<ピティナ50周年を振り返る>2000年代~組織編

文字サイズ: |
2016/07/20
ピティナ50年を振り返る
組織編
◆ 組織編
ステップ・ステーションの拠点が増える

ピティナ・ピアノステップが全国的に広まる中、2003年、第1号巣鴨ステーションでは早くも継続10回記念を迎えた。人々が行き交う場所=ステーションとして、過去10回で1,271名が参加した。「1997年に初めてのステップをお手伝いした時、パスポートをもらった大人の参加者が全身で感動を表していたのです。40~50代を過ぎてから、このように素敵に喜びを表すことができるなんて、これはすごいと思います。勇気をもって最初に参加された方のおかげです」(237号p54-55、巣鴨ステーション代表・上総治子先生談)。

IT環境の整備が進む

IT環境整備により、ピティナの機動力はさらに生かされるようになった。2002年当時、ピティナHPには年間30万件のアクセスがあり、会員個人HPとの相互リンクを呼びかけたり、「ピアノ」にまつわる様々な企画や読み物・漫画連載なども充実化を図っていた(240号p42-43)。Web&会報の連動企画も生まれている(「表現力を鍛えるエチュードのレッスン」(247号特集1 p11-) 2007年には「ピティナコミュニティ」が始まり、当時350カ所以上の支部・ステーションがオンライン上で自由に情報公開・交換する環境が整った(268号p42-43)。
Web以外では、2007年に「ピティナYouTube channel」がスタートし、コンペ入賞者やピアノ曲事典関連の映像を国内外に向けて広く発信するようになる。1998年にスタートしたピティナ・メールニュースは登録者数が一気に増え、6年で50倍以上に(1998年150名→2004年8,014名)!2016年現在は、53,600名余に毎週お届けしている。

大人数から生まれるアイディア

2000年時点でピティナ会員数は7000名に到達した。このヒューマンリソースを個人個人が有意義に活かすため、どのような意識を持てばよいのか。自らネットワークを活用するためのアイディアを特集「ピアノ指導者7000名のネットワーク活用法」(215号 p5-23) でまとめている 。各種委員会や連絡会も定期的に開かれる中、多くのアイディアを取り入れ、よりよい方向性を探っていくというスタイルは定着した。審査員・アドバイザー連絡会、ステーション連絡会で90グループで大討論!(265号p8-9p59-65

創立40周年、初期のメンバーが語るピティナ

2006年に創立40周年を迎えたピティナ。記念演奏会「三大ピアノコンチェルトの夕べ」では、歴代グランプリの関本昌平、須藤梨菜、金子一朗の各氏が、渡邊一正指揮・NHK交響楽団と共演した(265号p4-5)。また副会長・中山靖子先生が40年の歩みを語っている「ピアノ教育の底辺が広がった40年~美しく正しいクラシック教育の伝統を継承しながら」(261号p8-9266号p74-75)。こちらは現在も活躍する会員番号第1番・杉谷昭子先生による巻頭随筆である(273号p8)。なお創立者・福田靖子元専務理事は2001年に永眠。翌春にはモーツァルトのレクイエムをもって追悼演奏会が執り行われた(230号p4-7)。

寄付で築かれる音楽文化

一人一人のご厚意で音楽文化が築き上げられていく、その際たる例が福田靖子賞オーディションだろう(240号p91「心の豊かさ」)。ピティナ創立者である故福田靖子先生の遺産、および会員の先生方からの寄付によって、福田靖子賞基金が設立され、2003年に「若い才能あるピアニストが海外へ羽ばたくための奨学金」を授与する福田靖子賞オーディションが初開催された。

支部の新たな役割

ピアノ指導者の活動拠点の一つである支部やステーションに、新たな役割が加わった。1998年に発足した神戸中央支部では、神戸淡路大震災後、子供達の心のケアの問題があがり、人が強く生きていくためには芸術の力が必要、という機運が高まっていた。そんな時、ピアノ指導者同士が力を合わせて支部を立ち上げたことで、地元の次世代にとっても大きな希望に。(240号p40 支部を訪ねて 神戸中央支部

INDEX
1960年代~
1970年代~
1980年代~
1990年代~
2000年代~
2010年代~

【GoogleAdsense】