パリ発ショパンを廻る音楽散歩

09.ヴァンドーム広場12番地/ピアノ・レッスンの普及

2008/09/01
ヴァンドーム広場12番地ピアノ・レッスンの普及
ヴァンドーム広場12番地
ヴァンドーム広場12番地
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ヴァンドーム広場12番地
12, place Vendôme
75001 Paris
地下鉄 : 3・7・8 号線 Opera オペラ、1号線Tuilerie チュイルリー、1・ 8 ・12号線 Concordo コンコルド下車
1849年9月下旬から10月17日まで
第9回
現在はショーメ宝石店
第9回
ショパンがこの家で終焉を迎えたことを示すヴァンドーム広場に面した外壁のプレート:
1810年2月22日、ポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラで生まれたフレデリック・ショパンは1849年10月17日、この家で死す

死を予感したショパンの願いで8月にポーランドから姉のルドヴィカ一家が来仏した為、ショパンは長年の住まいであったオルレアン広場のアパートを正式に引き払い、9月下旬、姉と共にシャイヨの丘からさらに日あたりの良いヴァンドーム広場の高級アパルトマンの中庭に面したプレミエ中二階の部屋に引っ越します。

第9回
広場から中庭への入口 今も美しい、玄関ホールの階段
第9回
ショパンが最期を過ごした中二階(プレミエ)の部屋

リッツ・ホテル
第9回
Hôtel Ritz ****
15, place Vendôme
75001 Paris TEL +33 (0)1 43 16 30 30
FAX +33 (0)1 43 16 31 78/79
http://www.ritzparis.com
予約:resa@ritzparis.com


ヴァンドーム広場のもうひとつの悲しいエピソードになってしまったショーメ宝石店の向かい側、15番地のリッツ・ホテル。かのダイアナ妃が亡くなる直前に、最後の食事をした場所。1898年の創業以来、常連だったプルーストをはじめ、1920年代には「パリのアメリカ人」フィッツジェラルドやヘミングウェイ、1934年から1971年までこのホテルで暮らしたシャネルなど、世界中のVIPを魅了してきたパリの4つ星ホテル。ショパンの名を冠した19世紀の音楽サロンの雰囲気を再現したプレステージ・スイートルームも存在する。

第9回
「プレリュード」journal des femmes誌に掲載されたリトグラフ(1830)
ピアノ・レッスンの普及

 社会の変動と共に、音楽が上流階級の特権的な存在から都会に住む市民の日常に欠かせない消費生活の一部として定着していくと、一台でオーケストラに匹敵する広い音域と音色を合わせ持つピアノは、ロマン主義の美意識にかな適う多様な表現が可能な唯一の楽器でありながら手頃で身近な楽器として庶民の人気を集め、コンサート会場のみならず一般家庭にも普及し、ピアノ人口は増大していきます。娯楽の限られていた時代において、ピアノは居間にくつろ寛ぎをもたら齎す裕福で幸せな家庭の象徴となりました。こうした音楽の大衆化はアマチュア階層が広く形成されていくことをも意味します。

第9回
ファミリ?・コンサート(Eugene Lami画)

ピアノ・レッスンはそれまでの専門家を養成する目的や貴族の子女が教養の一部としてたしなむものから、市民に専門家のレッスンを受けながらピアノ演奏を楽しむというライフ・スタイルを生み、レッスンの報酬は音楽家が自立していく上での貴重な収入源となりました。市民生活におけるピアノの普及をきっかけに、音楽家の生き方はそれまでの依存的な立場から、経済的に自立して一個のアーチストとして公に芸術的評価を問う方向へと変化していきます。

 ショパンも、パリに着いてまもなく後進の指導にあたります。他のヴィルトウオーゾたちのように頻繁に公に演奏しなかったショパンにとって、定期的に収入を得られるパリでのレッスンは異国での生活を維持していく為の大切な経済的基盤となりました。20フランという当時としては破格の高額なレッスン料にもかかわらず、たくさんの良家の淑女やピアニストの卵たちがショパンのレッスンを希望していた事実は、パリでのショパンが演奏においてのみならず、教えるという点でも注目されていたことを示しています。モシュレス、エルツ、カルクブレンナー等、パリ音楽院で指導にあたっていた最高の教授陣たちがショパンの曲を教材として使い始めていました。

 ショパンは一日数時間、ひとり45分から数時間レッスンしたと言われています。指の訓練だけで3時間!と主張していたリストに対し、ショパンは日頃、弟子たちに練習しすぎないようにといつも助言していました。練習は指の訓練、練習曲、レパートリーとなる曲を含めて一日3時間で十分と教えています。必要なのは想像力と集中力で、大切なのは自分の出した音に耳を傾けること、それが筋肉の動きとリラックスを生むと考え、自分が聴きたいように演奏するようにといつも生徒に繰り返していました。つまり、自分がこういう音楽にしたいという要求に従って自分自身の音を聴かなければならないということですね。

 未完に終わりましたが、ショパンが晩年に書き始めた「演奏法」と言う著作には興味深い記述がたくさんあります:ショパンは演奏のメカニズムとは自然な手の形に根ざし、手は内側にも外側にも向けずに白鍵の高さにおき、指を親指から順番にミ、ファ#、ソ#、ラ#、シに置くと手が丸くなって柔軟性が得られると書いています。彼は力を入れことなく多くの音色を得るというのが大切で、その基本がこの手の形にあると考えていました。また、手首を緊張させないのはもちろんですが、体を傾けることなく鍵盤の両端に手を伸ばせる位置に座ることも重要だと主張しています。演奏の訓練は鍵盤に手をおいて、前述の「白鍵の高さにおいた」無理のない丸めた手の形でするように、としています。そして、5本の指はそれぞれ異なるのだから、それぞれの指に固有のタッチの可能性を探ることが大切で、効果的な運指法は美しいニュアンスのある演奏に繋がると考えました。

 このことから、ショパンが技術的な要素と音楽スタイルは密接に関係すると思っていたことが伺い知れます。そして、その考えの下に作られたのがショパンの練習曲集でした。彼の練習曲は指の訓練に役立つばかりか、ひとつひとつが芸術としての価値が十分にある作品です。ショパンはピアノの演奏に必要な運指法、フレージング、デュナーミク、リズム、さらには演奏に不可欠な微妙な音楽的ニュアンスに至るまでのさまざまな要素をこの曲集に集めることに成功しました・・・


中野真帆子
なかのまほこ◎4歳よりピアノを始め、10歳の時、NHK教育TV「ピアノのおけいこ」にレギュラー出演。ウィーン国立音楽芸術大学を経て、パリ・エコールノルマル音楽院コンサーティストを審査員全員一致で修了後、カナダ・バンフセンターにて研鑽を積む。ロヴェーレ・ドーロ国際音楽コンクール優勝をはじめ、アルベール・ルーセルピアノ国際音楽コンクール第4位、及びルーセル賞、マスタープレイヤーズ国際音楽コンクールピアノ部門第1位など、ヨーロッパ各地のコンクール入賞を機に、ソリスト・室内楽奏者としてアジア・カナダ・ヨーロッパの音楽祭に参加。帰国後はフェリス女学院大学音楽学部で後進の指導にあたる傍ら、国内外での演奏、各種コンクールの審査員、TV・ラジオへのメディア出演、音楽雑誌への執筆・翻訳など、多方面で活躍し、2016年秋に国連帰属の世界公益同盟より日本人として初めてのメダル受章。著書に『ショパンを廻るパリ散歩』(2009)、翻訳書に『パリのヴィルトゥオーゾたち』(2004)、『ショパンについての覚え書き』(2006)、録音にキングインターナショナルより『LIVE』(2015)、『ロマンチック・タイム』(2016)。◆ Webサイト
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