海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

アンヌ・ケフェレック先生マスタークラス「曲想をつかむ力」―エリーザベト王妃国際コンクール(3)

2010/05/23

来週月曜日24日から始まるエリーザベト王妃国際コンクールのファイナル。ブリュッセル近郊の静かな場所でファイナリスト12名が新曲課題曲に取り組んでいる間、市内では審査員4人によるマスタークラスが行われました。
今回はフランスを代表する女流ピアニストの一人、アンヌ・ケフェレック先生によるマスタークラス&インタビューをリポートします。
 

曲想をぱっとつかむ力

100520_queffelec.gifブリュッセル市内にある楽器博物館にて、セミ・ファイナリスト4名を含む計8名のマスタークラスが行われました(5/17,18)。

ケフェレック先生のレッスンの特徴は、あたかも指揮者のように、音楽を大きな規模でとらえるところ。例えばベートーヴェンのワルトシュタイン・ソナタでは第2楽章の冒頭で「ここは第1ヴァイオリンとフィッシャー・ディースカウのバリトンで」といったように、他楽器の音や声と結びつけながらピアノ曲に奥行と色彩をつけていきます。その引用する楽器の多彩さや鍵盤上での再現力は、さすがピアニスト。また「その音はこちらの方向から飛んでくるように」といった一言にも、ステージ上でオーケストラの音に耳を傾けている姿が浮かんできます。そのアプローチを最も象徴していたのが「音のバランス」に言及した時。

「バランスというのは、決してピアノで左右の音量のバランスを整えるだけではなく、室内楽や交響曲でどの楽器がどのくらいの配分で音を出すか、というイメージなんですよ」。

 またケフェレック先生が何度かマスタークラス中に述べた言葉があります。それは「概念化」すること。例えばある生徒が弾いたモーツァルトのソナタ第14番ハ短調では、「1楽章は交響曲のように厳格さと緊張感を、2楽章はアリアのようなカンタービレで、3楽章は木管楽器のように異なる感情と色彩を出して」と、まずは大づかみに曲想を説明していきます。
「モーツァルトのソナタで短調は2曲だけ。短調の曲には、より個人的で、深く繊細な感情が表現されているのです。あなたの演奏はとても感じよかったけど、この曲はあまり感じよく弾いてはいけないのよ(笑)。」

「概念化」する力とは、本質を一言でぱっとつかむ力ともいえるでしょう。
そのためには、まず全体を支配する音楽の流れを見抜くこと。曲の構造や曲想から作曲家が何を表現したいのかを読みとき、その概念(コンセプト)を言葉などで表してみます。すると自分のとらえた音楽が明確に意識化され、それが自分なりの表現方法と結びついた時、より力強く人に訴えかけます。

また全体像がつかめるとテンポやフレージングにも一貫性が生まれ、「何が言いたいのか」が伝わりやすい音楽になります。現役ピアニストであるケフェレック先生のレッスンからは、演奏が自己満足に陥らず、「人に伝えること」を意識する大切さも伝わってきました。


 

ケフェレック先生インタビュー 天真爛漫な明るさ

コンクール審査中は演奏メモを細かく取っていたというケフェレック先生。このマスタークラス後、週末をパリで過ごすためブリュッセル中央駅へ向かう先生に、車中でインタビューしました。

 

―このコンクールは新曲課題が2曲あります。先生ご自身は初めての曲に取り組む時、まず何をされますか?またセミファイナルの新曲については、どのような感想をもたれましたか?

 

まずちょっと弾いて、音の行方を聴いてみます。それから初見して音楽全体の感じをとらえ、さらに詳しく曲の構造や和音、ハーモニーなどを見ていきます。
新曲Jean-Luc Fafchampsの「Back to the Sound」はとても素晴らしい曲で、自分で弾きたいくらいです。とても詩的で、現代音楽によく見られる輝くような音もありますし。デュティユーのようなフランス作曲家を思い起こさせますね。それにピアノの弦が苦しんでない(笑)。

 

―マスタークラスでは、ピアノの音をオーケストラの楽器や絵の表現に結びつけることが多いですね。いつもこのようなアプローチをされているのでしょうか。

 

そうですね。ピアノを小編成のオーケストラのように響かせるために、特定の色彩(を感じる音)から想像力を広げていきます。また、その楽曲の特徴をどのように見せたいか、常に自分に問いかけています。

 

―よく人の声や歌にもたとえていらっしゃいました。若いピアニスト達の呼吸については、どのようにお考えでしょうか。

 

歌も息継ぎしないと歌えませんし、音楽のフレーズは呼吸と密接な関係があります。それと特にピアノで問題になるのは、ペダルとの関係ですね。ペダルはもっと耳と繋がっているべきだと生徒達にもよく言っています。呼吸やハーモニー、美しい旋律の歌わせ方が、あまりペダルの使い方と結びつけて考えられていないように思います。

 

―これからの課題ですね。ところで色彩という言葉や絵画的な表現もレッスンでよく出てきましたが、先生ご自身はどのような絵画がお好きでしょうか?

 

フランスの印象派モネ、マネ・・フランドル派のフェルメール、レンブラント、それからジョルジュ・ラトゥールもとても好きですね。彼らが表現している「静寂」が好きなんです。またフランドル絵画に表現されている陽気さにも惹かれます。田舎の風景に出てくる緑、赤、ベージュなどの色彩。テーブルのワイン、街角の犬、子どもたち・・人々の生活や愛に溢れていて大好きです。静寂ではないけれど(笑)。
さらにイタリアのフラ・アンジェリコやカラバッジョなども好きですね。日本の画家では、ゴッホが影響を受けたという葛飾北斎(「神奈川沖浪裏」)など素晴らしいと思います。

 

―ご自分でオペラ「カルメン」やエディット・ピアフなどのシャンソンを歌うのも好き、というケフェレック先生。演奏旅行で各国を訪れ、その土地の人や文化を理解しようとする柔軟性や好奇心も旺盛。駅で電車を待っている間「これ、とても便利なのよ」とカバンから出したのは、緑茶が入った日本製の水筒でした。常に生き生き、天真爛漫な明るさは、絵画のご趣味にも表れていました。

 

 

<参考>アンヌ・ケフェレック先生によるマスタークラス情報
国際音楽祭&アカデミー(Festival et Academie International de Musique)にて、ケフェレック先生のマスタークラスが受講できます。2010年8月2日?8月7日の6日間、レッスンは毎日10時?17時まで。8月7日17時より受講生によるコンサート予定。各部屋にピアノ有。募集人員5名まで。費用1180ユーロ(マスタークラス受講料・宿泊費・食費・同時開催される音楽祭*のコンサート入場料を含む)。
マスタークラス問い合せ先:festival@artenetra.com
*Festival et Academie International de Musique (www.artenetra.com)


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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