海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

ハーバード大学は音楽で人を育てる 討論会レポート【講義&討論まとめ】

2016/08/12
ハーバード大学は音楽で人を育てる 討論会レポート

7月6日、拙著『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』(アルテスパブリッシング)をテーマに討論式勉強会を開催しました。今回は同書をお読み頂いていることを前提に、「未来の社会はどうなっているのか?そこで音楽家は果たす役割は何か?」という中長期的なテーマを設定させて頂きました。講義の概要、討論会の議事録(1ページ目)、および出席された皆様からのリポート(2ページ目)をご紹介させて頂きます。

講義~はじめに
20世紀の人間性の学びから、21世紀は人間の潜在能力開発へ

当日のプレゼン資料

まず日米の大学学部構成状況から、音楽がどのように学ばれているのかを比較しました。アメリカでは音楽は人文学の一環として教えられており、美術、文学、哲学、歴史学、言語学、心理学、などと横並びで位置付けられています。一方日本では、音楽は音楽大学で専門的に学ばれており、総合大学で音楽を学べる環境はまだ少ない状況です。(同書第1章「音楽も学ぶ」・第2章「音楽を学ぶ」を参照)

ではなぜ音楽は人文学(Humanities)としても考えられるのでしょうか?それは「人間の存在や営みを知るための学問」と捉えられるから。逆説的に考えてみましょう。もし音楽から人文学という視点が抜けてしまったら何が起こりうるのでしょうか?

たとえば20世紀前半は、急速な軍需産業化や二度の世界大戦が起きた激動の時代でした。当時の音楽や芸術からも、その極限の状況を知ることができます。オペラ『鋼鉄の歩み』(プロコフィエフ)、映画『モダンタイムス』(チャプリン)などは急速に進む機械化・工業化や、それに伴う人間性喪失への懸念が描かれ、また『ピアノソナタ第6〜8番(戦争ソナタ)』(プロコフィエフ)、『世の終わりのための四重奏曲』(メシアン)、絵画『ゲルニカ』(ピカソ)などには戦争の破壊と恐怖が描かれています。これらの作品は、極限の状況に置かれた人間がどのように感じ・考え・行動したかを物語っており、人間性の深みを理解する糸口になります。

一方、芸術が形式・技法だけのものになってしまうと何が起きるでしょうか?極論ですが、芸術が政治利用された例を挙げましょう。1936年ベルリン五輪の記録映画『オリンピア』には、美しい肉体美と友好的なスポーツ交流の様子が映像に収められていますが、それはアーリア人種を賛美するナチ政権のプロパガンダでした。その裏ではすでに、ベルリン大学でユダヤ人教授排斥や2万冊に及ぶ焚書が行われ、ユダヤ人音楽家・芸術家の作品は退廃芸術とされるなど、思想弾圧が始まっていました(ベルリン大学は1810年創立当初は、哲学が先導する教養大学モデルの草分け的存在の一つで、かつてメンデルスゾーンが音楽教授の配置を提言したこともありました)。つまり国家礼賛のために、美や芸術の形が利用されたわけです。

“感情や思考をもって表現する個人”が意味をなさなくなること、それは人文学を喪失することであり、人間の多様性を知る機会を失い、人間性を尊ぶ文化を失うことでもあります。こうした反省を踏まえ、20世紀後半は人文学がふたたび尊重されるようになりました。

そして21世紀となった現在、多様な人間性を学ぶだけでなく、多様な人間の潜在力をどう活かせばいいか?という新たな局面へ入ったと考えられます。アメリカでは「21世紀型スキルとは何か?そのために何をどう学べばよいか」というテーマが新たに出現しています。その流れを加速している要因の一つは、人工知能の開発です。人間のあらゆる能力や感覚が徹底的に研究され、現在は第3次ブームと言われるディープラーニングにまで至っています。この数年で急速に開発が進み、いずれは人間の能力を超えるとも言われていますが。翻って考えてみれば、われわれ人間は生来、精密かつ複合的な能力をすでに持っているのです。それを引き出していくのが、21世紀の教育になるでしょう。そこで欠かしてはいけないのは、「何のために、誰のために(For what? For whom?)」といった根源的な問いかけです。

21世紀、音楽家の役割は?音楽のある社会をデザインするために

今、こうした「人間とは何か?未来の社会において人間には何ができるか」という大きな問いかけが、社会のあらゆる分野で起きています。問いかけの質が変化しているのです。音楽も例外ではありません。

たとえばエリザベート王妃国際コンクールのファイナルでは、「新曲を自分1人の力で1週間で仕上げる」という課題が出ます(2010年ピアノ部門2012年ヴァイオリオン部門)これは真に自立した音楽家を選ぶために、このコンクールが数十年前から行っている伝統です。また日本では2020年大学入試改革において、思考のプロセスを重視する論述問題が想定されています。それを象徴するのが「この写真を見て、あなたの感じるところを800字以内で述べなさい」といったお題です。(参考:石川一郎著『2020年の大学入試問題』2016年、講談社現代新書)

この二つに共通しているのは、複合的・創造的に考えることと、自ら答えを見出していくこと。我々はすでに個別の理論や教科は学んでいますので、それをどう複合的に組み合わせて答えを導いていくのか、が焦点になります。今後、そのような応用力を高める教育にシフトしていくことが考えられます。

音楽家の将来的な役割についても、同じことがいえるでしょう。人間はどのような潜在能力や感性を持っているのか×社会にはどのような資源があるのか×音楽にはどのような資源や価値があるのか。それらを知った上で、複合的に組み合わせ、新しい社会環境を築いていくこと。音楽のある社会や教育をデザインすること。それができる音楽家、「ソーシャルデザイン型音楽家」を提案したいと思います。(同書第5章「音楽で学ぶ」、第3章「音楽を広げる」*参照)

さて今回の討論会では、「20年後にはどんな社会になっているのか。20年後の音楽家はどうなるのか?」から、「忙しい社会人に音楽の良さをどう伝える?」まで、大小のテーマを提案しました。出席者の皆さんから多くの有意義なご意見や考えを頂きながら、討論は1時間半ほどに及びました。ご参加ありがとうございました!

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<討論内容まとめ>

討論会では出席者の皆様から多くの有意義なご意見を頂きました。ここに短くまとめた議事録をご紹介します。

出席者(五十音順):池上秀夫さん(コントラバス奏者)、大内孝夫さん(武蔵野音楽大学 就職課主任 兼 会計学講師)、岡野勇仁さん(ピアニスト、尚美ミュージックカレッジ専門学校講師)、木村元さん(アルテス・パブリッシング代表)、道嶋彩夏さん(株式会社パソナ ミュージックメイト担当 ユニット長)、濱田志穂さん(ピアニスト、フェリス女学院大学音楽学部非常勤副手)、福田成康さん(全日本ピアノ指導者協会専務理事)、松村謙さん(フリーライター)(議事録作成@ピティナ本部事務局員・高橋遼さん)

◎人間と音楽について掘り下げることでみえる音楽のもつ力

・人間は複雑性をもつもの VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)
音楽は、形式と曖昧さを兼ね備える多様性のあるもの

だからこそ音楽は人工知能に奪われない。

・音楽は「時間」の芸術 その一瞬一瞬の状況を把握し、問を解決し続けているのが音楽 その力は社会生活でも重要とされる。 一方で受験的学力はその場に止まった問に解答を与えるだけ。

◎リベラルアーツの中の音楽を学ぶということ

・リベラルアーツとは、すべてがひとつながりになっているということ。 そのことを表現できるのはむしろ芸術しかないのでは? 音楽だけが切り離された状態(=音楽崇拝)にも対抗できる。

・アクティブラーニングとは、自分が学んできたことのアウトプットを 実際に行いながら学んでいくこと。日々のレッスンもまさにこれ。 ※これらカタカナ言葉がなんとなく一人歩きしてしまっているので注意が必要。

◎音楽が広まるには~「聴く」を掘り下げる~

「自由に聴いてほしい」VS「どう聴いたらいいかわからない」問題 例えば楽器の構造、曲の構造、作曲家の意図。そこに意味を見いだせれば事前知識を得て聴くのは面白いけれど、何も知らない人には響かないこともある。

単音と単音のつながりを見出して「音楽」として捉えるのは聴き手の営み。その捉え方は聴き手に委ねられるべきで、複数あってよい。

音楽は語れるようになって初めて「聴けた」と言えるのではないか。語るための言葉をもつことが「音楽を聴くことを学ぶ」ということでは?

演奏者は語れるほどに音楽の魅力を知っているか。それを引き出せているか。演奏を聴いた後に理解が深まることもある。自分が演奏を通して変化していることのあらわれ。

◎音楽が広まるには~演奏者の推進力~

ターゲットを明確な演奏会を行う

そのテーマは広いものでいい
どの分野に対しても音楽はつながりを見いだせるはずなので、どんな相手でも好奇心をくすぐるテーマ設定は可能

「音楽を知っているとどんないいことがあるの?」に答えられる力が演奏者にあるかどうか。

音楽はジャンルごとに相容れない印象があるが、相互的に高め合えばいいのではないか。他ジャンルを知ることで活きることもある。

◎「ソーシャルデザイン型音楽家」の提案

"音楽のある社会"を模索し発信する音楽家のあり方。

例えばコミュニケーションツールとしての音楽
国境や宗教や、いろいろなものを越えて人々がつながれるもの。
ソーシャルデザイン型音楽家になるには、それこそリベラルアーツが必要。


菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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