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"息を切らして" ─ リゲティのピアノのためのエチュードへの誘い ─(レポート:トーマス・ヘル)【後編】

2014/10/03
"息を切らして" -リゲティのピアノのためのエチュードへの誘い- 【後編】
トーマス・ヘル
3.立体的効果

9番のエチュード「眩暈」(プレスティッシモ センプレ モルト レガート、非常に均等に)は、−私にとってこの曲集のクライマックスともいえる−「3次元のような立体性」という、また別の特徴を印象深く示している。これは、他の多くのエチュードにもみられる、まさに感銘するべき特徴といえる。(譜表5参照)
重音奏法の練習曲として飛び抜けて秀逸なこのエチュードは、次々と速い半音階下降が密な間隔で連続する。

【譜例5】9番エチュード「眩暈」(1990)の冒頭 譜例5:9番エチュード「眩暈」(1990)の冒頭

(譜表6を参照)曲の半ばで両手が空間的にお互い遠く離れたところから再び近づき重なるように動く:これが、とても驚くべき立体的効果をもたらすのである。人はまるで音楽が浮きだったように、突然"3次元"になったような印象をうけるのである。

【譜例6】立体性を感じる9番エチュード「眩暈」(1990) 立体性を感じる9番エチュード「眩暈」(1990)

ところで、このエチュードには、自動演奏ピアノ(プレイヤーピアノ)バージョンもある。このプレイヤーピアノでは、ピアニストにはとても演奏できないような速さを実現できる。生身のピアニストが、約3分はかかるこの曲を、プレイヤーピアノでは、なんと1分49秒しかかからない。いずれにしても9番を勉強するならば、必聴の価値のある盤である。演奏者としてよく感じるのは、ピアノの鍵盤はひょっとしてリゲティには、まるで足りないのではないかということだ。例えば、13番のエチュード「悪魔の階段」や、14番の「無限柱」など、この二つのエチュードでは、まるで音楽が引っ切り無しに高みに向かって旋回していくような、つまり、鍵盤の限界を遥かに越えて導かれていくように、音楽が最も極端なポジションに食い込むような箇所が良く見られるのである。

4.音の素材

多くのエチュードには、その特有の音の素材が右手と左手に、割り当てられている。例えば、1番エチュード「無秩序」(ここでは初め右手に白鍵のみ、左手に黒鍵のみで弾かれる)そして、7番「ガラン・ボロン」(譜例7参照)そして、12番の「組み合わせ模様」そして、10番の「魔法使いの弟子」の中のいくつかの部分で、みられる。この手法はすでにドビュッシー(例えば、前奏曲集 第2集のBrouillards「霧」の初めなど)や、バルト--クでも、ところどころに見られることではあるが、リゲティは作品全体の作曲構成原理として一貫して起用しており、魅力的な和声的効果を成している。
いずれにしても最初の譜読みや練習には、最大限の注意力が求められる!

【譜例7】7番エチュード「ガラン・ボロン」(1988)の両手に分けられた音の素材の違い 7番エチュード「ガラン・ボロン」(1988)の両手に分けられた音の素材の違い
5.変動していく妨げられた鍵盤 

1巻の3番エチュード「妨げられた打鍵」(プレスト ポッシービレ)に使われている鍵盤をブロックするというアイデアは、リゲティの2台ピアノのための3部作《記念碑・自画像・運動》の2楽章の「ライヒとライリーを共にした自画像(その側にはショパンもいる)」にも使われている。一例をあげると(譜例8を参照)出だしのように左手は決まったいくつかの鍵盤を音を鳴らさずに指で押さえておき、その上を右手が速いテンポで、半音階の多い均等な上行・下行の8分音符音型を弾いて行く。

【譜例8】 3番エチュード「妨げられた打鍵」(1985)の冒頭 3番エチュード「妨げられた打鍵」(1985)の冒頭

もし慣例の記譜法で(休符は休符として)書かれていたならば、根本的に演奏するのがもっともっと難しくなったであろう。しかし、このテクニックによって生じる結果の休符(音が鳴らない部分)は、曲全体に、まるで、吃っているような舌足らずのような特徴を与えている。これによって生み出される、演奏者と聴き手の聴こえる感覚の違いは、仰天するほど大きい。演奏者は、一方の手で音を鳴らさない状態で押さえているから、音として鳴らなくても、弾いている全ての音を頭では聴いているということになる。よって演奏者は、演奏中、まったく均等な8分音符の動きを知覚しており、逆に聴き手は最速テンポの音の響きの中に最小の休符の"吃り"を認識しているのである。

どのようにエチュードを練習すれば良いのか?

7番エチュード「ガラン・ボロン」の冒頭には、リゲティ自身による練習における助言がこのように書かれている。
「通常よりもさらに左手、右手を分けて片手ずつ練習するようお奨めする」
これは、実際、現代音楽も含めた他のどんなピアノ曲を練習する際より、ずっと大切な前提条件といっても過言ではない。
もちろんエチュードによっては、片手ずつをみたときに、一見そんなに難しくないようにみえるものもあるが、実際には、両手を一緒に合わせ、書いてある通りのテンポを表現しようとすると、すぐさま悪魔的に難しくなるのが、リゲティのエチュードの特徴である。
この素晴らしいポリリズムの入れ子細工のような創造性豊かな作品たちは、両手に最上級の精確さと調整力を要求しているのである。

またファンファーレ(4番エチュード)のpppppppから、悪魔の階段(13番エチュード)のffffffffまでとにかく緻密に計算された強弱にも、細心の注意をはらわなければな らない。

そして、表示されたテンポで弾けるようになるまでは、何ヶ月もかかるかもしれない。私は一時期、練習した時間を一時間ごとに、楽譜の片隅に記していたのだが(日本で言う「正」の字のような感じで)いくつかのエチュードは、軽く100時間に達した。
まるでシーシュポスの岩※訳注1のような果てしない作業には、本当に不屈の根気が必要である。しかし、それを乗り越えたときに得られるものは、はかり知れない!
この作品のもつ際立った美しさと、その作品に取り組むことは、演奏者にとって、本当に"息をのむような" 驚嘆と発見を残してくれることであろう。

  • 譜例はショット・ミュージック株式会社の寛大な許可を得て掲載させていただいている。
【訳注1】
シーシュポスとは、ギリシア神話に登場する人物で、罰として、巨大な岩を山頂まであげるよう命じられ、それがあと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返されることから、果てしない徒労を意味する「シーシュポスの岩」で知られている。リゲティは、13番エチュード「悪魔の階段」というタイトルの他に、「シーシュポス」というタイトルを考えていたと言われる。)

コンサート情報

テッセラの秋 第15回音楽祭「新しい耳」 11/1(土)-3(月・祝)
─演奏家の、そして聴衆の「新しい耳」が音楽を輝かせていく(ウェブサイトより)
トーマス・ヘル氏出演は11月2日(日)の16時から。三軒茶屋サロン・テッセラにて

詳細はこちら

トーマス・ヘル(ピアニスト) アルフレ--ト・ブレンデルに「知性とヴィルトゥオージティの両面をあわせもつ」と絶賛されたピアニスト、トーマス・ヘルはドイツ・ハンブルグ生まれ。ハノーバー国立音楽演劇大学で、イギリスの名ピアニスト、デビッド・ワイルド氏に師事。
ピアノ教育学、国家演奏家資格課程を最優秀で卒業。同時にR.フェーベルのもとで作曲・音楽理論のディプロムも最優秀で取得。オルレアン国際コンクール優勝をはじめ数多くの国際コンクールに入賞後、ユニークなレパートリーで幅広い活動を展開。ヨーロッパ各地の国際音楽祭や名高いホールに出演しているが、とりわけ、エリオット・カーター、アルノルト・シェーンベルグ、ルイージ・ダッラピコラ、チャールズ・アイヴズ、ピエール・ブーレーズといった20〜21世紀の現代音楽を得意としている。特に、ジェルジュ・リゲティの《エチュード》全18曲のライブ演奏は、ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習会をはじめ、ベルリン、バイロイト、ヴッパータール、バーゼル、東京など各地で話題を呼ぶ。
その実演に接した現代ハンガリーを代表する大作曲家ジェルジュ・クルタークは、「リゲティの音楽を理解し、それを解釈し、最高度の演奏技術をもって演奏する特別な才能」と絶賛したほか、音楽ジャーナリストの池田卓夫は、東京で行われたコンサートを『音楽の友』誌で2010年ベスト・コンサートの第1位に挙げるなど、深い知性に支えられた圧倒的な音楽表現と、暖かみのある千変万化な音色は、作曲家や音楽家、評論家から全幅の信頼と評価を得ている。
2012年秋にWERGOよりリリースしたリゲティのピアノのためのエチュード全曲CDは、BBCMusic Magazine, International Piano, Piano News やバイエルン放送(BR)をはじめ、2013年レコード芸術2月号で、特選盤に選定されるなど、世界各地の音楽評論誌で高い評価を受けている。
これまでにリリースされたCDには、マックス・レーガーとロベルト・シューマン、エドゥアルト・シュトイアーマン(2010年ドイツ・レコード評論家大賞を受賞)、ヴァイオリニスト、エードリアン・エドレムとのバルトーク『ヴァイオリン・ソナタ集』、またカメラータ・フレーデンと共演したCD、コルンゴルド作曲『ピアノ五重奏曲 作品15』(2012年ドイツ・ベスト・ディスク賞を受賞)などがある。
2015年には待望のアイヴズのコンコード・ソナタを録音リリース予定。
現在、ハノーバー国立音楽演劇大学およびシュトゥットガルト国立音楽芸術大学というドイツの2つの大学で教鞭をとり、世界各地でマスタークラスを行っている。

ピティナ編集部
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