海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を!第4章 経済「人的資本投資の21世紀~エコノミストに聞く」(5)

2015/09/07
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第4章:経済 「音楽の見えない経済的価値とは?」
5
人的資本投資の21世紀~経済学者に聞く

GDPで測られない部分にこそ、未来の世界が求める幸福がある。これは世界的な傾向であるようだ。21世紀の社会が求める世界観や思想とは何か、それはどのような指標で測られ、どのように政策に反映されているのだろうか。また音楽・音楽教育の現場で生み出される活動には、どのような社会的・経済的価値があるのか。エコノミストの福島清彦先生(元立教大学経済学部特任教授)にお話をお伺いした。

世界の新しい幸福度指標は「人」と「社会」
福島清彦先生
この50年間でピアノ指導者のネットワークが築かれるようになり、その結果、お互い学び合ったり応援したり、先生方の意識が変わり、指導成果も高まっています。また習う方も、音楽を教わるだけでなく、音楽仲間との交流や社会関係を広げることにも価値が見出されるようになってきました。ただ、このような活動はGDPという指標では測りにくい一面があります。音楽を学ぶことの社会的・経済的価値、また余暇時間の価値はどのように捉えることができるでしょうか?

国の経済発展や拡大速度といった視点を離れ、個人の幸福度とその維持増大へ視点を移したとたん、このように、国民の幸福度を支える多くの“資本”が見えてきました。幸福度を測る重要な指標として、給料をもらうための仕事だけではなく、人と人のつながりや人間関係などがあります。またピアノなどの習い事は、知的資産になりますね。ジョセフ・スティグリッツの本には24時間の使い方の配分がありますが、余暇活動の中に音楽が入っているのは良いと思います。CDを聴くだけでなく、自分で弾くのがいいですね。精神の集中度や向上心を培ってくれますから。米国国防長官まで務めたレオン・パネッタ氏は、中学生の頃にピアノを学びコンサートまで開いて、地元新聞に「才能ある」と褒められたそうです。自叙伝では、そのころ培われた向上心や成果が後まで影響を与えたと語っています。

カナダ、イギリス、フランスの国勢調査では、教育、健康、人とのつながりなどが重視されるようになり、「あなたは見ず知らずの新しい人に出会った時に信用できますか」「ボランティア活動をしていますか」「自分が幸福だと思いますか」「あなたは健康ですか」などを調査しています(1から10で回答)。アメリカでは国民の健康度を測る開発が始まっています。またOECDの統計調査では格差を重視し、政治への参加度(投票率)、健康度、教育度などが高所得層と低所得層でどう違うのか、なども測っています。アメリカでは中卒と大学・大学院卒では投票率が3倍くらい違うのですが、高学歴だと高収入で投票率も高く、「自分で社会を変えたい、変えよう」という意識が高くなる傾向にあります。格差があると幸福度や勤労意欲に影を落とすので、その点を重視しながら調査しています。

また国連では2011年に、GDPを補完する新しい統計を開発することが満場一致で可決されました。2014年には140か国20年間を調査していますから、新しい国際比較統計が誕生したといっていいでしょう(Inclusive Wealth Report, IWR 2012, 2014)。その新しい指標とは次の4つです。

  • 人的資本(総合的な資産・富・健康・教育など)
  • 社会関係資本(人と人とのつながり)
  • 生産資本(企業の設備や政府が作った道路など)
  • 天然資本(農業用地、牧草地、地下石油など、それを使って生産活動ができるもの)

各資本の残高を調べて、一人当たりどれだけかを計算します。人的資本は教育、健康、勤続年数などを指しますが、大学卒業後仕事をしている限りは毎年14%ほど人的資本残高が増える計算になります。(教育実績には、国や大学の条件の違いなどは反映されてない。また社会資本については数値化が難しく、現在アンケート調査のみ)

その結果、日本が世界で最も豊かであるという結果が出ました。


今現在の支出削減より、未来のための投資を
福島清彦先生
このような多角的で客観的な指標を持つと、自分の置かれている環境を改めて振り返ることができますね。教育の重要性については各国いかがでしょうか。

アメリカのオバマ大統領は教育も重視しており、大統領就任と同時に教育分野への投資が倍増しました。また2年制短大の授業料を連邦政府が出すことをオバマ氏が提案しており、どんなに貧しくても勉強する気があれば行ける方向に向かっています。また幼児教育にも力を入れ、特に重要とされる0~5歳の時期に幼児教育を行うよう州政府に呼びかけています。またEUはユンカーEU委員長が2020年までに64兆円の政府投資を提案し、その中に教育(人的資本投資)が入っています。
スウェーデンも教育に積極投資しています。財政赤字を減らしていく過程でも、政府は教育支出を減らさず、むしろ増加させました。2012年の時点で、スウェーデンの公的教育支出はGDP比6.7%で、先進国平均の6.2%を上回る水準を維持しています(参考:福島清彦著『政府投資拡大へ』p136)

一方、日本の教育支出はGDP比3.6%(先進国中最低水準)、2013年度予算でも教育予算が3億円削減されています(前掲書p6、p21) 。これ以上教育費を引き下げることは、学力低下だけではなく、社会人としての業務遂行能力を低下させ、ひいては日本企業の生産性と競争力低下を招くと考えています。

緊縮財政でただ歳出を削減して財政赤字を減らすことよりも、未来の人材や環境のために投資すること。政府支出や財政赤字を減らしたら経済が良くなるという誤った観念が、日本、EUやアメリカにもまだあるので、『今こそ政府投資を』ではそれを正すことを提案しています。

未来の人材育成に対する投資として、教育の質・量ともに高めることは大事ですね。音楽では、先生に教わった基礎を踏まえながら自分で応用する力を養うアプローチが、日本でも広まりつつあります。そのような力は、将来自分で生き方や働き方を見出すことにも繋がるのではないかと思います。
INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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