19世紀ピアニスト列伝

モシェレス 第5回(最終回) ― 模範的作品と「音で語る」演奏

2015/01/06
モシェレス 第5回(最終回)
― 模範的作品と「音で語る」演奏

今回でモシェレスの章は最終回となります。前回に引き続き作品全般についての評論が語られたのち、奇を衒(てら)わない気品あふれる演奏様式の魅力が回想されます。作曲のクオリティ、演奏の美点、ジェントルマンとしての社会性のいずれをとっても、モシェレスは19世紀の音楽シーンにおける第一級の人士であり、マルモンテルは良識ある芸術家たちの間でクレメンティベートーヴェンらと並んで語り継がれるだろう、と最大限の賛辞を贈っています。

フンメル

モシェレスの作曲家としての作品は重視すべきものである。ピアノとオーケストラのための協奏曲第2、3、4番が挙げられるが、これらはこのジャンルの雛型である。高貴な様式、溢れる霊感、強烈な色彩を放つ和声によって、これらの作品は幾度も模倣される素晴らしい見本となっている。
彼の主たる関心であるピアノ独奏パートの視点を持ちつつも、着想の選択、創意工夫に富んだ走句が特筆されるこれらの作品は一分の隙もなくオーケストレーションされている。オーケストラの音色は、響きについての驚くべき造詣に基づいて配置されている。伴奏の輪郭は優雅さとエスプリに満ち、非常に自由な足取りで動き、ピアノを支え、あるいは活気づけ、ピアノと競い合うが、オーケストラ伴奏が華やか過ぎて面白みを弱めたり、ソリストを屈服させてしまうようなことは決してない。
《幻想的協奏曲》、《悲愴的協奏曲》、《牧歌的協奏曲》1もまた数々の見事な頁を含むが、先立つ5つの協奏曲に見られる構成と明確さは持ち合わせていない。ピアノ、ヴァイオリン、フルート、クラリネット、チェロ、コントラバスのための6重奏曲と大7重奏曲はベートーヴェンフンメルオンスローベルティーニのそれらと並べて演奏されうるものである。これらの作品は、音楽的なディアローグの明瞭さ、着想の運び方と展開において大家に相応しい見事な作品である。ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための二つの三重奏曲、2台ピアノのための第二重奏曲、感嘆に値する4手用ソナタ、これらは全てのピアニストなら誰もが知らねばならない傑作である。さらに作品番号付きの6つのピアノ独奏用ソナタも引用しておこう。それらは作品4、6、22、27、《性格的ソナタ》作品41、《ソナタ・メランコリック》作品49である。
最後に挙げたこのソナタは一楽章しかないが、これほど完璧で、霊感に溢れ、ピアノのためにうまく書かれた曲を私は知らない。一定の様式を備えた作品の中からは、ピアノとヴァイオリンのための協奏的ソナタ、《アレクサンダーの行進》と《月の光の中で》に基づく変奏曲、オーストリアの歌に基づく大変奏曲、アイルランド、スコットランド、デンマークの国歌基づくいくつもの編曲、ロンド、カプリス、ポロネーズ、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、クラリネットのための変奏曲作品17及び46、50の前奏曲、クラーマーに献呈されたアレグリ・ディ・ブラヴーラ等を挙げておこう。
第一級のヴィルトゥオーゾたるモシェレスは、表現においてたいへん自然で多様な堂々たる演奏を特徴としていた。生き生きとした霊感に溢れているが常に自身をコントロールして演奏し、効果を狙うよりも見事に音で語ることを目指しながら、彼はその様式の高貴さ、美しい音、簡潔でゆったりとしたフレージングによって聴く者の注意を引かずにはおかなかった。演奏の大筋においても、非常に細かな箇所においても、思いがけないことは何一つ起こらなかった。装飾のついた軽妙なパッセージにおいても、この芸術家の優越性は本物であった。
気品があり端正でひじょうにくっきりとした輪郭の顔立ちをしたモシェレスの人相は、ユダヤ人顔の見事な典型そのものであった。堂々と上げた頭、率直で威厳ある眼差し、引き締まり頬笑みをたたえた口は、全体的にいくらかメンンデルスゾーンに似ていた。モシェレスを見つめていると、誰しもある種の磁力で彼の方へと引き寄せられるような心持になっていた。そして彼の高度な音楽的才能を知らない人たちでさえ、この愛想のよく善良で、心の開かれた人物に共感を覚えるのであった。モシェレスは1870年3月10日にライプツィヒで没した。彼はきわめて純粋できわめて賞賛に値する人々の間で、その名を芸術の歴史に留めるであろう。クレメンティフンメルの傍らで、そしてバッハヘンデルスカルラッティ一族の大いなる威光のなかで。

  1. それぞれ第6,7,8番。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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