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知られざる我が国最初の「ショパン弾き」 澤田柳吉 研究レポート

2014/07/01
知られざる我が国最初の「ショパン弾き」
澤田柳吉 研究レポート

 多田純一著『日本人とショパン』において述べられている通り、日本においてピアニストという職業が確立されていく中で、その初期段階に活躍したピアニストとして、澤田柳吉(1886-1936)、久野ひさ(1885-1925)、小倉末(1891-1944)の3人の名前が挙げられる。澤田と久野は小松耕輔(1884-1966)と同級生であり、彼らと共に明治39(1906)年に東京音楽学校本科器楽部を卒業した。小倉は神戸女学院を卒業した後、東京音楽学校に進学し半年で退学、翌年にベルリンへ留学した後、大正4年にシカゴでリサイタルを行った。翌年に帰国し、ピアニストとしての活動を始め、最終的には東京音楽学校の教授となっている(久野と小倉の音楽活動については、津上智実、橋本久美子、大角欣矢著『海外が認めた日本人ピアニスト第一号ピアニスト小倉末子と東京音楽学校 : 入学から百年』東京:東京藝術大学出版会 2011を参照のこと)。洋楽導入期にピアニストとして重要な役割を果たしたこの3人のピアニストのうち、録音資料が豊富に残っているのは澤田のみである。久野は《月光ソナタ》のみ録音していたが、生前に出版されることはなく、死後に追悼という形でSPレコードが出版された。小倉については、レコード録音というものに抵抗があったのか、SPレコードを出版した記録が見つからない。これらの状況から、明治後期から大正期にかけて日本で活躍したピアニストのうち、ピアノ・ソロ作品を複数録音している澤田の録音資料は非常に重要であるといえよう。


明治41年4月18日「慈善演奏会」プログラムプログラム

 この度、澤田柳吉の研究成果として監修したCD 『我が国最初の「ショパン弾き」澤田柳吉の世界 ~作品篇、演奏篇~』(ミッテンヴァルト)のライナー・ノーツに詳細が説明されているが、澤田の音楽活動の特徴は「日本人として〇〇した」という業績の多さにある。東京音楽学校卒業直後から演奏活動をはじめているが、明治42年頃から日本人として最初に「ショパン弾き」と呼ばれた。さらに明治45年には日本人として最初にピアノ・リサイタルを行っている。今では最初から最後まで一人で演奏するリサイタル形式はごく普通のことであるが、当時は複数の演奏家が同じ舞台に立つ合同リサイタルしか行われていなかった。ピアノ演奏の技術が徐々に向上する中で、明治45年2月22日、華族会館にて澤田柳吉によるリサイタルが行われ、オール・ショパン・プログラムとして行われたことが特徴的である。また、明治42年3月から1年間は台湾において中学教師として派遣され、帰国後は多くの楽譜を出版するなど、彼の音楽活動は多彩である。大正8年にベートーヴェン作曲《悲愴ソナタ》第1楽章(東京レコード:1390-91)をSPレコードとして出版しており、この録音が日本人として最初のベートーヴェン作曲ピアノ・ソナタの録音である。浅草オペラの創設にも携わり、関東大震災により浅草オペラが壊滅的打撃を受けると、関西に活動拠を移し、演奏活動の他、大阪洋楽研究所におけるピアノ教授、ニットー・レコードにおける多くのレコード録音、ラジオ放送、盲学校における音楽教師、大阪音楽コンクールにおける審査等も行っていた。大正12年にはショパン作曲《軍隊ポロネーズ》(ニットー・レコード:1029)を出版したが、この録音が日本人として最初のショパン作品の録音となる。


楽譜お江戸日本橋

 このCDは、作品篇と演奏篇の2枚で構成されている。1枚目は澤田が作曲および編曲した作品を新しくレコーディングし、これまで演奏されることのなかった作品を知ることができるようになっている。歌曲15曲、ピアノ曲5曲の計20曲である。演奏者は、監修を行った多田純一(ピアノ)の他、紺谷志野(ピアノ)、尾崎由布子(ソプラノ)、田嶋喜子(ソプラノ)の4名である。明治後期に出版された初期の作品から、昭和に入ってから出版された後期の作品まで幅広い作品が集められており、澤田の作風の変化と共に、時代の変化も感じることができる。注目すべきはセノオ楽譜の表紙を描いた竹久夢二(1884-1934)とのコラボレーション作品であろう。夢二は表紙だけでなく、作詞もしていた。夢二による装丁と作詞に、澤田による作曲という作品が《もしや逢ふかと》、《雪の扉》、《街燈》、《ふるさと》の計4曲収録されている。いずれも美しくわかりやすい旋律である。また、これらの資料は多田氏が澤田の遺族から直接提供を受けており、楽譜に書き込まれた旋律や記号の変更や修正に基づいて演奏されていることが重要である。すなわち、古書店で購入可能な楽譜や図書館および各機関所蔵の資料とは、使用資料の重要性が一線を画している。遺族所蔵の資料でしか知ることができない内容によって録音されているところが本CD演奏篇の最大の特徴であるといえよう。ライナー・ノーツによると、この度のCD出版は、2013年9月に大阪芸術大学藝術研究所主催にて行われた第58回教員研究発表会レクチャーコンサート「澤田柳吉の出版作品」(研究発表者:多田純一、共同発表者:紺谷志野、ゲスト:尾崎由布子)がきっかけとなり、CDレーベルミッテンヴァルトのプロデューサーである齋藤保夫氏が企画され、実現したとのことである。
2枚目の演奏篇は澤田が録音したピアノ・ソロ作品がすべて収録されている。澤田が出版したSPでレコードでは、他にも歌曲やおとぎ歌劇の録音が見られるが、本CDではピアノ・ソロ作品に限定することで、ピアニストとしての澤田の演奏を堪能することができる。また、澤田が関西に拠点を移したのちに音楽教師となった大阪盲学校の生徒である山村光枝の演奏がボーナス・トラックとして収録されている。昭和6年に出版されたものであるが(ニットー・レコード:10023)、《越後獅子》、《春雨》のいずれも明治後期に澤田が編曲した作品である。自身が編曲した作品を弟子にどのように弾かせたのか、ピアノ教師としての澤田の一面もまた知ることが可能である。澤田の音源復刻は長く望まれてきたが、資料が貴重であることや遺族が見つかっていないことから、長い間実現していなかった。しかしながら、昨年8月に逝去された故・クリストファ・N・野澤氏による全面的な協力と、遺族による許可を得られたことにより、この度の復刻が実現したのである。
日本人はショパン作品を好む民族であると指摘されることが多いが、我々のルーツとなる「我が国最初のショパン弾き」がどのような演奏をしたのかを、音として知ることができる重要な機会である。多田氏の著書『日本人とショパン─洋楽導入期のピアノ音楽』によりその背景が説明されており、併せて読み、聴くことで、明治期から大正期の日本人ピアニストの存在をこれまで以上にリアリティを持って感じることができるであろう。


ピティナ編集部
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