海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

耳をひらく~第3章:論理力&俯瞰力(2)音空間を細かくとらえる(音色)

2017/06/15
何を聴いている?~グローバル時代のための聴力
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論理力&俯瞰力
②音空間を細かくとらえる(音色)

人間のさまざまな心理や森羅万象を表現してきた音楽を演奏するには、多様な音質・音色・音量が必要になる。音情報を細やかに受けとめられるようになると、音を自ら創造することもできる。不思議なもので、耳とイメージと身体がつながると、楽器からそのような音が出るようになる。では、演奏家はどのように音色や音質の幅を広げているのだろうか。国際コンクールの事例からご紹介したい。それぞれ音には根拠があり、偶発的に出ているのではないことが分かる。

オーケストラから学ぶ

「音のバランスというのは、決してピアノで左右の音量のバランスを整えるだけではなく、室内楽や交響曲でどの楽器がどのくらいの配分で音を出すか、というイメージなんですよ」と語るのは、ピアニストのアンヌ・ケフェレックさん。2010年度エリーザベト王妃国際コンクール期間中に行われたマスタークラスでは、モーツァルトのソナタ第14番ハ短調を、「1楽章は交響曲のように厳格さと緊張感を、2楽章はアリアのようなカンタービレで、3楽章は木管楽器のように異なる感情と色彩を出して」と、まずは大づかみに概念を伝えてから、細かい指導へ入っていた。ご自分でもピアノを小編成のオーケストラのように響かせられるよう、音色・色彩感から想像力を広げていくという。

オーケストラの音は、多くのインスピレーションを与えてくれる。2013年度ヴァン・クライバーン国際コンクールのファイナリスト、ニキタ・ムンドヤンツさんは大変細かい音の層を持っており、いい加減に出している音は一つもないと思わせるほどに、曲の細部まで丁寧に表現していた。たとえば、霧の中から立ち上がってくるような陰影と奥行あるドビュッシーの『沈める寺』(前奏曲第1巻)が秀逸であった。この奥行きある音色は、オーケストラからも学んでいるそうだ。「オーケストラの音に単に似せるのではなく、ピアノはそれ自体が豊かな音を持っていますので、ミックスすることで何か新しい音を見出したいのです。ドビュッシー『前奏曲』のオーケストレーションもいくつか知っていますが、この曲に関してはピアノのオリジナル版の方がより音色が豊かですね。時々魔法のような音がありますが、オケ版にそのピアノのニュアンスを盗み取ったような音があります」。(2013年度ヴァン・クライバーン国際コンクールセミファイナル:耳の良さと対話力

オペラやバレエから学ぶ

オペラやバレエなどから、ピアノへ編曲された作品も多い。登場人物、音楽、歌、物語の進行、舞台背景・・すべてをピアノ1台で表現するわけで、それは多彩な音質と表現が求められる。2010年度モーツァルト国際コンクール優勝のフェデリコ・コッリさん(イタリア)は、オペラ作曲家であったモーツァルトの特徴を深く理解するため、『魔笛』『ドン・ジョバンニ』『フィガロの結婚』などオペラの台本を原語で読んだという。

「モーツァルトの音楽はまるで言葉を話しているようです。『フィガロの結婚』ではフィガロが女性について歌うアリアがありますが、モーツァルトがその台詞に合わせた音楽は実に見事です。フィガロが悲嘆に暮れている時、女性がつれない時など、音楽は確かにそのように鳴り響いています。器楽作品を弾く時もこうしたオペラの情況を考えることが大事です」(2010年度モーツァルト国際コンクール「寝ても覚めてもモーツァルト」

コッリさんはその2年後にリーズ国際コンクールでも優勝しているが、この徹底した学びがモーツァルトだけでなく他の曲にも生かされていた。たとえばショパンのスケルツォ3番も単なるパッセージの繰り返しに陥らず、音色やテクスチュアを変化させながら多彩な表情をつけていた。

2013年度ヴァン・クライバーン国際コンクールでファイナリストとなった阪田知樹さんも、やはりオペラ的な音色の多彩さが感じられる。たとえばヴェルディ=リスト『「アイーダ」から神前の踊りと終幕の二重唱』は、煌めくようなパッセージは金糸の羽衣を思わせるほどの柔らかさと艶やかさがあり、また弱音の美しさは気配をよく表現し、この物語をエキゾチックに彩っていた。最後は死と引きかえに得た愛の勝利を感じさせる、ニュアンスある弱音で幕が閉じられた。(2013年度ヴァン・クライバーン国際コンクールセミファイナル:耳の良さと対話力

自身がオペラ歌手のごとく、情熱的に繊細に歌い上げるようなピアニストもいる。同コンクール・セミファイナリストのアレッサンドロ・デルジャヴァンさん(イタリア)による、モーツァルト『グルックの歌劇「メッカの巡礼たち」のアリエッタ「愚民の思うは」による10の変奏曲K.455』は、少ない音で大きな空間や世界観の広がりを感じさせ、逞しい想像力が反映されていた。(2013年度ヴァン・クライバーン国際コンクール予選II:音・曲全体から伝わるもの

一方、バレエ音楽を原曲とするストラヴィンスキー『ペトルーシュカから3つの断章』が人気であるが、同コンクール優勝のワディム・ホロデンコさん(ウクライナ)は、藁人形であるペトルーシュカという存在の滑稽さややるせなさなど、細かい表情の変化をちょっとした音や間で表現する。バレエ音楽であること、そしてその物語の展開も思い出させてくれる演奏だった。この曲は予選・セミファイナル通じて8人が選曲したが、彼はバレエ音楽という原点を感じさせてくれる解釈だった。(2013年度ヴァン・クライバーン国際コンクール予選II:音・曲全体から伝わるもの

当時の楽器から学ぶ

作曲家が生きていた時代にはどのような音楽環境や楽器があったのか、楽器の構造や響きを知ることで楽曲の理解も深まる。ショパン研究者のジョン・リンク先生は、「私は1846年製プレイエルのアップライト(ピアニーノ)を自宅に保有していますが、ショパンが愛した音にとても近く、当時のことを知ることができます。また現代ピアノも含めて、あらゆる時代の楽器にたくさん触れてみることをお勧めします」と語っている。(2015年度ショパン国際コンクール審査「深く洗練された理解を」)。

最近は古楽器やパイプオルガンなどあらゆる鍵盤楽器の演奏機会も増え、実際に響きを聴いたり、触れているピアニストも増えているように思う。それが現代ピアノで弾くときのインスピレーションにもなる。こちらは2013年度ヴァン・クライバーン国際コンクール参加者から。

スキピオーネ・サンジョヴァンニさん(イタリア)は、フランク『前奏曲、コラールとフーガ』では教会のパイプオルガンのような響きを演出していた。・・バスの豊かな重量感が和音に立体感を与え、それが空間の広がりを背後に感じさせた。単なる音量ではなく、いかに立体的に多層的に響きを作りだすのかが、音楽全体の壮大さや壮麗さに繋がっていくと感じた。

またマルチン・コジャックさん(ポーランド)は、ベートーヴェン(ソナタ第8番「悲愴」)のやや控え目な表現から、ブラームス(ソナタ第1番)はベートーヴェンの影響が残りつつも音質・音量・感情表現はより豊かになされ、当時の楽器の規模や時代様式の変化を相対的に感じさせてくれた。(2013年度ヴァン・クライバーン国際コンクール予選I~音から伝わるもの

歴史、自然、瞑想から学ぶ

作曲家は広い世界を見たり、多様な自然に触れたり、古今東西の文書や絵画を見たり、自己との対話をして、その気づきを曲にしてきた。たとえば2013年度エリーザベト王妃国際コンクールで、ファイナル新曲課題曲"In the Wake of Ea"を書いたミシェル・ペトロシアン氏は、古代バビロニアの碑文から着想を得たという。チェレスタやハープ、様々な打楽器を用いた神秘的な音響効果や、ピアノとオケの絡み合いが印象的な、美しい作品である。
「古代バビロニアで使われていたリラ(竪琴)には前5本、後5本の弦があり、中でも第4の弦は『エアの神が創った弦』として別世界と通じていると考えられていました。そこでこの曲ではピアノを『第4の弦』に見立てています。・・リラの弦10本のうち、9本はオーケストラと考え、その中でピアノをどう活かすのか。ピアノだけでなく、他の楽器にも弾く時間・空間を与え、心を配って頂きたい。これはまさに人と人の関わり合いです」。

演奏家がこうした作曲家の意図をくみ取るには、ピアノから少し離れて行動範囲を広げ、想像力を膨らませることも大事である。ピアニストのパスカル・ロジェ氏は、10代の頃ジュリアス・カッチェン先生からこう学んだという。「ピアノから離れなさい。ものを考えたり、本を読んだり、美術館で絵画を見たり、芸術、文学、哲学・・・色々なものを受け入れて視野を広げることも大事ですよ。音楽はピアノの前で考えるだけでなく、人生を知ることでもあり、他人の心情に思いをはせることでもあるのだから」。(参考記事:2012年度リーズ国際コンクール~審査員パスカル・ロジェ先生が語る10代のピアノ教育

また日常から少し離れ、自然を散歩したり瞑想することも、想像力を膨らませてくれる。チャイコフスキーやショパンなど、主要国際コンクールで優勝・入賞歴をもつダニール・トリフォノフさんは、音に対する鋭敏な感覚を持ち、圧倒的な美音と極めて大きなフレーズで音楽を捉える。頭の中で描いている音楽は、空想の世界のように際限がない。想像力の源が「瞑想」というのは、音楽からも確かに伝わってきた。(2010年度ショパン国際コンクール入賞者インタビュー

音を微細に聞き分けるために

音楽はダイナミックでもあり、繊細でもある。音を微細に聞き分けるための教材は、先日もご紹介したフランスの聴音教材『La Dictée en Musique』などが役に立つだろう(第2章④)。こちらは最上級の第7巻である。合唱曲を聴くと、ピアノでポリフォニーの曲を演奏する際にも役に立つだろう。

<第7巻>
  • 「リズム」次々と現れる様々な楽器のリズム(ミヨー『屋根の上の牛』より)、ジャズ風のリズム(ショワニエ『ライン12』)、変拍子(エディト・カナート・デ・チジ『モイラ』)、緩やかなテンポでの躍動的なリズム(バッハ『パルティータ6番』よりサラバンド)、似て非なるリズムの連続(メシアン『世の終わりのための四重奏』より)など。
  • 「メロディ」三声すべて(バッハ『オルガン小曲集』よりBWV614)、内声と左手和声(ショスタコーヴィチ:ピアノ独奏『3つの小品』)、細かく速い旋律(マントヴァーニ:ピアノ独奏『ラ・モルテ・メディタータ』)、三声の上二声、上下二声、内声のみ、三声すべて(クロード・ル・ジュヌ:エールと詩篇歌集より)など。
  • 「ハーモニー」通奏低音(ヘンデル『司祭ザドク』より)、調性・和音度数(チャイコフスキー:ピアノ独奏『四季』より「4月 松雪草」、シューマン:歌曲『蓮の花』)など。
  • 「楽器の響き」同じ旋律を交替で担当する複数楽器、p?pppで気配を演出している楽器(ドビュッシー:管弦楽曲『夜想曲』)、独奏器楽曲のオケ編曲版を聴き取る(ドビュッシー:ピアノ独奏『エチュード』10番)、など。
  • 「混合問題」オルガン曲の全パート(バッハ『トリオソナタ第6番BWV530』)、弦楽器すべてのパート(ベートーヴェン『弦楽四重奏7番』)、声楽曲の混合四声部すべて(パーセル『メアリー女王のための葬送音楽』、ブラームス:2つのモテットより『何ゆえ悩む者に光を与えたのか』)、様々な楽器を同時に聴き取る(ガーシュウィン『パリのアメリカ人』)、中世の混合三声(13世紀作曲者不明)など。その他「間違い探し」。 

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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