ピアノステージ

Vol.03-1 教育の未来を考える(1) 寺脇 研さん

2007/03/31

教育の未来を考える(1)

「今は"子供がどんどん自分でやりたいことを設定していく時代"」

「ゆとり教育」の導入から早5年。詰め込み型教育からの解放が喜ばれたのも束の間、最近は子供の学力低下や、親の経済状況の違いによって引き起こされる教育格差へ警鐘を鳴らす反対派の声が注目を集めている。
しかし、この改革の推進者として知られる寺脇研氏は、ゆとり教育の目的は決して学習のハードルを下げることではない、と断言する。そんな彼が目指す、子供の個性をより伸ばすための仕組みづくりとは。

教育の未来を考える(1)

寺脇 研さん
元文部科学省、京都造形大学教授


学校を「教育」の場から「学習」の場へ

今、日本の教育現場で最も必要とされているもの。それは、「教育」から「学習」への観点の切り替えだと思います。

21世紀以降、社会は目まぐるしい変化を遂げてきました。少子高齢化、国際化、情報化、そして科学技術の高度化に伴い、ただの英語力以上のコミュニケーション能力や、情報に追いつくだけでなく、数限りない情報の中で信頼性の高いものを見極める情報リテラシーが求められるようになってきた。それらを養うのは、従来の詰め込み型教育ではなく、教わる側が主体の「学習」なのです。

今の世の中、国民の85%を占める大人達は自由に学びを謳歌しています。こういった「生涯学習」の理念が世間に浸透し始めたのはここ15~20年ほどのことですが、日本はすでに世界最大の生涯学習国だと思います。例えば韓流ドラマ。現在の生涯学習の社会になる前は、年配の女性は学歴が最も低い情報弱者でした。そんな女性たちが、男性と同じように自分達で情報を得て、「冬のソナタ」にはまり、韓国語や韓国料理を学んでみよう、という動きができた。更にそういったブームが段々と、男性や若い女性にまで広がっていった。外国でも類を見ないこういった流れは、日本の社会でもっとも誇るべきことだと思いますね。

そんな中、日本の学生たちはいまだに「とにかく知識を詰め込んで学力を高めろ!」といわれている。確かに、子供には本人の意志と関係なく、基礎基本を詰め込まれなければいけない場面はあります。でも、ずっと言われたことだけ詰め込んできたのに、大人になって急に自分で何を学びたいかは決められない。だから、小学生なら全体の1割ぐらい、中学生は3割、高校生は5割、大学生は8割、大学を出たら100%・・・という風に、徐々に自分で決める割合を増やしていけるシステムを作らねばなりません。それが子供の生涯学習を目的とした、ゆとり教育導入の狙いなのです。


学校だけが学習の場ではない

とは言っても、何をするにしても「やりたい子」と「やりたくない子」だけがいるわけではなくて、私たちはその中間の層、要するに「やりたいことがわかっていない子」や「やりたいことがないと思っている子」にも情報を発信していかないといけない。例えば生徒が「先生、教えて」「これについてもっと知りたい」と言ったら教師は出来る限り対応する、ここまでは当たり前。しかし、そこで終わるのではなく、やりたいことにすら気付いていない子供にも水を向けてみないと、本当の意味で生涯学習社会を作っていくことは出来ません。

そういった目的の一環として2007年4月から開始されるのが、子供の学校外学習をサポートする「放課後子どもクラブ」というプロジェクトです。これは、平日の放課後や週末、学校の正規の授業時間外に、子どもが好きなことをできる場所を、数年後までに全国に2万カ所、学校や地域内に作ろうというもの。学校の先生ではなく、それ以外の大人が、基本的に無償で運営します。 そもそもゆとり教育の本来の狙いのひとつは、学校を完全5日制にすることで、それ以外の学習の場を作ることだった。「学習の場=学校」という考え方自体、明治以降のものですから、人類の歴史の中でたった130年ぐらいの常識でしかない。そして今やっと、その概念を変えるべき時が来たのだと思います。
今までも、放課後の学習の場はありました。でもこれは、A君は学習塾へ行って、B君はピアノ教室に、C君はそろばん教室に・・・というもの。「放課後子どもクラブ」で想定しているのは、同じ空間で沢山の子供達が、勉強なり、スポーツなり、音楽なり、思い思いに好きなことをしているような場所。すると、英語の勉強をしている子がそろばんの子を見て、「あっちも面白そうだからやってみよう」ということも出来るわけですね。皆が色々なことをしている場に行くことで、様々なことに関心を持つための機会があるのです。また、学校の先生と一緒にいる時間が長くなるよりも、それ以外でも経験豊富な大人たちと時間を過ごす方が、子供にとって得るものは断然多くなるのではないでしょうか。


「一人一人が違っていい社会」を目指して

今までの学校では、皆が同じようなテストをやって、平均的に同じ点数が取れるような、「画一的教育」がよしとされています。だから、2002年に初めてゆとり教育が導入された時も、みんな同じぐらいの学力に合わせればいい、と「画一的に」下げてしまった。それで学力が下がってきたら、今度は「画一的に増やせ!」という。この繰り返しです。 でも、この教育改革の本当の目的は、「みんな同じ社会」でなく「一人一人違っていい社会」を作ることなのです。算数は中学生までしか習っていない代わりに、ピアノは世界的に弾ける人がいても良いし、物理はちんぷんかんぷんだけれど、世界史のすべてを知っている人がいても良い。そんなことを、明治時代以降初めて言ったのが、このゆとり教育なんですね。

すると、「冗談じゃない!算数を全然やらない子が出てきたらどうするんだ!」って怒る人が必ず出てくるけど、本当にそうでしょうか。お買い物に行ったときに、おつりの計算が出来なくても構わないと思う人はいませんよね。なぜやらなければいけないのかわからないのに、無理やりやらされるから嫌いになる。だったら、その状態を無くせばいいわけです。
私は算数を誰一人嫌いにさせないようにするということは可能だと思っています。もちろん、だからと言って連立2次方程式をすべての子供が嫌いにならずに教えるのは不可能に近い。6割の子供にはそう出来ても、4割の子供には嫌だな、と思われる。だから、連立2次方程式を全部の子供に無理やり教えるのをやめて、ここまで、という風に教えておけばいい。「出来る子」と「出来ない子」がいる、とよく言われますが、「あらゆることが出来る子」や「あらゆることが出来ない子」などいません。算数が出来る子にはどんどんやらせて、出来ない子には基礎基本を繰り返しさせて他の長所を伸ばしていけばよいわけです。

ピアノだってそう。「○○コンクールのトップを目指す」と言って1日5時間練習するのか、「ピアノが酒場でちょろちょろ弾けて受けるといいじゃん!」みたいな感じで続けていくのか。これもあり、あれもあり、そんな風に色々設定してやっていく時代になったんだなと思いますね。


教育の未来を考える(1) 寺脇 研(てらわき けん)◎ 元文部官僚で映画評論家、京都造形芸術大学教授。文部科学省大臣官房広報調整官を 最後に同省を辞職した。福岡県生まれ。
ラ・サール高校を卒業後、東京大学法学部に進学。1975年、当時の文部省に入省、キャリア官僚としての出足は、職業教育課長を経て広島県教育長として出向。その後は、ほぼ文部省・文部科学省にあり、1990年代まで「ゆとり教育」の推進者としてマスコミの前面に出て知られるようになり、文部省人事からみて主流ポストを歩いてきたとはいえなかったが、同省の見解のスポークスマン的な役割を担っていくこととなった。いわゆる「ゆとり教育」の推進者としてその名を知られていたが、近年、地方や低所 得層の学生とそうでない学生との著しい(主に受験で高成績を修める為の)学力格差が問題となり、同省の「ゆとり教育」政策に対する批判が強まったのと同時期に大臣官房審議官から外局である文化庁文化部長に異動となり、「ゆとり教育」推進の表舞台から姿を消した。さらに2006年春、同省事務方から勧められた勧奨退職を拒否し、いわゆる中二階ポスト(局次長・審議官・部長)から課長級に当たる同省大臣官房広報調整官へと異例の降格となった(一部報道では、その時、当時の小坂憲次文部科学大臣に慰留されたとある)。こういう報道が出てくるのも「ゆとり教育」路線からの文部省の事実上の方向転換であると指摘されている。

Vol.3 INDEX


2007年3月31日発行
教育の未来を考える(1)
今は子どもがどんどん自分でやりたいことを設定していく時代
寺脇研さん
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ピティナ編集部
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