19世紀ピアニスト列伝

エミール・プリューダン 第2回 タールベルクの庇護と批評家たちの不当な評価

2013/05/21
タールベルクの庇護と批評家たちの不当な評価
エミール・プリューダン

今日はピアノの詩人と謳われたエミール・プリューダン(1817~1863)の小伝第2回。スイスからオーストリア経由でパリに来た時の名手タールベルクに見出されたプリューダンは、私淑するこの大家との共演を果たします。そこから、プリューダンの国際的なキャリアが始まりました。しかし、その独特な演奏スタイルは批評家たちの格好の餌食となりました。著者マルモンテルは外見をあげつらう批評家を非難し、プリューダンの演奏と作品の真価をここで改めて紹介しています。

タールベルクが熱狂を引き起こしたこの時期、彼が大成功を収めたまさにこの時期に、プリューダンは敢えて地方に引きこもった。それは、そこで精神を統一し、忍耐の要る勉強に身を委ねるためだった。そうして彼は確かなメカニスムと熱気と精彩溢れる演奏を修得し、以来、これらは彼の演奏の特徴となると同時に、言ってみれば、彼が範と仰いだ新しい大家[=タールベルク]の魅惑的な美点を我が物としたのである。多年にわたる厳しい苦労を経て、プリューダンは隠退から復帰し孤独な生活に終止符を打つと、地方で数回の演奏会を行った。その演奏会で勝ち得た成功によって彼は自信を手にし、今や将来に確信をもったプリューダンは、その並々ならぬ努力を報いるべき名声を獲得するため、パリに戻った。彼はまず、ヅィメルマンのサロンで、次いでプレイエル社で演奏した。歓迎、喝采、歓声を受けたプリューダンは、ついに自身の価値と紛うかたなき大進歩を実現したと確信するに至った。だが、ヴィルトルオーゾの道への真の復帰を果たしたのは、タールベルクがイタリア座で行った演奏会に参加したとき、彼の輝く名声と驚嘆すべきその才能の威光に包まれたときだった。

この若きフランス人ピアニストの紹介は、[この演奏会の]高名な受益者タールベルによって優雅に愛想よく執り行われ、とりわけ広く評判をとっていたタールベルクの演奏に接して間もない選りすぐりの聴衆にたいへん高く評価された。二人の芸術家は、タールベルクの『[ベッリーニのオペラ]「ノルマla Norma」に基づく二台ピアノのための二重奏』ですばらしい演奏を聴かせ、熱狂的な拍手喝采を受けた。プリューダンは、自らに賞賛を惜しまなかった友人たちに再び呼び戻され、熱狂した観客の求めに応じて、すでに有名になっていた自作の『[ドニゼッティのオペラ]「ルチア」に基づく幻想曲』 を演奏しなければならなかった。

このソワレを機に、プリューダンの名声と成功は日増しに膨らんでいった。そればかりか、若き作曲家は熟練の知的で親身な出版業者たちと出会うという幸運にも恵まれた。彼らは、自らの影響力をプリューダンの創作と彼のピアノ音楽の発展のために利用した。有名なピアノ製造者たちは、こぞって自分のピアノが光栄にも愛想よき才人プリューダンに支持されんことを願って互いに争い、どのフィルハーモニー協会も、我先に自らの壮麗な音楽イベントへの賛助出演を要請した。

プリューダンは、フランス内外で非常に多くの演奏会を行った。ヴィルトゥオーゾ、作曲家としての名を成したことで、彼はまだ若くしてレジオン・ドヌール勲章を受けた。彼の物質的充足と作品の人気にとって多くの実りをもたらした度重なる旅行をやめて一息つくためにプリューダンがパリに戻ると、そこには相変わらず、彼の助言を受けようと駆けつける沢山の生徒の一団がいた。私は、長い教授歴の中で、彼の指導下で教育を受けた生徒を何人も受け持ったが、健全な芸術上の学識に基づいた彼の教育が、極めて高度な理想を目指しているということを確認することができた。もしプリューダンがもっとパリに定住していれば、間違いなく彼は音楽院の教授になっていただろう。そこには彼のしかるべき居場所があったのだ。彼のレッスンと助言は音楽の発展をさらに一歩推し進めていたことだろう。

彼を誹謗中傷する人々―羨望を掻き立てぬ傑出した芸術家とは一体どんな人間だろう? [=優れた芸術家に中傷者はつきものだ]―は、このヴィルトゥオーゾが聴衆の前で「気取ってみせる」習慣や、フレーズの末尾や予め強調されることが決まっているパッセージのところで拍手喝采をそそるある種のわざとらしいやり方を非難した。―我々には、こうした判断が誤った解釈と誇張された証拠に立脚しているように思われる。

日々聴衆に接し、その好意を身をもって知り聴衆の共感を確信しているヴィルトゥオーゾは、この素朴な信頼感のなかで、演奏している作品が聴衆の求めに応じているかどうか、眼差しや仕草で聴衆に訴えることが当然できるものだ。我々の思うに、これこそが、プリューダンにおいて非難されているわざとらしい頭の動きや、鍵盤上の手の動きについてなされるべき正しい説明なのである。しかるに、批評家たちはこの芸術家の正確で華麗な演奏や作品の力強い響きや気品に溢れ優雅で効果的な作品の見事な構成に非難すべき点を見出さぬものだから、ちょっとした瑕疵や僅かな欠点、あるいはせめていくらかの癖や弱点探し出さねばならないのである。そんなものは凡俗で言い出したらきりのない話ではないか。パガニーニやセルヴェ1?、リストの奇抜さについて書くのに、一体、どれほどの沢山のページが必要になるだろう!

プリューダンの生前に出版された雑誌に掲載されたカリカチュア。著者マルモンテルが不満だったのは、奇抜な風貌をことさらにあげつらう批評家たちの偏った視線だった。
プリューダンの生前に出版された雑誌に掲載されたカリカチュア。著者マルモンテルが不満だったのは、奇抜な風貌をことさらにあげつらう批評家たちの偏った視線だった。
  1. アドリアン=フランソワ・セルヴェ(1837-1866)はベルギーの著名なチェリスト。ブリュッセル音楽院に学び、後に動向の教授となった。パリには34年に訪れて演奏会で成功を収めた。
参考音源
プリューダンの事実上のデビュー作『「ランメルモールのルチア」による幻想曲』作品8(1842)
演奏:中村純子

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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