19世紀ピアニスト列伝

フランツ・リスト 第5回:人間リストの振る舞いと彼の編曲作品

2016/09/23
フランツ・リスト
第5回:人間リストの振る舞いと彼の編曲作品

 一度は僧籍に入ったリストですが、社交界では以前と変わらぬ振る舞いを見せたようです。最初の二段落で、マルモンテルは、当時パリでサロンを開いていたロッシーニの夜会で出会ったリストの言動を、すこしばかりの皮肉をこめて回想します。音楽だけでなく、女性の心を掴むのも、彼の天性だったということです。後半2段落は、彼の編曲作品(トランスクリプション)の価値が話題となります。

リスト アンリ・レーマンによる肖像画(1839年頃)

 ドイツとハンガリー――この国で、彼は帝室の計らいによって監督官および音楽の侯爵の地位を与えられた――に戻るのに先立ち、リストはパリで数ヶ月を過ごした。この時期、我々は、筆者の師であり友人であるアレヴィと、ロッシーニの家で、リストの演奏を聴いた。彼は以前と変わらぬ大芸術家であり、栄光と評判を愛し、愛想よく、粋で、状況に応じて繊細な言葉を用い、当意即妙に返答し、決して神の創造物や自然美を蔑むことはなかった。この話題に関し、ロッシーニ宅で行われたある夜会で、リスト師が愛らしい女性に向けた言葉を引いておこう。舞踏会用の衣装を纏ったド・X夫人のすばらしい肩に、たいへん強く魅せられたこの著名な芸術家は、ごく人間的な、静かな、しかし強烈な恍惚に満たされた。視線を捉えたこの若い女性は、ぎくっとして言った。「まあ!リストさん」。だが、粋なヴィルトゥオーゾは困惑することなく応えた「失礼、マダム、翼が生えやしないかと思って見つめていたのですよ」。眼差しはへつらいで、返答は讃辞なのだった。リストは、許されるどころか、称賛された。彼は、このように大目に見てもらえるように生まれついているのだ。

 リストは、短い法衣をたらしながらも、社交界とその虚栄、振る舞いから、完全には離れていないように見えた。「世の栄光はかく去る(羅:Transit gloria mundi)」は、彼のモットーではないのだ。この驚くべき人物の人間的側面を深く知りたい方は、「ロベール・フランツ」――ごくあからさまな筆名だ――による著作1を手に取られるとよい。この小さな私的告白集を出版したかつての貴夫人は、傷心の辛さとともに、この著名な芸術家を描いたが、彼女は実地に彼の姿を捉えており、彼を人間として、ありのままに提示しているところが、この本の魅力となっている。音楽家[としてのリスト]に関心のある方は、フェティスによる伝記記事――それは、彼が出版した中でも最良かつもっとも完全な伝記記事の一つだ――を読むことができる。そこには、一味ちがった性質の、秩序立てられた、芸術的・伝記的情報が含まれている。

 リストは、オーケストラや歌曲のピアノ用トランスクリプション、リダクションに秀でていた。[原曲を]再現するにあたり、これ以上の正確さと創意工夫を要求することは不可能である。彼の仕事は、比類なき仕上がりと精巧さを備えており、何一つ省かれるものはない。オーケストラの多様な 旋律的断片デッサン、様々な楽器の音色、音響効果――管弦楽のこうしたまとまりある、しかし複雑な驚くべき全体を、リストは、ミニチュアのオーケストラたるピアノのために要約し、修正する術を心得ていた。このジャンルで、彼の手になるベートーヴェン交響曲のトランスクリプションほど巧みに書かれたものはない。リストは、25年前、勇敢にもこれらの交響曲の一つをパリ音楽院ホールで演奏したことがある。聖堂にこだまする音2は、たいへんな大胆に震えたが、この大ヴィルトゥオーソの試みは完全な成功を収めた。彼は、演奏と傑作の細部まで行き届いた知性の下に、聴衆を掌握したのだった。

 シューベルトメンデルスゾーンロベルト・シューマンマイヤベーア、メルカデンテ、ロッシーニベートーヴェン歌曲リーダー[編曲]は、豊かなまとまりを成しており、学習する上で非常に有益なものである。同種の発想に属するものとして、我々は、もっとも興味深いリダクションとして、ベートーヴェンの七重奏曲、交響曲、ベルリオーズの交響曲、[ヴェーバーの]《魔弾の射手》序曲[S 465]、《オベロン》序曲[S 574]、祝祭序曲、[ベルリオーズの]《リア王》序曲[S 474]、《ローマの謝肉祭》序曲[S 741]、[ロッシーニの]《ウィリアム・テル序曲》[S 552]等を挙げておく。これらのトランスクリプションは、いずれも、並外れた熟練の手腕によるものだが、同時に、演奏は困難を極める。数々の有名な《ハンガリー狂詩曲》[S 244]集――これらは国民的俗謡3に想を得た作品だ――は、奇妙なリズムと和声が見られ、いくぶん野蛮で、土着的色合いに満ちている。古今のオペラに基づく幻想曲ファンタジー、パラフレーズ、挿絵イリュストラシオン回想レミニッサンス、カプリースは、非常に多くを数える。多大な効果を発揮するこれらの多くの演奏会用作品に取り組むことができるのは、その才能があらゆる難技巧で打ち砕かれる[覚悟のできている]ピアニストだけである。12の演奏会用練習曲、フーガ、パガニーニの練習曲4のピアノ用トランスクリプション[S 141/141]もまた、この難易度に属している。

  1. Franz Robert, Souvenirs d'un pianiste, réponse aux souvenirs d'une cosaque, Paris, Lachaud et Burdin, 1874, 255 p. フランツ・ロベールはオルガ・ヤニナ(Olga Janina)の偽名で、彼女はリストの弟子だった。
  2. マルモンテルが音楽院ホールを聖堂(temple)と読んでいるのは、このホールが1828年に開かれて以来、ベートーヴェンを中心とする、古典的管弦楽曲が演奏されていたためである。パリ音楽院ホールは、実際には殆ど反響しない。
  3. 実際には、これらの作品に登場する旋律は、ハンガリーの俗謡ではなく、ロマの旋律であることが知られている。
  4. 実際には「練習曲」ではなく、パガニーニの《24のカプリース》作品1である。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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