19世紀ピアニスト列伝

ルイス=モロー・ゴットシャルク 第1回 : アメリカ出身のヴィルトゥオーゾ

2014/05/29
アメリカ出身のヴィルトゥオーゾ

 今日から、新しい章に入ります。主人公はルイス=モロー・ゴットシャルク(1829-1869)。アメリカで少年期を過ごし、パリに渡って国際的な名声を獲得します。ショパンも激賞した彼の業績は、今日でも忘れられることなく語り継がれています。
ピアノが大躍進を遂げた19世紀、ピアノ音楽における初期の「モノクロ」の古典的形式美は俄然、豊かな色彩を帯びた絵画的な美にとって代わられます。ゴットシャルクは中でも強烈な色彩を放つ音楽画家と言ってもよいでしょう。本文1段落目は少々抽象的な内容ですが、このような19世紀中葉以前と以降のピアノ音楽の変化を言い表しています。

芸術の源泉には非常に様々な出発点、しばしば神秘的で隠された発生源がある。だが、活力を与える中心があるのは、殆どの場合、魂の内奥にほかならない。まさにここでこそ、霊感、感受性、想像力はその輝きを汲み取り、膨張する力を手にするのだ。我々に先立ち、初めて近代的な流派の基礎を据えた作曲家たちは、今日大変に流行している絵画的、描写的、精細で豊かな[音楽の]側面を殆ど知らないか、なおざりにした。彼らの様式の性格と力強さの本質は、着想の巧みな提示と結合、十全な展開にあった。彼らは描く技法については何らの意図も持っておらず、音楽的で練り上げられた一つの言語の中で、純粋に書くという事に満足していたのだ。

それは[いわば]論理学者の流派だった。だが今日、音楽芸術は、絵画や文学と同じく新たな道を見出し、多様な党派を含んでいる。例えば理想主義、自然主義、感受主義1の諸派。さらに今日ではオリエンタリズムの代表者たちとして、フェリシアン・ダヴィッド2、レイエール3ビゼー4がいる。彼らの名は、[画家の]ドゥカン5、マリラ6、フロマンタン7の名とよく呼応している。グノー8、ヴィクトール・マッセ9、デュプラート10といった今日の新ギリシア派11の作曲家たちは、[画家の]アモン12、ジェローム13ならびにアルカイックな画派すべてを思い出させる。ピアニスト兼作曲家の領域では、厳密な意味での風景画家、風俗画家、感傷主義者ないし画趣志向の作曲家の一団が現れた。メンデルスゾーンリストショパンステファン・ヘラー14プリューダン15ローゼンハイン16ヴォルフ17、ドリュー18、シュルホフ19等々は、数多の性格的小品、いわば描写的なジャンルにおける真の珠玉を作曲した。音楽詩人、自然の愛好者たる彼らは、様々な国の習俗、性格、気質を音による言語で翻訳しながら、遠い祖国、や失われた国を歌った。

ゴットシャルクはその作品の個性と品位、並外れたヴィルトゥオジティによって、この流派の中でも特別な地位を占めるにふさわしい。ルイス=モロー・ゴットシャルクは1829年5月8日にニューオーリンズで生まれた。筆者の友人であるL. エスュディエ20は、「著名なヴィルトルオーゾたち」に関する本21の中で、1828年生まれとするフェティス22の間違いを訂正し、彼 [エスキュディエ]がひいきにしているこのピアニストのためにたいへん興味深く詳細に富んだページを割いている。そこに込められた感情は、余りに早くして我々の元を去ったこの芸術家、愛想よく、詩人の想像力を持ち、真摯で忠実な人物に捧げられた敬意である。ショパンにも、リストにも師事しなかったゴットシャルクは、その細やかで繊細、夢見がちな気質の点で、これら傑出した大家の特徴を帯び、ショパンのように、幼い頃から温かい愛情と優しい気配りに抱かれ、貴族的な環境のなかに生まれ育ったので、彼の教養と教育についての配慮は大変に念の入ったものだった。ゴットシャルクの祖父母がニューオーリンズへとやってきた興味深く小説のようなエピソードを全て語る必要はない。彼の母方の祖先はサン=ドマング23のド・ブリュスレ伯爵夫妻である。ルイス=モロー・ゴットシャルクの父はエドゥアール・ゴットシャルクで、ケンブリッジ大学で学位をとったイギリス人の科学博士の若い旅行者だった。旅行の趣味が彼をルイジアナへと導き、若きド・ブリュスレ伯爵夫人と結婚後、この地方に定住した。この結婚によって、何人もの子どもが誕生した。ゴットシャルクの兄弟、姉妹は皆、大変才能に恵まれていた。

ゴットシャルクの家族はポンチャートレイン湖24のほとりにある片田舎に住んでいた。少年期の印象が、将来の作曲家の現実離れした想像力に大きく影響したに違いない。神秘的な森のざわめき、手付かずの自然が奏でる漠たる調べと詩がこの芸術家の趣味と精神を育み、彼に決定的な痕跡を残した。インディアンとクレオール25の歌、非常に独特なリズムをもった黒人の歌、たいへん魅力的で素朴なその土地の旋律がこの音楽家の記憶を満たし、後にこれら全ての素材が彼の頭に溶け込み、新たな気性を生み出すこととなる。

  1. 「感受主義」impressionalisteは一般的なフランス語ではなく、恐らくマルモンテルが独自に用いた言葉。印象主義impressionisteとは異なる点に注意。直接感情に訴えかけることを主眼として作品を書く作曲家を指すと解釈できる。マルモンテルは別の著書『音楽美学の基礎原理』という本で、後に音楽を次のように定義している。「音の連なりによって印象づけるimpressonner芸術」。
  2. フェリシアン・ダヴィッドFélicien David (1810-1876): フランスの作曲家。1830年にパリ音楽院の和声のクラスに登録、対位法、オルガンも履修した。空想的社会主義を唱えたサン=シモンとその弟子たちの教理に共感し、音楽院での勉強は翌年には切り上げた。音楽を大衆啓蒙に活用することを進めたサン=シモン派の公的作曲家として活躍。同派の一団の東方旅行に随行し、コンスタンチノープル、イエルサレムやエジプトと旅した。この経験から、多くの「オリエンタル」な作品を数多く生み出すようになる。22曲からなるピアノの為の《東方の旋律》(1836)、交響曲《砂漠》(1844初演)など。近年ではダヴィッドの再評価が進み、上演や録音がされるようになってきている。
  3. レイエールErnest Reyer [Louis Étienne Ernest Rey], (1823-1909): フランスの作曲家、批評家。音楽院での専門教育は受けていないが、オペラの分野で19世紀の後半に活躍。ベルリオーズ、ヴァーグナー、年下のビゼーら、当時の先進的な音楽家、並びにベートーヴェンやグルックら過去の大家を私淑していた。76年には亡くなったフェリシアン・ダヴィッドに代わり学士院のポストを次いだ。彼もまた、作家たちとの交流を通して東方趣味の作品を多く書いたことで知られる。古代カルタゴを舞台にした作家フロベール『サランボー』に基づく同名のオペラ(1890初演)、独奏、合唱、オーケストラの為の東方的交響曲《ル・セラム》(1850、詩:Th. ゴーティエ)など。
  4. ビゼー Georges Bizet (1838-1875): ビゼーは『カルメン』など異国趣味の作品が有名だが、それ以前に一幕のオペラ・コミック『ジャミレー』のような東方趣味の作品がある。(カイロのハールーン・アッ=ラシードの宮殿における奴隷少女ジャミレーをめぐる喜劇)。
  5. ドゥカンAlexandre-Gabriel Decamps (1803-1860): フランスの画家。新古典主義のアベル・ド・プジョルに師事。1828年、国家から注文を受けたギリシア独立戦争のナヴァリノの海戦でのフランス・イギリス・ロシアの連合艦隊の勝利を記念する絵を描くため、ギリシャへ旅立つ。その後中東へ移動。アトリエを構え、現地の様子を多くのデッサンに残した。主な作品に『トルコのパトロール』(1831年)や『キンブリ族の敗北』(1833年)がある。
  6. マリラ Prosper Marilhat (1811-1847):フランスの画家。ロマン主義の画家カミーユ・ロクプランに一年師事。アカデミックな教育を受ける。二十歳には裕福なオーストリア人が企画した中東への研究調査旅行に専属画家として参加し、そこで受けた印象を帰国後次々とカンヴァスに描いた。それらの作品にはメランコリーの要素が見られるほか、色彩も本物に出来るだけ忠実に表現されている。『カイロの路地』(1840年)のようなオリエントの風景画も描いた。
  7. フロマンタンEugène Fromentin (1820-1876):フランスの画家。半自伝的小説の『ドミニック』で小説家としても知られている。ドラクロワやドゥカン、マリラといったオリエンタリズムの画家たちの作品から中東へ興味を抱き、3回(1846、1847、1856)に亘って現地に赴いた。その時の様子をアルジェリア滞在紀『サハラの夏』、チュニジア滞在紀『サヘルの一年』に記している。これらの旅から着想を得た絵画も数多く残し、主に風景画を専門とした。
  8. グノー Charles Gounod (1818-1893): 歌劇《ファウスト》や《アヴェ・マリア》の作曲者として一般に知られるグノーは、オペラ作曲家としての駆け出しの時期に古代ギリシアの詩人を扱った《サッフォー》(1851年初演)、ギリシア神話上の英雄オデュッセイアの悲劇《ユリシーズ》(1852年初演)がある。
  9. ヴィクトール・マッセ Victor Massé (1822-1884): フランスのオペラ作曲家。パリ音楽院でピアノ、和声、対位法・フーガで一等賞、さらに作曲家の登竜門ローマ大賞を受賞し、オペラ・コミックの代表的な作曲家として活躍した。1866年にパリ音楽院作曲家教授に、72年には同じくオペラの大家オベールの後をついで学士院会員となった。
  10. デュプラートJules Duprato [Jules-Laurent-Anarchasis Hinard] (1827-1892):フランスの作曲家。パリ音楽院で作曲を学び1848年にローマ大賞を得る。1866年にパリ音楽院和声クラスの教授に、71年には和声・伴奏科教授に就任。グランド・オペラ、オペラ・コミックに活躍の場を見出したほか、交響曲も作曲している。
  11. 新ギリシア派:1845年頃から約10年間続いた絵画の傾向で、古代ギリシアに情熱を注ぐ若い画家らによって形成された。新古典主義のような厳格な古典の見直しから歴史画の改革を目指し、軽快で精彩に富むギリシアの作風を拓いた。
  12. アモンJean-Louis Hamon (1821-1874):フランスの画家。ドラロッシュとグレーに師事。ジェロームとの交友を通じてポンペイを知り、これを題材にした作品を手掛けるようになる。
  13. ジェロームJean-Léon Gérôme, (1824-1904): フランスの画家、彫刻家。ドラロッシュの門弟。オリエントを主題とした多くの絵画を残し、オリエンタリズムの画家の中心となった画家。それらの作品は、トルコやエジプトでの滞在を通して作成されたデッサンを基にしている。弟子は総勢で200人以上いたと言われているが、教育の場でも画家として、旅で直接絵画の題材を収集する大切さを訴えた。ジェロームは1847年の官展に提出した作品『鶏闘する若いギリシャ人』で新ギリシア派の先駆者の一人とも見なされている。主な作品に『カンダウレス王』(1859)や『ピュグマリオンとガラテア』(1890)。
  14. ステファン・ヘラー Stephen Heller (1813-1888): 事典項目並びに過去の翻訳連載参照。
  15. プリューダンÉmile Prudent: 事典項目並びに過去の翻訳連載参照。
  16. ローゼンハインJacob Rosenhain (1813-1894): 事典項目参照
  17. ヴォルフEdouard Wolff (1816-1880): 事典項目参照
  18. ドリューCharles Delioux (1825-1925): ドリューはフランスのピアニスト兼作曲家。マルモンテルが音楽院で学んだヅィメルマンの個人的な門弟で、音楽院では和声、対位法・フーガを学んだ。劇音楽の他、100曲を超えるピアノ作品が存在する。その中には、《イタリアの想い出―交響詩》など優れた野心的作品も少なからず含まれる。
  19. シュルホフ Jules Schulhoff (1825-1898): シュルホフJules Schulhoff (1825-1898)はチェコ出身のピアニスト兼作曲家。類まれな才能のヴィルトゥオーゾで、ドレスデン、ライプツィヒで華々しいデビューを飾った後1843年に到着。ショパン、アルカンら当時の先進的音楽家に認められ出版活動を始めた。彼の《アレグロ》作品1(1845)はショパンに、卓越したソナタ作品37はリストに捧げられている。作曲家エルヴィン・シュルホフ(1894-1942)の大叔父にあたる。
  20. エスュディエ Léon Escudier (1815-1881):兄マリーとともにパリで出版社、音楽雑誌編集者を営んだ人物。1837年に創刊した雑誌『ラ・フランス・ミュジカール』はバルザックやゴーティエら選りすぐりの執筆陣を抱えた。パリにおけるヴェルディの主要なオペラはエスキュディエから出版し普及に貢献した。
  21. ここで言及されているのは、エスュディエの著書『音楽誌―我が回想:ヴィルトゥオーゾたち』(1868)。Léon Escudier, Littérature musicale. Mes souvenirs. Les Virtuoses, Paris, E. Dentu, 1868.
  22. フェティス François-Joseph Fétis (1784-1871):ベルギー出身の音楽理論家、音楽史家、作曲家。19世紀を代表する音楽知識人として名高く、とりわけ同時代とそれ以前の音楽家の網羅的研究を試みた人名辞典『音楽家全伝』(全8巻)は今日おいても貴重な情報源として研究に活用されている。ここで問題になっているのはこの事典である。
  23. サン=ドマング:現在のハイチ共和国。17世紀末から1804年までフランスの植民地だった。
  24. ポンチャートレイン湖:アメリカ合衆国、ルイジアナ州の南東部に位置する湖。
  25. クレオール:中南米、西インド諸島の植民地に生まれ育ったヨーロッパ人を指す。フランス、スペイン人を特に言う。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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