19世紀ピアニスト列伝

ヅィメルマン 第1回 ― 19世紀フランスのピアノ楽派の長

2015/01/14
ヅィメルマン 第1回:19世紀フランスのピアノ楽派の長

今回から第20章「ヅィメルマン」に入ります。ピエール=ジョゼフ=ギヨーム・ヅィメルマン(1785-1853)の名前はあまり馴染みがありませんが、19世紀前半のパリにおけるピアノ教育・作曲界で決定的な影響力をもった重要な人物です。パリ音楽院ピアノ科教授を40年近く務め、その門下からはオペラ作曲家ヴィクトール・マッセ、ヴィルトゥオーゾのアルカンマルモンテルプリューダンラヴィーナC. フランクラコンブといった逸材が輩出されフランスを代表する一派を形成しました。また音楽的社交人としても名高く、そのサロンはショパンリストドニゼッティ、P. ヴィアルドをはじめとする演奏家や作曲家の訪れる音楽サロンとして名を馳せていました。第1回は導入と初期の経歴が語られます。

フンメル

 広く知れ渡り、愛されたこの名前を、私は深い興奮した感情を抱かずに、また悲しくも魅力的な記憶をよみがえらせることなしに書くことができない。しかし、故人たち、しかも人々がその活動的な人生を目の当たりにし、闘士あふれる役割を賞賛した故人たちの物語を書くということに、 何かもの悲しい印象を覚えるとしても、時間が彼らの想い出を損なうというよりは、むしろその芸術家の人物像や作品を掘り返してくれるのだ、ということを確認すれば、すぐさま心は慰められる。

 ヅィメルマンは教授としてとりわけ人望厚い名声を残した。彼ほど音楽の進歩に有益な影響を及ぼした教師はいなかった。彼の発言と助言には威厳があった。博識で経験豊かな音楽家、才気あふれる趣味人、そんな彼を、数多いる彼の輝かしい顧客たちは音楽の学習が重視されるすべてのサロンで歓迎した。そして数多いる彼の弟子ならびに彼の流派の教育を受けた芸術家たちの驚くべき輝きからして、ヅィメルマンが偉大なピアノの先覚者の一人であったことは間違いない。広範囲に及ぶ著しい影響は、熟練の教育手腕と、この師によって採用された作品の選択にみられる折衷主義1にある。

 こうしたことがヅィメルマンの担った特殊な役割であり、彼の活動の特性である。彼は、歌劇場にあるいはヴィルトゥオーゾの芳名帳に栄光の名を刻むこともできたであろうが2、その音楽的教養、豊かな想像力から、彼は独自の道を選んだ。彼は慎ましくも重要な、若者の指導者という役回りを好み、その親身な配慮のおかげで著名な芸術家、作曲家、演奏家の集団が育まれ彼の伝統を継承した。この集団は1830年世代と呼ぶことができるが、これは有害な非難ではない。この世代は、狭量な精神の人がどう考えていようと、科学、劇術、文学においてかなりの人数の極めて有能な人材を産出した。今日の小大家たちが務めに励んでいるとき、この時代 [1830年代] の「時代遅れ」な人々がどれほどなお生き続けることだろう!

 ヅィメルマン(ピエール=ジョゼフ=ギヨーム)は1785年、ピアノ製造者の息子としてパリに生まれた。1798年、音楽院の生徒として入学を許可され、高名な作曲家のボイエルデュの指導の下でピアノを学んだ。ボエルデュの器楽曲は高く評価されており、ピアノのためのソナタ、協奏曲、ファンタジー、大変有名なロマンスを書いて、劇的な大評判を手にする下準備をしていた。ヅィメルマンは1800年に、ルイ・アダンの弟子カルクブレンナーと競って、輝かしい一等賞を獲得した。彼はレーとカテルの下で熱心に和声を学び、1802年、この教師のクラスで1等賞を獲得した。その少し後に、彼はケルビーニの弟子となった。ヅィメルマンは、ケルビーニの偉大な伝統と厳格な様式を護ることになった。
 1816年、ヅィメルマンはピアノ科の教授に任命された。1826年、彼は選抜試験を勝ち抜いて対位法とフーガの教授の地位を得た。しかし、彼は寛大にも、この試験の勝者となったことに満足して、自身のライヴァルであるフェティスにその権利を譲った。ヅィメルマンは、自身のピアノのクラスを継続した。それは教育のヒエラルキーの中ではいっそう慎ましい地位ではあったが、彼は熟練した理論家、博識の対位法作曲家として戦闘的なピアニスト・作曲家の世代への多大な影響を残した。彼はすでに、自身の取り巻き、あらゆる顧客、そして権威ある学校に対して諸々の義務を負っていた。

  1. 折衷主義(エィクレクティスム)はヅィメルマンの活躍した1820年代から40年代に哲学分野で体系化された方法論で、過去・同時代の諸体系から真と判断された要素を抽出してより上位の体系を構築する手法。フランスの哲学者クーザンVictor Cousin(1892-1867)によって推し進められた。
  2. 彼は少なくとも二作のオペラを作曲し、うち一作《誘拐》は上演され音楽的には成功した。「音楽的には」というのは、台本の欠陥のために持続的な成功とはならなかったからである。また、学生時代はヴィルトゥオーゾとして名高く、音楽院の修了試験で学友のカルクブレンナーを留年させるほどの輝きを放っていた。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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