<ピティナ50周年を振り返る>2000年代~コラム:社会とのつながり

文字サイズ: |
2016/08/31
ピティナ50年を振り返る
コラム
◆ コラム~社会との繋がり
グランプリや会員が学校訪問演奏へ

2005年より学校クラスコンサートが始まり、グランプリや会員が地元小学校を訪問し、コンサートを開くようになった。第1号は2001年度グランプリ佐藤展子さん(「学校の教室でプロの生演奏を!」252号p5p80-81)。同時に会報連載「学校がコンサートホール」 も始まり、支部主催のクラスコンサート (259号p38-39261号p48-49) 、子供たちの率直な声や感動(262号p38-39)、ステーション活動として(266号p38-39)など、様々な企画が紹介された。

街角がステージに

演奏するステージはコンサートホールだけではない。街中でのコンサートが増えてきたのもこの頃。毎年GW中に開催されるラ・フォル・ジュルネ・エリアコンサートや、 丸ビルコンサート、アムラックスコンサート、日本財団ロビーコンサートなど、街角でピティナっ子や会員が音楽を奏でるようになった。こうして街角の風景は少しずつ変わってくる。

音大と社会のつながりに

2000年よりインターンシップ制度が導入され、東京音大生3名がピティナのインターンに(218号p6) 。また修了後にはインターン生および音大関係者を交えた座談会が開かれ、インターンの意義や成果、今後の期待などについて話し合われた 「学生は各々「頑張りたい」と思っていても、毎日を追われるように過ごし、大学生活だけにはまってしまいがちです。社会を見る機会や社会との接点を持とう意識が断絶されていた私に、インターンの募集は視野を広げさせてくれるものであったと思います。」 「インターンの今回の体験は、社会人になるために自分には何が必要なのかと同時に、大学で何を勉強する必要があるのかを考える機会になりました」(特集「音楽が切り開いた道」、220号p11-)また2002年度グランプリ田村響さんが、なんと中学生初の企業研修に臨んだ(225号p8)。

楽譜のあり方が変わる、楽しみ方も多様に

楽譜は紙媒体だけでなく、デジタル媒体も出現。デジタルならではの特性を活かしたのが、2005年に始まったミュッセオンデマンド楽譜サービスである(259号p50)。 自分の好きな曲を選んで1冊の楽譜にできるだけでなく、アナリーゼ譜や編曲譜など、会員個人の創意工夫を反映させた楽譜も販売されるようになった。一方で、アンティーク楽譜の収集を楽しむ方も。「弾く側も聴く側ももっと多様性を楽しむ時代だと思います。・・・もっと広いものの一部としておおらかに音楽を楽しむ状況を作りたい 」(幅至氏、272号p42-43

楽器の歴史を知ること

楽器の構造や歴史的変遷に対する関心も高まってきた。2009年のピアノ300周年記念コンサートでは、オルガン、チェンバロ、フォルテピアノ、モダンピアノをずらりと並べての演奏比較や、古楽器体験コーナーも(282号p68-69)。ステップでもチェンバロなどを演奏できる地区が現れる。なお楽器研究は、「ピアノレビュー」(252号p46)や「ピアノ楽器事典」(オンライン公開中)などで展開されていく。

自然災害を受けて

自然災害の記録から。1993年には地震被災地の奥尻島へ楽器を送って支援(北海道支部長石川氏、176号p52)。また 2004年新潟県中越地震では会員の生徒さんが還らぬ人に。「地震があった瞬間は私はステップの真っ最中で、所沢のホールもかなり揺れました。・・・ 短い音楽人生を終えた小さなピアニスト(3歳)に哀悼の意を表するとともに、私たちは「音楽を愛することができる」ということに感謝し、生きられかなかった人の分まで一生懸命生きなければならないと痛感しました」(佐藤弓子先生、247号p80

INDEX
1960年代~
1970年代~
1980年代~
1990年代~
2000年代~
2010年代~

【GoogleAdsense】