19世紀ピアニスト列伝

フランツ・リスト 第4回:ヴァイマル時代

2016/09/20
フランツ・リスト 第4回:ヴァイマル時代

 リストのヴィルトゥオーソ時代は、ヴァイマルへの移住によってひと段落します。ヴァイイマルは、ゲーテとシラーが住んだ文化的な街であるばかりでなく、音楽面でも、フンメルが宮廷楽長として活躍していました。そこは、芸術にとって、「地上の小楽園」でした。同地の宮廷楽長となったリストは、ここを、当時の前衛音楽の聖地に変容させます。リスト《ピアノ・ソナタ》ロ短調を初めとする、エポック・メーキングな名作を生み出したのは、まさにこの地においてでした。

チェルニー 図:ヨーゼフ・クリーフーバーによるリトグラフ。リストの周囲の人物は、左から、クリーフーバー本人、ベルリオーズチェルニー、エルンスト。

 1842年1リストはザクセン=ヴァイマル大公の宮廷楽長に任命された。だが、旅行のために、彼は真面目に任務を遂行することができなかった。1848年、政治動乱2を避けるべく、彼は最終的に、宮廷および劇場で指揮を執るため戻ってきた。大公の強い好感と庇護のおかげで、彼はやがて、地上の小楽園ヴァイマルのために夢見てきた改革を実現することができた。声楽家集団と管弦楽団は、根元からすっかり再編された。真の芸術家からなる集団、すなわち、この大家の熱心かつ確信に満ちた弟子たちが、助言を求めて彼のもとに集まり、輝ける国の小さな邸宅を、真の芸術的中心へと変容させた。次のことも書き添えておくべきである。この集団は、熱烈で、新しさを希求する想像力、しばしば正道を踏み外すエネルギッシュな意思を持っていたがために、異論の余地を残すシステムを推奨することとなった。そのシステムにあっては、単純さ、真、美が、必ずしも、第一に考えられるというわけではなかった。

 ヴァイマル楽派は、旋律的霊感の代わりに長い叙唱を用い、朗唱されるアクセントの代わりに叫び声を用い、調性感の代わりに、しばしば一貫しない和声を用いる。リストは、[こうした潮流の]創始者ではないにせよ、少なくとも守護者であり、ヴァーグナーの一種の演出家のような存在であった。ヴァイマルで《タンホイザー》と《ローエングリン》が上演されたのは、この大芸術家[リスト]の主導と、粘り強い意思のおかげである。歌劇の確信に満ちた普及者にしてヴァグネリアンだったリストは、長年に亘って、この新しい信念を定着させるべく活動した。だが、その信奉者の数は、いまなおドイツにおいても多くはない。

 リストは、ハンガリーに戻る前、何年もの間、ローマに留まった。彼は、ロシアのある大公后と真剣に結婚を考えていたので、同国に留まっていたが、ロシア皇帝の勧めにより破局を余儀なくされ、ツァーリの反対も空しく、この幸福と平安の夢は水泡に帰した。人生の悲嘆に暮れ、失望したリストは、一時、俗世を捨て、修道士としての生活に身を捧げようとしているかに見えた。制限の多いこの地平は、あれほど熱烈な本性の持ち主の心を、十分に満たすはずがなかった。そして、この大ヴィルトゥオーゾが最終的にとった解決策は、彼の友人が恐れたほど、深刻なものではなかった。歳月の重みにも拘わらず、この老人士は命を絶つことなく、やがて、再び栄光へ、過剰な称賛へ、彼の生活には欠かせない熱っぽい仕事へと戻っていた。

  1. 原文では1844年になっているが、リストが最初にこの職に任命されたのは1842年である。
  2. 1848年、フランス2月革命を発端としてヨーロッパ各地で起こった一連の革命運動。フランスでは第二共和制が樹立。革命は欧州各地に飛び火し、ナポレオン戦争後に樹立されヨーロッパの安定に寄与してきたウィーン体制が崩壊した。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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