海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

ロシアのピアノ教育から学べること(3)ピアノ教育はどう継承されてきたのか

2015/07/17
ロシアのピアノ教育から学べること
ロシアのピアノ教育から学べること ~100年で芸術大国となった理由を探る


サンクト・ペテルブルグ
イサク大聖堂

たった1音でも人の心に残ることがある。美術でも1捌けによってその作品を歴史に残すことがある。1音には数限りないニュアンスが含まれている。ロシアでは小さい頃より、1音から徹底した教育を行い、きわめて敏感な耳で音楽を伝えていく。「1時間に1小節しか進まない時もある(奈良井先生談)」という徹底ぶりが、ロシアにおけるピアノ教育の伝統を揺るぎないものにしてきた。今では世界中の国際コンクールでロシア人ピアニストが優勝か上位入賞しており、また世界中のステージで輝きを放っている。

実は、ロシアの音楽教育の伝統はそれほど長くない。ロシアにピアノが紹介されたのが1800年初頭、専門教育が始まったのは1862年である。ドイツやフランスで専門高等教育が始まったのは主に17~19世紀前半なので、少し遅いスタートである(フランス音楽アカデミー1689年、リーズ音楽院1757年、パリ音楽院1795年、ウィーン音楽院1818年、ロンドン王立音楽院1822年、ケルン音楽アカデミー1850年など)。

なぜこれほど早く、世界最高峰と見なされるまでに発展したのだろうか?芸術後発国ならではの優位性があるだろう。そこで今後ピアノ教育のヒントになりそうな点を3つほど挙げてみた。

(1) 自ら表現を創りだすためのテクニックを

昨今の国際コンクールでも解釈や表現に説得力があるロシア人ピアニストは、作曲を学んでいることが多い。作曲とは創造である。ロシアでは全芸術分野において、自ら創造するためにあらゆる技法を確実に学びとってきた歴史がある。そのため、まず全体構成を見る力があり、そこに様々な表現があることを見極めるので、テクニックの定義も幅広い。テクニックとは、単に指を速く動かすことではなく、あらゆる表情、色彩、質感、心情を表現できる技術である。その源泉を辿ってみた。

バレエ、オペラ、美術などの分野においては、18世紀に西欧諸国から数多くの指導者や舞踊家を招聘した。徹底して学びとった技法をもちいて、自らの力で創造するようになった。19世紀にはすでに西欧諸国をしのぐほどの作品を生み出している。参考:「100年で欧州を凌駕する芸術大国に.1」

音楽分野においては19世紀半ば、ヴィルトゥオーゾピアニストで作曲家でもあったアントン・ルービンシュタインが、ロシア初となるサンクト・ペテルブルグ音楽院を創設した参考:「100年で欧州を凌駕する芸術大国に.2」。おりしも国民楽派が台頭し、ロシア国内で優れた音楽家を育てたいという機運が高まっていた時代だ。ペテルブルグ音楽院第一期生にはチャイコフスキーがおり、そのチャイコフスキーは後にモスクワ音楽院でタネーエフを教え、そこからスクリャービン、ラフマニノフ、メトネル、プロコフィエフなどが育っていく。いずれも作曲家兼ピアニストであり、プロコフィエフは在学中にピアノ協奏曲1番、2番などを書いた。作風はそれぞれ個性的であり、異なるテクニックや表現力を要求する。


エルミタージュ美術館回廊

ピアノと作曲が同時に扱われる傾向は、近代国際コンクールの端緒といわれるアントン・ルービンシュタイン・コンクールにも見られる。ルービンシュタインが創設したこのコンクールは、1890年~1910年までピアノ部門と作曲部門が開催されていた。第1回作曲部門優勝者にブゾーニ、第3回ピアノ部門にバックハウス、バルトークが1位、2位入賞者として名を刻んでいる。

その傾向はソ連時代を経て現代も続いている。「ロシアでは作曲とピアノを学んでいる人が多く、リサイタルの最後に自作曲や編曲を披露することも多いです。プレトニョフやニコラーエフなどの流派から、今は他の流派も含めてその流れが受け継がれていますね。私もナウモフ先生のレッスンを通して、自分で組み立てる面白さを実感しました」(vol.1奈良井先生談

全体がどのような要素から成り立ち、要素がどう全体に繋がっているのか。表面的な形だけでなく、内部構造や内的動機はどうなっているのか。完璧な模写ではなく、自分で(再)創造するために学ぶという伝統を、ロシアでは脈々と継承していたのである。

(2)ルールを知り、その中では自由に

ロシア人の色彩感は鮮やかだ。ビザンチンの流れをひくロシア正教の伝統から来ているのだろう。モスクワのシンボルである聖ワシリー大聖堂も、街行く人々の服装も、この絵本のように色とりどりである。(写真:プーシキンの童話を題材にした絵本)。

楽曲構造や作曲背景を知り、作曲家の意図を読み解くこと。それを忠実に再現しようとすること。これはクラシック音楽の王道である。ロシアでは前者を踏まえた上で、自分なりに音楽のイメージを膨らませることが重視されている。フランスでは前者を踏まえた上で、内なる自分がとらえる音楽が尊重されている。(『音楽知識と感覚を結びつけるアナリーゼとは』vol.1vol.2)。両者のニュアンスはやや異なるが、プロセスは似ている。

人間の想像力は無限であり、それを象徴するものが芸術である。20世紀に社会主義時代(旧ソ連)を経たロシアでは、表現の自由が抑圧されていた状況の中でも想像力が絶えることはなかった。いくら思考や行動を制限されようと、個人の想像力は自由である。むしろそんな時こそ想像力が逞しくなることがある。ショスタコーヴィチやプロコフィエフなど、ひそかに自らの意思を音楽に託した人もいた。ルールは外さないように、しかしその中では自由に。

美術にも様々なタッチがある。たとえばゴッホによる海の描写には、様々なニュアンスの色彩が躍動感に満ちたタッチで描かれている。それは画家の内的衝動から生まれているだろう。(モスクワのプーシキン美術館ヨーロッパコレクションより)

時代が変わってもそれは同じ。自分が表現するものに自分自身の考えを反映させることは、芸術をする意義でもある。ピアニストも想像力を駆使して楽譜を読んでいい、そんな声が聞こえてきそうである。ルールを知り、その上で自由に。

今回のチャイコフスキー国際コンクールリポートでは、音楽をするために大事な3つの"I"について書いた。それは、Interpretation(解釈力) Imagination(想像力)Internalization(内面化)である。そのインタビューもぜひご参考頂きたい。

(3)音楽と身体表現が結びついていること

ピアノがロシアで普及し始めた19世紀初頭、バレエやオペラはすでに王侯貴族を中心に盛んであった(参考:「100年で欧州を凌駕する芸術大国に.1」)。音楽と身体表現は自然に結びついていたと考えられる。身体や声帯を楽器に変えても、音楽は歌うことであり、深い心情を表現することには変わらない。 音楽と身体表現については、本特集vol.4・5をご覧頂きたい。

<参考>ロシア人指導者・ピアニストのインタビュー集



菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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