<ピティナ50周年を振り返る>1970年代~海外の教育法が上陸

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2016/05/02
ピティナ50年を振り返る
海外交流編
◆ 海外交流編~海外の教育法が上陸
読譜や奏法に関して、海外で薫陶を受ける
34号p2写真

音楽の本質的な学びとは何か?多くの会員から海外留学体験記が寄せられている。「(ウィーン・アカデミーで) あけてもくれても「ゆっくりさらいなさい」「最適な指使いを選び出しなさい」と、大変厳しい教え方でした。 本当のレガート奏法のなんたるかを教えられました」(34号p2-5 山田貢先生「チェンバロに魅せられて」)。「(ウィーンでは)私の場合、譜読みの時はピアノのふたをしめて、楽譜を読むよう教育されました。楽譜をよむことにより、その曲の構成やディナーミクのつけ方などを先に頭の中で理解し、その後初めてピアノに向かうということです」(47号p10-11 深沢亮子先生「ウィーンのピアノ学習について」

アメリカでは室内楽が必修と知る
33号p4カルテットメンバーとの写真

カリキュラムの組み方からも、音楽の学び方の違いが見えてくる。室内楽の重要性に触れたアメリカ留学体験記より。「(米ハートフォード大学を経てジュリアード音楽院に進学)ピアノをソロ科に入り、勉強したわけです。一方、ソナタクラスといって、この点が日本の音楽大学に少ない点だと思うのですが、室内楽のクラスを必ず取らなければいけないので、ヴァイオリンソナタとか、チェロソナタを勉強したけです。」(33号p2-5 岩崎淑先生「私の学んだ世界の名演奏家たち」

西欧だけでなく、東欧・ソ連でも衝撃を受ける

「ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー初め、東欧諸国のモダン追求の激しさと並々ならぬ感性・力量と未来性を見たこと。ソ連の作曲家の技術・水準が予想外に高度なものであったこと。とりわけシチェドリンの書法と感覚の洗練を知ったこと」(54号p14 木村雅信先生 会員だより

海外のピアノ指導者国際会議に出席
47号表紙写真部分

MTNA全米音楽指導者協会など、海外の指導者団体と積極的に交流を図り始める。1972年には福田靖子先生がMTNA国際会議に初出席、そこで得た体験や学びを会報でシェアしながら、現在に至るまで交流を続けている。(65号p10-11 高木紀子先生「MTNA会議に参加してinハワイ」)(48号p2-3 福田靖子先生「アメリカの音楽教育事情~MTNAについて」

海外アーティストの来日公演評論が盛んに

ルービンシュタインやアシュケナージなどの世界的アーティストが来日公演し、会報に転載されている評論から、当時の熱狂が伝わってくる。(60号p4-5 野村光一先生「名ピアニストとその音楽」)(69号p15左 新聞寸評より、アシュケナージとベルマンのリサイタル評) また「アメリカにはヨーロッパの伝統を引き継がない、新しい演奏解釈が存在するようだ」(51号p10-13 エドワード・アゥワーリサイタル評)といった評論も興味深い。

海外への研修旅行始まる
51号p7写真

指導力・演奏力研鑽のため、早くから海外への研修ツアーが組まれるようになった。アメリカ邦人作品演奏旅行(50号P4-651号p6-8「私たちのアメリカ旅行」)、夏のヨーロッパ旅行(60号p15)、パリ・ウィーン・プラハのヨーロッパ三大音楽学校訪問ツアーも実施されている(65号最終頁)。

バスティンメソード上陸!
68号表紙写真部分

「バスティンメソードで学んだ子が、ソナチネ程度を弾く子であれば、ソナチネ程度の曲を創作して演奏しているのにびっくりし、日本に紹介しようと思った」と福田先生(64号 p12)。それからバスティンメソードを通じた日米交流が深まり、バスティン・チョス氏などとの面会報告(51号p6-8 井上芳子先生 「私たちのアメリカ旅行」)や、バスティン先生来日記念全国ツアー(68号p2-7)も組まれた。またバスティンと他メソードの比較(68号p5 川崎智子先生)、他メソードからバスティンへの移行(70号p12 上総治子先生)など、バスティン研究および研究会が全国に広がり、今に至る。

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