海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

エリザベート王妃国際コンクール(2)ファイナル課題:古代バビロニアから着想

2013/05/26
●1週間でファイナルの新曲課題曲を仕上げる!

エリザベート王妃国際コンクールは、いつもファイナルが最も面白い。古典ソナタ1曲+新曲課題曲(ピアノとオーケストラのための作品・約10分)+ピアノ協奏曲1曲が課題であるが、この新曲課題曲こそがコンクール最大の山場なのである。

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ファイナリスト12名は本番を迎えるまでの1週間、ブリュッセル郊外にあるエリザベート音楽大学に缶詰めになり、新曲課題曲に取り組む。この1週間は外部とのコンタクトは一切絶たれ、自力で新曲に向き合うことになる。

その新曲とは、前年度の作曲部門グランプリ受賞作品である。ちなみに2012年度ヴァイオリン部門では、酒井健治さんの「ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲」が課題となった。この作品は2011年度作曲部門グランプリに選ばれ、日本でも話題になったのが記憶に新しい。(写真は今年のファイナリスト。photo:Queen Elisabeth Competition)

●古代バビロニア音楽から着想を得たファイナル課題

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今回は応募作品141作品から5作品がファイナルに残り、細川俊夫氏を含む7名による審査を経て、ミシェル・ペトロシアン作曲"In the Wake of Ea"がグランプリに選ばれた(Michel Petrossian・写真左端)。ファイナルに先だって行われた記者会見で、総譜を見ながら音源を聴かせて頂いたが、チェレスタやハープ、様々な打楽器を用いた神秘的な音響効果や、ピアノとオケの絡み合いが印象的な、美しい作品である。

この曲は、ベルギー人学者が解読した、古代バビロニアの碑文に着想を得ているそうだ。タイトルにある「エア」とは地下水脈と芸術を司る神で、バビロニア音楽の中心をなす存在だという。

「古代バビロニアで使われていたリラ(竪琴)には前5本、後5本の弦があり、それが当時の音階とも一致していました。中でも第4の弦は特別な意味を持ち、『エアの神が創った弦』として、別世界と通じていると考えられていました。そこでこの曲ではピアノを『第4の弦』に見立てています」。

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一方ピアノ以外に、チェレスタやハープを含む各楽器にもソロパートを持たせ、存在感を与えている。「リラの弦10本のうち、9本はオーケストラと考え、全体の中でピアノ(第4の弦)をどう活かすのかを考えて頂きたいですね。ピアノだけがずっと鳴っているのではなく、他の楽器にも弾く時間・空間を与えること、これはまさに人と人の関わり合いです。ですから、オーケストラとどう関係を築くのかにも心を配ってほしいと思います」。(写真:12名のファイナリストと作曲者ペトロシアン氏との対話。photo:Queen Elisabeth Competition)

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ペトロシアン氏はパリ国立高等音楽院で学び、在学中から様々な委嘱作品を手がけていたそうだ。古代文明と文献学(史的言語学)にも関心を持ち、ヘブライ語、ギリシャ語、ウガリット語、アラム語、バビロニア語、古代教会スラブ語、アルメニア語を学び、ソルボンヌ大学では修士号を取得。またエルサレムのフランス聖書考古学学院での研究活動を通じて、近東の音楽にも興味を持つ。現在新作オペラを手掛けており、米脚本家レスリー・ダントン=ダウナー(2013年ベルリン賞受賞)と組んで、音楽と文献学を融合させた歌曲で、新境地を開拓している。もの凄い徹底ぶりである。(photo:Queen Elisabeth Competition)

最近日本でも小説・漫画・映画等をきっかけに古代ローマがブームになっているが、古代は現代人の想像を掻き立ててやまない。数少ない資料から解き明かされてくる古代の世界は、実に色彩鮮やかで、人間らしく、そして音と香りに満ちている。調性が行き着いた末に旋法へ回帰したように、古代への回帰によって、歴史の中で削ぎ落とされてしまった響きが蘇ることがある。古代バビロニアからインスピレーションを得た曲、12名のファイナリストはどのように解釈するだろうか。ぜひライブ配信やアーカイブでもお聞き頂きたい。

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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