立

2016/01/28
第6章:ライフスタイル&ボディ編
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ワーク・ライフ・バランスを柔軟に

皆さんはいつ頃から現在のライフスタイルになっただろうか。第4章でご紹介したように、1日の生活時間は1次活動(睡眠・食事など消費活動)・2次活動(仕事・家事などの社会活動)・3次活動(余暇・自由時間)に分けられるが、その配分は、時代・年齢・職業等によって異なり、個人のライフステージによっても変化する。統計によれば、過去25年で3次活動が増えているそうだ。余暇時間を充実させることで、仕事を含めた生活全体に好影響があると実感されてきているのではないだろうか。つまり、ワーク・ライフ・バランスへの意識が高まっている。

また音楽・芸術活動そのものが2次活動である場合、音楽家または指導者として独り立ちするにはまだ経験や知識が足りない、育児中で十分な時間が取れない等、さまざまな過渡期にいる若年世代もいるだろう。そこでスキルを身につけながら、または他の仕事と掛け持ちしながら、少しずつ音楽家としてのライフスタイルを確立していくという考え方もある。ピアノや音楽に関わる皆さんは、どのようにライフスタイルを築いているのだろうか。

1.本業とピアノを両立~眼科医・栗本康夫さん
グランミューズG級全国決勝大会

眼科医/医学研究者であり、2014年には世界初のiPS細胞治療の臨床チーム責任者を務め、iPS 細胞による世界初の移植手術も執刀した栗本康夫さん。京都大学・大学院在学中に京都大学音楽研究会を中心に演奏活動を行うが、卒業後はピアノを中断。40歳を過ぎて再開した後、2009年PTNAピアノコンクールグランミューズB2部門第1位、2014年国際アマチュアピアノコンクールA部門第1位、2015年PTNAピアノコンクールグランミューズG級全国入選など、数々のコンクールで優れた成績を修められています。どのような生活を送っているのでしょうか?

毎日どのくらいピアノを練習されていらっしゃいますか?普段のお仕事の様子も教えて下さい。

普段の平日は、朝7時過ぎに家を出て8時前に勤務先の病院に入り、20時頃に病院を出て21時頃帰宅するのが日常です。ピアノは毎朝出勤前に、約1時間練習しています。出張や当直等で練習できない日も少なくないので、平均すると1日あたり40~50分くらいでしょうか。本番が近づいてくると、通勤等の移動中(主に歩いている時)に頭の中で楽曲を再現し、暗譜の確認などを行っています。

仕事は眼科医としての臨床業務がメインで、朝の病棟診察から始まり、外来、手術などの診療に追われますが、二つの病院(神戸市立医療センター中央市民病院と先端医療センター病院)の眼科部長として様々な管理的業務や総務的な雑務もあります。また、iPS細胞治療開発をはじめ、臨床研究の仕事にも力を入れており、動物実験のために隣接する神戸理研にも出入りしています。週末は土曜日朝の術後回診に加え、学会や研究会、出張講演などの仕事が入る日が多く、正味の休日は少ないです。また、平日だけではデスクワークが追いつかないので、休日に自宅で仕事をすることもあります。そういう意味ではオン・オフの境が曖昧な生活をしておりますが、ピアノに向かう時だけは、完全にプライヴェートなオフの時間と言っても良いでしょう。

普段の診察風景

臨床医の本懐は患者さんのために診療でベストを尽くすことにありますが、手術をした患者さんが良く見えるようになって喜んでもらえると臨床医冥利につきます。また、部門管理者としても医学研究者としても意義のある仕事に携われて幸せであると感じています。仕事は概ね順調で、なにがしかの社会貢献ができていると感じられますし、仕事以外には脇目もくれないという生き方もあるでしょうが、私の場合はピアノを続けることで人生がより豊かになっているという実感があります。

医師・研究者として、社会的に責任ある立場でお仕事をされている中、ピアノ練習時間を確保するだけでも大変なことと思います。現在の時間配分やライフスタイルはいつ頃確立されましたか、試行錯誤された時期はありましたでしょうか?

社会人アマチュアのピアノ仲間には、就職を機にピアノをやめてしまったが40歳を過ぎてから再開したという方が多いのですが、私も同じでした。大学院卒後、仕事に忙殺されピアノは中断しておりましたが、時間に余裕ができた米国在住中に再開、しかし、帰国後はまた弾いたり弾かなかったりの日々。仕事から帰宅して夜遅くに練習しようとしても、疲れ果てていてなかなか練習できるものではありませんでした。7年前にあるきっかけがあって、毎朝早起きして練習する習慣を身につけました。当初は毎朝15〜20分くらいでしたが、徐々に起床時間を早くして、現在の毎朝1時間のスタイルになったのは2〜3年前からです。仕事を持っている社会人アマチュアの場合、時間のあるときに練習するというスタイルでピアノを続けるのは中々難しい様に思います。それでも素晴らしい演奏が出来てコンペでも優秀な成績を上げている友人もいますが、彼らは中高生までに音大ピアノ科進学者並みのしっかりとした基礎が出来ている方々や、音楽的基礎力が特別に高い人に限られます。普通の社会人アマチュアの場合、コンスタントにピアノに向かう時間をどう確保するかが重要では無いかと思います。 ※今年4月、大阪東京でジョイントリサイタル開催予定

私自身のピアノライフにおいても、毎朝ピアノに向かう習慣を身につけた事はとても大きかったと思います。偶々、その頃に「想いが行動を生み、行動が習慣を生む。習慣が品性を変え、品性が運命を変える」という言葉に出会いました。プライヴェートライフに限定すれば、運命が変わったと言えなくもありません。そして、将来、仕事をリタイアした後の人生については本当に運命を変える事になるのかもしれません。

そのお言葉が説得力を持って響いてきます。本業以外に自己表現や交流の時間をもつことは、生活全体にどのような影響があると思われますか。

アメリカでの講演風景

実感として、生活の糧を得るため或いは世のため人のためという意識でやっている本業とは別に、ただただ好きでやっているだけの自分の世界を持てるのはとても幸せな事で人生を豊かにしてくれると思います。
ピアノ仲間との交流もとても貴重です。お互いに何の損得勘定や打算も無く、ピアノと音楽が好きだというだけで繫がっている仲間との交流は格別なものですし、演奏を聴いたり聴いてもらったりすることは、しばしば言語によるコミュニケーションでは得られない素晴らしい深い心の交流をもたらします。ピアノは独りで弾いていても十分に楽しいのですが、ピアノ演奏を通じての他者とのコミュニケーションはさらに大きな喜びをもたらしてくれます。

目下、仕事に追われる日々ではありますが、少々無理をしてでもピアノを続けていることが自分の人生に奥行きと拡がりをもたらしていると感じます。いずれ本業をリタイアした後には、ピアノが自分と社会との繋がりや生活全般においてより重要な役割を果たすであろうし、アマチュアなりの立場からピアノを通じてごくささやかな社会貢献できるのかもしれないという予感も持っています。

INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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