19世紀ピアニスト列伝

フレデリック・カルクブレンナー 第1回

2013/10/11

F. カルクブレンナー

今日から19世紀ピアニスト列伝の翻訳連載は第10章「F. カルクブレンナー」が始まります。カルクブレンナーといえばショパンの伝記に必ず登場する人物として名を記憶に留めておられる方も多いでしょう。パリ到着後ほどなく入門の誘いを受けたがショパンは丁重にこれを断った人物であり、ショパンがピアノ協奏曲第一番を献呈したあの、カルクブレンナーです。でも、彼は「ショパンにふられた」人物としてだけ記憶されるにはちょっと惜しいこの時代のピアノ界を語る上で欠かせない重要人物です。

芸術界に子孫を残すという幸運に浴するのは、幾つかの特権的な家系に限られる。カルクブレンナー家の人々は、一種の芸術の名門を形成するというこの類まれる幸福に恵まれた。筆者がこれからその肖像を描くこの著名なピアニストの父はクレティアン・カルクブレンナーといい、1755年9月22日、ハノーファーの小さなミンデンという町の生まれである。その父もやはり音楽家で、名をミカエル・カルクブレンナーと言った。クレティアン・カルクブレンナーは大変に勤勉な青年時代を過ごした。作曲への努力、真面目な働きは、彼が当てにしていた庇護者たちのところに行って無関心にあしらわれるだけだった。それでも、彼の忍耐は遂にこの悪しき意志に打ち勝った。1789年、彼はベルリンの宮廷礼拝堂楽団長に任命され、後にはプロイセン王子ハインリヒによってラインスベルクの同職に選ばれた。一年ここに滞在した後、戦争に起因する諸事情で彼はパリに移り、オペラ座の合唱隊長の地位を得た。複数のオペラ、カンタータ、オラトリオ、音楽史に関する著述が、このF.カルクブレンナーの父の比較的重要な作品全体を形成している。

フレデリック=ギヨーム・カルクブレンナーは1784年[*正しくは1785年]、カッセルに誕生した。初期の音楽の学習は父の指導の下で行われ、続いてパリ音楽院で継続された。1798年からルイ・アダン1―今なおその魅力的なオペラに喝采を送っている人気作曲家[アドルフ・アダン]の父― のクラスに入った若きカルクブレンナーは急速な進歩を遂げその豊かな素質と師の献身的な指導のおかげで1800年には二等賞を、翌年には一等賞を得た。同時に、彼は優れた作曲家で非常に価値ある教本の著者2、カテル3教授 の指導下で和声と作曲も学んだ。

ヨーロッパ全土で自らの才能への喝采を受けようと野心を燃やすあらゆる大ヴィルトゥオーゾたちと同様に、成功に心を奪われ、また聴取経験を積み、外国の巨匠を比較せんと願ったカルクブレンナーは1803年にパリを離れ1806年まで3年間ウィーンに住むことにした。父の死を知りパリに戻った彼は、再びフランスを離れロンドンに定住することとなった。ここで彼は10年間とどまり、イギリスの複数の名家から歓待を受け彼らの子女の教育を任された。然るに、カルクブレンナーはフランスを忘れたわけではなく、毎年、ごく定期的に帰国しては友人と会っていた。1817年、ドイツを巡る演奏旅行に出かけ、数知れぬコンサートを開き、ヴィルトゥオーゾとしての類まれなる才能で、とりわけ彼の演奏の驚くべき均質性によって人々の敬意を集めた。最終的に、彼は1826年、パリに居を定める決心を固めた。ここで彼を待っていたのは最も絢爛たる顧客であり、個人としての気品が才能と等しい大芸術に必ず付随するかの敬意であった。

  1. 参考:『ショパン時代のピアノ教育』第2回
  2. カテルCarles-Simon Catel(1773-1830):ゴセックの下で作曲を学び、長じてパリ音楽院教授となり和声を教えた。作曲家としてはオペラ作曲家、革命音楽の作曲家として重要な役割を果たした。協奏的交響曲、革命賛歌、室内楽の他、6曲のピアノ・ソナタがある。
  3. 理論家としても優れたカテルは、パリ音楽院設立後まもなく組織された和声の公式メソッド『和声教程』(1802)の著者である。

  4. パリ音楽院における和声の師
    シャルル=シモン・カテル(1773-1830)

    カルクブレンナーがパリ音楽院で師事した
    ジャン=ルイ・アダン(1758-1848)

(訳:上田泰史)


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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