19世紀ピアニスト列伝

ジョン・フィールド 第4回(最終回)

2013/10/02

ジョン・フィールド(1782-1837)

ショパンが継承し発展させた「ノクターン」というジャンルの創始者ジョン・フィールド。過度の飲酒からくる不健全な習慣のため、弟子たちは次第に彼の元を離れていきました。それでも、優美なノクターンに加え、作曲家として豊かな旋律を含む協奏曲、ソナタ、ロンド等を残し、その名を歴史に刻みました。

教師中の教師たるクレメンティの伝統を誰よりもよく体得したフィールドのようなピアニストのレッスンは、大変に人気があった。だが、彼が追い込まれた有害な習慣のせいで成すことは覚束なく絶えず半睡状態に陥っているため、彼の才能に魅了された多くの顧客はやがて遠のいていった。著名なピアニスト兼作曲家のシャルル・マイヤー1はジョン・フィールドの弟子としての資格を実際に有していた唯一のヴィルトゥオーゾである。

フィールドは、ノクターンと総称される、上品な性格的小品のジャンルの創始者であった。これはレヴリー2や瞑想曲といった類の楽曲で、フィールドの作品にあっては、優しくもときに少々気取った感情を伴う着想が非常に多くの場合、アルペッジョや分散和音の波打つバス、心地よい静かな揺れを伴い、これらが旋律的のフレーズを支え、思いもよらぬ転調によってこれに活気が与えられるが、伴奏がこの朗唱風の声部と対話することは極めて稀である。

フィールドは、原則として彼が詩的霊感に身を委ねて即興していたこれらの小品を殆ど重視していなかったが、にもかかわらず、これらの表情豊かな曲は、このジャンルのモデルであり続けた。ショパンを措いてはいかなるヴィルトゥオーゾもフィールド以上の優美さ、感性、魅力をもって、この哀愁漂う表情豊かな小詩を細部まで描きだすことはなかった。現代の楽派の多くの作曲家は、フィールドが示した見本に従い、刺繍音で飾られたノクターンを書いたが、それらの模倣は往々にして品の悪い複製であるか、重々しい模倣である。とは言いつつも、十分な幅の括弧書きを設けて、フィールドと同じく限られた慎ましやかで控えめな枠組みのなかで、魅力的で詩的な繊細さから、優しく夢想的な感情に至るまでを表現した若き大家たちを認めなければならない。Ch. マイヤー、デーラーゴットシャルクラヴィーナローゼンハイン、ドリュー3グートマンはそうした僅かな大家のなかに属している。ショパンメンデルスゾーンシューマン、ステファン・ヘラーも同様にノクターンを書いたが、彼らは別の感情の幅の中で、より大きな枠組みを用いて書いた。憂愁、悲しみ、苦悩、諦観、あるいは絶望は、彼らのノクターンにいっそう薄暗く劇的な性格を与えている。そして最後に、そこではフィールドのノクターンにあるように、一つではなく二つの主要な着想がほとんど常に提示され、展開され、感情の対照、リズムの対立を有している。

18曲のノクターンに加え、フィールドは自作品として更に7曲のピアノとオーケストラのための協奏曲を残した。中程度の難易度の第一番は、魅力的で優美な様式で書かれ、第2、3、4番は非常に価値の高い作品である。歌唱風の旋律は霊感と高貴さを伴う。これらの協奏曲は現代のピアノ流派において最上の協奏曲に位置づけられる。但し我々は、交響的な協奏曲に傾倒する今日の流派のことを言っているのではない。第5、6、7番の協奏曲はそれほど我々を喜ばせるものではない。その中には美しい頁や創意工夫に富んだいくらかの頁はあるものの、様式の構想がよくない。これらは、模糊たる性格の幻想曲で、そこでは以前と同じ構成と手法が繰り返されている。着想それ自体ももはや魅力や新鮮な霊感を失っている ―― 非常に成功した作品の中から、さらに4つのソナタ(うち最初の3曲はクレメンティに献呈)、幾つものディヴェルティスマン、ロンド、ファンタジー、ポロネーズ、変奏曲が彼の作品全体を完全なものにしている。今挙げたこれらの曲の多くには、それでもとりわけ独創性と線の輪郭という観点から本当の美点を持っていることを簡潔に指摘しておく。
つまるところ、流派の長ではないにせよ第一級の作曲家たるジョン・フィールドはもっとも愛すべきピアノの大家の一人なのである。彼の優しく詩的な彼の音楽は、人を魅力し、感動させ、我々の心を捉える。彼の繊細で洗練された筆の下に悲壮的なアクセントがみられるのはごく稀である。だが、劇的で情熱的な閃きによって深く心を動かされることはないにせよ、その心は少なくとも甘美でうっとりするような印象に浸されるのである。

  1. シャルル・マイヤー Charles Mayer(1799-1862)はドイツのピアニスト兼作曲家。幼くしてサンクトペテルブルクに移り、母の教育を受けた後、ジョン・フィールドの弟子となった。1845年にヨーロッパ各地をめぐり成功を収め、その後サンクトペテルブルクにしばらく住んでからドレスデンに居を定め、同地で没する。練習曲、正確小品、協奏曲がある。協奏曲様式の『アレグロ』第一番・第二番はパリ音楽も修了試験課題曲としてしばしば取り上げられた。
  2. レヴリーRêverieは「夢想」を意味する単語で、ゆったりとした無言歌風の作品のタイトルとして19世紀にしばしば使用された。
  3. ドリューCharles Delioux (1825-1895)はフランスのピアニスト兼作曲家。マルモンテルが音楽院で学んだヅィメルマンの個人的な門弟で、優れた名手・教育家として知られる。100以上のピアノ曲を出版。
参考音源
本文中で言及された作曲家によるノクターン色々

次回はパリに到着した当初のショパンが大きな感銘を受けたフレデリック・カルクブレンナーの章が始まります。どうぞお楽しみに。

(訳:上田泰史)


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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