会員・会友レポート

"息を切らして" ─ リゲティのピアノのためのエチュードへの誘い ─(トーマス・ヘル)【前編】

2014/10/03
"息を切らして" -リゲティのピアノのためのエチュードへの誘い-【前編】
トーマス・ヘル

ハンガリーの作曲家ジェルジュ・リゲティは、ピアノのための18のエチュードを作曲した。その最後から2番目のエチュードのタイトル "息を切らして" は、多くのピアニストそしてコンサートの聴衆に対して、この曲集の持つ恐ろしい難しさをぴったりと印象づけ反映している。そして、このエチュード集は既に20世紀後半のピアノ音楽の道標として大きく存在している。この曲集は過去30年に世に出たピアノ曲の中でも、スタンダードなレパートリーの仲間入りをしており、聴衆の人気を享受している数少ないピアノ曲に 数えられるだろう。昨今では、様々なピアノコンクールで必須の課題曲ともなっている。

だが、それは比較的、最近の話である。90年代初め、私が、まだハノーファー国立音楽演劇大学の学生であり、このエチュードに出会った当時は、ピアニストの間では、ほぼ演奏不可能と考えられていたのだ。1巻6曲が自筆譜のファクシミリとして出版されていたとはいえ、音大のピアノ科で弾かれ、聴かれていたのは、ほとんどが5番の「虹」か、4番の「ファンファーレ」ばかりという有様だった。

全部で18曲あるエチュード集は、3つの巻から成る。1巻は6曲からなり、1985年に出版、2巻は、8曲収められていて1988年から93年にかけて作曲され、最終的に4曲のエチュードが収められている3巻(第一章)は1995年から2001年にかけて作曲されている。

この曲集は、ショパンシューマンリストドビュッシーバルトークストラヴィンスキーメシアンと続く19世紀と20世紀の偉大なエチュードチクルスに堂々並ぶと言える。

特にショパンドビュッシーに対する結びつきは、その作品のほとんどがフランス語のタイトルを選んでいることからもわかる。(リゲティは特にフランス語を愛していたという。)唯一、8番のFém(メタル)がハンガリー語、15番White on white(白の上の白)が英語、そして10番のDer Zauberlehrling(魔法使いの弟子)がドイツ語となっている。

リゲティは作曲にあたって、様々な側面からインスピレーションを受けていた:
セロニアス・モンクやビル・エヴァンスといったジャズピアノから、そしてサハラ以南のアフリカの音楽文化(それは、時として非常に速いパルスをもつ音楽)からフラクタル幾何学や、マウリッツ・エッシャーの遠近法錯覚の手法まで影響を受けている。それら全てがリゲティ自身の音楽言語と融合しており、彼の言葉を借りるならば、それは「前衛的でも伝統的でもなく、調性音楽でも無調音楽でも、そしてポストモダンでもないのだ」(リ ゲティ)

リゲティはエチュードを通して、ピアニストに様々な、そして大きな挑戦を課している。
リゲティが尊敬してやまなかったメキシコの作曲家、コンロン・ナンカロウの、自動演奏ピアノ(プレイヤーピアノ)でしか演奏可能でなかった複雑難解な練習曲のテクスチュアを、それに引けを取らない複雑さでピアノに移し替えようという大望を抱いていたということに我々は思いを馳せるべきである。そしてそれは生身の血の通ったピアニストに弾かれるべきなのである!

次にピアニストに課されている点をいくつか略述したいと思う。

1.ポリメトリック(多拍節法)とポリテンポ(同時に演奏される多声部間の異なるテンポ)

エチュードの特徴として、まず挙げられるのは、非常にシンプルな基本アイデアで始まり、それが常に複雑化していくというものである。リゲティ自身も、それを成長を続ける有機体組織のようだと表現している。
有名な4番エチュード「ファンファーレ」から例えをひとつ挙げてみたいと思う。
(譜例1参照)このエチュードは、8分音符の3+2+3のリズムのオスティナート(執拗音型)が基礎にある。始まりは左手からだが、次第に右手からも、そしてピアノの様々な高さから聴こえてくるようになる。

【譜例1】4番エチュード「ファンファーレ」の冒頭(1985) 4番エチュード「ファンファーレ」の冒頭(1985)

オスティナートに対して、リゲティは一方の手に常にファンファーレモティーフをあてている。最初は両方の手が同じ拍節とアクセントを持っているが、次第にそれが変化していくのである。(譜例2参照)

【譜例2】 4番エチュード「ファンファーレ」のアクセントのずれ(1985) 4番エチュード「ファンファーレ」のアクセントのずれ(1985)

この比較的見通しの良い例題が示しているように、リゲティのエチュードを勉強し、演奏できるようになりたいのであれば、まず両手が、それぞれ依存することなく完全独立していることが前提条件となる。
同じような原理(均斉の8分音符または16分音符パルス上にあらわれるアクセントのずれ)の遥かに複雑な形は、例えば、1番のエチュード「無秩序」や、6番のエチュード「ワルシャワの秋」に出てくる。この中でリゲティは同時に多様な異なる速度(ポリテンポ)を生じさせることによって、見事なイリュージョン(錯覚)を聴き手に喚起させる。

2.カノン的テクニック

まったく別の形で3巻の課題は要求される。
15番エチュード「白の上の白」、そして特に最後の2つのエチュード(17番18番)は、カノン的構造が大きな役割をはたしている。17番エチュード「息を切らして」は、非常に速いテンポの右手の8分音符連鎖をたった8分音符分だけ後にずれた左手で追いかけていく2声のカノンである。(譜例3参照)

【譜例3】 17番エチュード「息を切らして」(1977)の冒頭(作曲家本人による自筆譜) 17番エチュード「息を切らして」(1977)の冒頭(作曲家本人による自筆譜)

この曲の侮ってはならない難しさの一つとして、この音型は、右手にとって時として、(特定の状況下で)速いテンポの中でも比較的、ピアニスティックに弾きやすくなるのに対し、もう一方が人の手の作りからはおよそ不自然なほど、非常に弾きにくいことがある。同じ難しさが、4声の重音奏法カノンである18番のエチュード「カノン」(譜例4参照)にもあてはまる。そして、この18番をもって、この曲集は、閉じられる。

【譜例4】 18番エチュード「カノン」(2001)の冒頭(作曲家本人による自筆譜) 18番エチュード「カノン」(2001)の冒頭(作曲家本人による自筆譜)
  • 譜例はショット・ミュージック株式会社の寛大な許可を得て掲載させていただいている。

コンサート情報

テッセラの秋 第15回音楽祭「新しい耳」 11/1(土)-3(月・祝)
─演奏家の、そして聴衆の「新しい耳」が音楽を輝かせていく(ウェブサイトより)
トーマス・ヘル氏出演は11月2日(日)の16時から。三軒茶屋サロン・テッセラにて

詳細はこちら

トーマス・ヘル(ピアニスト) アルフレ--ト・ブレンデルに「知性とヴィルトゥオージティの両面をあわせもつ」と絶賛されたピアニスト、トーマス・ヘルはドイツ・ハンブルグ生まれ。ハノーバー国立音楽演劇大学で、イギリスの名ピアニスト、デビッド・ワイルド氏に師事。
ピアノ教育学、国家演奏家資格課程を最優秀で卒業。同時にR.フェーベルのもとで作曲・音楽理論のディプロムも最優秀で取得。オルレアン国際コンクール優勝をはじめ数多くの国際コンクールに入賞後、ユニークなレパートリーで幅広い活動を展開。ヨーロッパ各地の国際音楽祭や名高いホールに出演しているが、とりわけ、エリオット・カーター、アルノルト・シェーンベルグ、ルイージ・ダッラピコラ、チャールズ・アイヴズ、ピエール・ブーレーズといった20〜21世紀の現代音楽を得意としている。特に、ジェルジュ・リゲティの《エチュード》全18曲のライブ演奏は、ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習会をはじめ、ベルリン、バイロイト、ヴッパータール、バーゼル、東京など各地で話題を呼ぶ。
その実演に接した現代ハンガリーを代表する大作曲家ジェルジュ・クルタークは、「リゲティの音楽を理解し、それを解釈し、最高度の演奏技術をもって演奏する特別な才能」と絶賛したほか、音楽ジャーナリストの池田卓夫は、東京で行われたコンサートを『音楽の友』誌で2010年ベスト・コンサートの第1位に挙げるなど、深い知性に支えられた圧倒的な音楽表現と、暖かみのある千変万化な音色は、作曲家や音楽家、評論家から全幅の信頼と評価を得ている。
2012年秋にWERGOよりリリースしたリゲティのピアノのためのエチュード全曲CDは、BBCMusic Magazine, International Piano, Piano News やバイエルン放送(BR)をはじめ、2013年レコード芸術2月号で、特選盤に選定されるなど、世界各地の音楽評論誌で高い評価を受けている。
これまでにリリースされたCDには、マックス・レーガーとロベルト・シューマン、エドゥアルト・シュトイアーマン(2010年ドイツ・レコード評論家大賞を受賞)、ヴァイオリニスト、エードリアン・エドレムとのバルトーク『ヴァイオリン・ソナタ集』、またカメラータ・フレーデンと共演したCD、コルンゴルド作曲『ピアノ五重奏曲 作品15』(2012年ドイツ・ベスト・ディスク賞を受賞)などがある。
2015年には待望のアイヴズのコンコード・ソナタを録音リリース予定。
現在、ハノーバー国立音楽演劇大学およびシュトゥットガルト国立音楽芸術大学というドイツの2つの大学で教鞭をとり、世界各地でマスタークラスを行っている。

ピティナ編集部
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