海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

今こそ音楽を!第4章 経済「自己成長~それは消費か投資か?」(2)

2015/08/27
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第4章:経済 「音楽の見えない経済的価値とは?」
2
自己成長~それは消費か投資か?
音楽を習う動機を7つに分類

人は「成長したい」という欲求が、幸福感に密接に関わっていると研究で明らかにされている。そして「成長できそうだ」と感じるところに投資をするという心理が働く。ピアノ学習においては「演奏が上達する」以外にも多くの成長や幸福を感じられる時間・場所・経験がある。その指標の多様さに触れながら、幸福感・成長への投資がいかに個人の生産性を上げていくのかを考えたい。まず、「なぜ音楽(ピアノ)を習うのか?」、考えられる主な動機を7つに分類してみた。

直接の理由:ピアノを習いたい
考えられる動機
第一の動機 根源的な動機
A 音楽が好きだから 音楽への根源的欲求(音楽への関心、欲求)
B 自分の表現能力や美意識を高めたい 非言語表現力・演奏技能・創造力の向上(楽器演奏、リトミック等を通した自己表現)
C 勉強以外の趣味、達成意欲や目標ができる 生活・行動規範の確立 (学習法、日々の練習、音楽聴取の習慣、目標達成術)
D 美しい、楽しい、心が安らぐ、信頼できる、心が開放される 行動・知覚領域の拡大(ピアノ教室へ通うこと、学校以外に自分を表現できる空間を持つこと)
E 音楽仲間ができる、音楽を一緒に演奏したり意見交換したい 帰属共同体の拡大+他者交流(アンサンブルの実践、イベントやSNSを通して音楽を人と共有したい)
F ピアノを上手に弾いて、褒められたい、社会に認められたい 社会的認知の拡大+他者承認(コンクール出場、コンサート出演、学校での演奏、内申書など)
G 音楽を専門的に学び、未来世代に伝えたい、育てたい 社会的認知の拡大+他者への還元(ピアノ演奏家、指導者、作曲家等として、他人に音楽を提供したい)

動機が重複したり、途中で入れ替わることもある。「本当はこれがしたかったんだ・・!」と自分で認識していない欲求が顕在化することもあるだろう。たとえば・・・

  • 最初は友達が欲しかったが、音楽そのものに目覚めた(E→A)
  • ただ音楽を楽しむだけでなく、他の人に教えたくなった(D→G)
  • ピアノ教室や先生も好きだし、他の人と連弾もしたい(D+E)
  • 音楽が大好きだから、一生懸命練習して上手になって、コンクールにも出てみたい(A+C+F)

根源的な動機が満たされれば、成長や幸福を感じる。そして動機が増えるほどその世界全体との関わりは深くなる。 一方、予期したような成果が出ないと、その他でいかに良い変化が見られても、「失敗した」ことになりがち。目に見える結果(Fなど)が優先されがちだが、結果がすぐに見えないものの価値も認識することが大切である(A~E)。フォーカシング・イリュージョンに陥らないように。(参考⇒第3章


人間には成長欲求がある

総務省統計局の「生活行動に関する調査」によれば、1年間に「学習・自己啓発・訓練」を行った人は4017 万人,10歳以上人口に占める割合は 35.2%となっている。行動者率は男性が34.3%,女性が36.1%で、その目的は男女ともに「自分の教養を高めるため」が最も高い(p5)参考PDF

成長したいと思う部分に時間とお金をかけることは、消費活動でありながら、自分への投資行為ともいえる。上記の7つの動機から、自分自身の成長に対する部分はA~Dにあたる。

米心理学者アブラハム・マズローは5段階欲求階層説で知られているが、さらに7段階に分けて、「生理的欲求」⇒「安全欲求」⇒「愛情と所属の欲求」⇒「承認の欲求」⇒「認知の欲求」⇒「審美的欲求」⇒「自己実現欲求」とした。これによると他人による承認を得た後は、認知欲求(知ること、探究すること)、審美的欲求(調和や美しさを求めること)を経て、自己実現に至る。つまり他人と繋がっている安心感や愛されている実感を得ると、今度は自己探求に向かう。そして内なる自分との調和を見出したり、より美しいものに惹かれることでより高みをめざし、最終的には「これこそ自分の道」というアイデンティティや社会的使命などを見出す。低次の欲求が満たされれば高次の欲求に移るとされるが、そう単純なものではないにしても、分かりやすいモデルである。これに照らし合わせると、上記A~Dは認知欲求や審美的欲求になるだろう。

この循環を生み出しているシステムのひとつとして、ピティナ・ピアノステップを分析してみたい。2014年度のステップ延べ参加人数は過去最高の43,795人、また年間開催地区数も517と過去最高を更新し、1997年ステップ開始以来の延べ地区数も5,000を超えた。今や伝統的コンクールをしのぐ勢いで参加者が増え続けている。それは一体なぜなのか?参照記事

そこには人生を豊かにする互恵的発展モデルがあるからだと考えられる。たとえばフリーステージ10分のステージ出演をした場合(一般13,500円、指導者割引12,500円、会員割引11,500円)、以下のようなプロセスがある。

継続表彰発行数 グラフ
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  • ステージ出演という目標を立て、曲を決める
  • ステージ出演までの練習&レッスン
  • ステージでピアノ演奏
  • アドバイザーから客観的評価、学習プロセスの検証
  • アドバイザーによるトークコンサートや模範演奏
  • 他の参加者・他教室との交流、コミュニケーションシート交流
  • 継続表彰
  • パスポートへの記録、継続努力の自己承認
  • 教室外(学校など)での表彰・発表など
  • さらなる高い目標への挑戦
継続表彰発行数 グラフ
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過去10年で継続参加者数が倍増しているのは、年2回以上受ける人が増えたことも大きな要因だ。これは継続そのものが社会的評価を受けること、また継続による自己成長が十分認識されているからと思われる。これを繰り返しているうちに「自分を承認する」という自己成長サイクルに入る。実際ステップから参加し始め、後にコンクールに挑戦する人が毎年5000名ほどいるとのことだ。


中高生・成人のステップ参加
グランミューズ参加組数 グラフ
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コンクールの方では、大人のグランミューズ参加者数がここ10年で2倍以上に増えている。シニア層も増えているが、その背景として「積極的自由時間」の増加が考えられる。2006年と2011年を比較すると、60代はやや微減しているものの、70代は微増傾向にある。逆に「休養・くつろぎ時間」は60代以降で減少している(総務省「社会生活基本調査生活時間に関する結果」平成 23 年版、p22)。自由時間をより有意義に活用しようという意思が垣間見える。会社を現役引退してもまだまだ身体的にも精神的にも十分な活力を持ち、学ぶ意欲が高い方も多い。リカレント教育(社会人教育、社会人再入学、など)が広まって久しいが、最近では音楽大学に社会人講座だけでなく学士号コースもある。詳しくは第5章で述べる。

グランミューズ参加組数 グラフ
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INDEX

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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