パリ発ショパンを廻る音楽散歩

08.シャイヨ通り74番地/ピアノ・リサイタルの誕生

2008/08/01
シャイヨ通り74番地ピアノ・リサイタルの誕生
クリックで大きい地図(別窓) シャイヨ通り74番地
シャイヨ通り74番地(現在のカンタン・ボシャール Quentin-Bauchart通り)
74, rue de Chaillot
rue Quentin-Bauchart
75008 Paris
地下鉄 : 1号線 GeorgeV ジョルジュ・サンク下車
1849年5月末~9月中旬
第8回

サンドの息子、モーリスは成人するにつれてことごとくショパンと対立するようになり、モーリスを溺愛するサンドとショパンとの間に不協和音が鳴り始めます。そして、サンドの娘、ソランジュの結婚をきっかけに表面化した家庭内のいさかいに巻き込まれ、サンドとショパンは決定的な破局を迎えました。サンドとの別離で精神的にも肉体的にも大きな打撃を受けたショパンを励まそうと、周囲は1848年2月にショパンの公開演奏会を企画して大成功を収めますが、その一週間後に勃発した二月革命による混乱を避ける為、ショパンは弟子で彼の後見者でもあったジェーン・スターリング嬢の勧めによって、春にイギリスへと旅立ちます。しかし、病躯をおしての半年以上に亘る異国への長旅はショパンの病状を想像以上に悪化させ、言葉や生活習慣の違いに身も心も疲れ果てて帰国した彼は、衰弱しきって病床に臥す日々が続きました。そして、1849年の5月末、避暑と療養を兼ねて、当時、パリの郊外であった閑静な住宅に一時的に転居します。

シャイヨ宮
シャイヨ宮
Musee national de la Marine
Palais de ChaillotPa
Place du Trocadero
75016 Paris TEL +33 (0)1 58 51 52 00
FAX +33 (0)1 58 51 52 00
http://www.citechaillot.fr
地下鉄 : 6号線・9号線 Trocadero トロカデロ下車
かつてショパンが滞在したシャイヨの丘に建てられた、湾曲した双翼の形をした宮殿。
ルイ14世の義妹、アンリエット・ダングルテールが創設した聖母訪問会の女子修道院で有名であった場所に、ナポレオン1世がローマ王として育てた息子への宮殿として建設を試みたが、帝政の崩壊で工事が中断。その後、日本が初めて国際博覧会に出展した1867年の第3回パリ万博の際に、その会場としてパビリオン=トロカデロ宮が完成されるが、1937年の万博開催時に取り壊され、現在のネオ・クラシック・スタイルのシャイヨ宮が建てられた。庭園にはブロンズ像や噴水が配され、テラスから見るエッフェルの眺めは定番の観光スポット。
宮殿内部はパッシー翼側の国立海軍博物館と人類博物館、パリ翼側の国立フランス文化財博物館と地下から入場するシャイヨ国立劇場Theatre national de Chaillotが設置された一大総合文化施設と成っている。
国立海洋博物館
ナポレオンの遺骸を運んだ船
ナポレオンの遺骸を運んだ船
Musee national de la Marine
Palais de Chaillot
17 place du Trocadero
75016 Paris TEL +33 (0)1 53 65 69 69
FAX +33 (0)1 53 65 69 65
http://www.musee-marine.fr/site/fr/presentation_palais_chaillot_trocadero
開館時間:平日10時から18時(入場:17H15)まで
      土日 10時から19時(入場17H40)まで
      火曜閉館
料金:6,5ユーロ
18歳以下無料
1748年にルイ15世のコレクションから生まれた世界最古の海洋博物館。
航海や造船技術の変換を辿ると共に、ナポレオンの遺骸をセント・ヘレナ島から運んだ「美しい雌鳥号」など、歴史に残るさまざまな船の模型が展示されている。
人類博物館
Musee de l'Homme Musee de l'Homme
Palais de Chaillot
17 place du Trocadero
75016 Paris TEL +33 (0)1 44 05 72 72
http://www.mnhn.fr/museum/foffice/tous/tous/guidePratique/infPratiques/infopratique/fiche_info.xsp?i=1&nav=liste&SITE_ID=1&LIEU_ID=176&idx=6
開館時間:平日10時から17時(入場は17時15分)まで
      土日 10時から18時(入場は17時40分)まで
      火曜・祝祭日閉館
料金:7 ユーロ
1937年のパリ国際博覧会の催事を機に、それまでの民族博物館を引き継ぐ形で設立された博物館。
人類学、考古学、民族をテーマの中心として、世界中の人類に関するあらゆる資料が展示されている。。
建築・文化遺産博物館
Cite de l'architecture et du patrimoine
7, avenue Albert de Mun
75116 Paris
TEL +33 (0)1 58 51 52 00
FAX +33 (0)1 58 51 52 00
http://www.citechaillot.fr/musee2/visite_virtuelle.php
開館時間:平日11時から19時まで
      土日 11時から20時まで
      木曜 11時から21時まで
      火曜・祝祭日閉館
料金:8 ユーロ
以前はフランス文化財のレプリカを展示する国立フランス文化財博物館として公開されていたが、1997年の火災による改装工事を経て建築・文化遺産博物館として2007年9月にリニューアル・オープン。中世・近代・現代の3つのセクションに分かれた国内最大規模の建築に関する博物館となった。
シャイヨ国立劇場
Theatre national de Chaillot
http://www.theatre-chaillot.fr
Ariel Gordenberg監督によるSalle Jean Vilar、Salle Gemier、Studioの3スペースから成るシャイヨ宮地下の劇場。

ピアノ・リサイタルの誕生

 ヨーロッパにおけるロマン派の時代は、コンサートの運営がサロンや慈善演奏会から音楽ホールや市民組織による音楽団体主催の定期演奏会へと移行し、内容も数人の賛助出演者を招いてさまざまな楽器の組み合わせによる曲目を無秩序に並べるだけのコンサートから、単一楽器による統一の取れたプログラムで構成されるリサイタル形式が誕生して、作曲家と演奏家が分離していく過程に在りました。

 19世紀初頭の音楽界において、ピアニストは他の楽器奏者や歌手、室内楽団と競演して自ら作曲した作品を演奏するのが常識でした。一人のピアニストがほかの音楽家の作品を主として演奏する現在のようなソロ・コンサート、いわゆるリサイタルはまだ存在していなかったのです。

 ショパンが1832年2月25日、22歳の時にプレイエル・ホールで演奏したパリでのデビュー・コンサートは、以下のような形態で演奏されていました。

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ショパンのデビュー・コンサートのプログラム
ショパンのデビュー・コンサートのプログラム
第一部:

1. バイヨー、ヴィダル、ウルアン、ティルマン、ノルブリンによる
ベートーヴェン作曲「五重奏クインテット ハ長調 作品29」
2. トメオーニ嬢とイザンベール嬢による二重唱 
3. ショパン自身の演奏による≪ピアノ協奏曲 へ短調≫
4. トメオーニ嬢によるアリア

~休憩~

第二部

1.カルクブレンナー、スタマティー、ヒラー、オズボーン、ソヴィンスキ、ショパンによる≪六台のピアノの為の序奏と行進曲付きグラン・ポロネーズ≫、
2.イザンベール嬢によるアリア、
3.ブローニによるオーボエ独奏
4.ショパン自身の演奏による≪モーツアルトの主題による華麗なる大変奏曲≫

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 リサイタル形式の演奏会を始めたのは、1827年にロンドンで開いた演奏会で、短い声楽曲を4曲入れながらも過去の作曲家の作品からピアノ曲だけを選んで演奏したイグナーツ・モシュレスです。ところが、リストはその2年後の1839年3月8日に「音楽のモノローグ(独白)」と名付けた史上初めての自作単独演奏会をローマで開き、翌年の1840年6月9日にロンドンのスクエア・ルームズで、告知に英語のリサイタル(独奏)という用語を史上初めて用いた自作自演の単独コンサートを開きました。曲目はベートーヴェン作曲『田園』からスケルツォとフィナーレ、続いてシューベルトのセレナードとアヴェ・マリア、リスト自身の作曲によるヘクサメロン、ナポリのタランテラ、半音階的大ギャロップで、このコンサートは、さまざまなジャンルの作品を複数の演奏家が演奏するという今までの演奏会の常識を覆した画期的な出来事になりました。

リストのミュンヘン公演プログラム
リストのミュンヘン公演プログ
ラム(1843年10月21日)

 リストはバッハから当時の作品までをレパートリーとし、楽譜を見ての演奏から原則として暗譜で演奏して、徐々に現代のピアノ・リサイタルのスタイルを確立していきました。

例えば、ミュンヘンの公演はベートーヴェンの≪悲愴≫ソナタで始まり、リストの自作自演による≪夢遊病の女の主題による幻想曲≫、続いてロッシーニ作曲の≪タランテラ≫、ショパンの≪マズルカ≫と≪清教徒からのポロネーズ≫、バッハの嬰ハ短調フーガ、最後はウェーバーの≪舞踏への勧誘≫という曲目、

リストのウィーン公演プログラム
リストのウィーン公演プログラム
(1846年3月5日)

ウィーンでのリサイタルは、ロッシーニ作曲の≪ウィリアム・テル≫序曲をリストがピアノに編曲して演奏し、次に、リスト自身の作曲による≪ヴァレンシュタットの湖で≫と≪泉のほとりで≫、そして、シューベルトの≪さすらい人幻想曲≫、ショパンの2つのエチュードを経て、最後は≪ノルマ幻想曲≫の自作自演で締めくくられています。

空前の大成功として伝えられる1841年12月27日から3月初旬にかけてベルリンで行われた一連の演奏会では、リストは約80曲を弾き、そのうち50曲は暗譜だったと伝えられています。さらにピアノの蓋を開け、客席に向かって右側に置いて弾き始めたのもリストです。彼は自らの演奏活動を通してこれらのことを各地で一貫して実践し、現在に至るピアノ・リサイタルの様式を定着させました。

一方、ショパンは作曲技法においては前期ロマン派の最先端を歩んでいましたが、演奏会の形態においては従来の形を踏襲しました。これは彼自身の選択というよりは、健康状態やサンドとの関係の悪化と別れにより、晩年にはリサイタルどころか演奏会自体を開く気力も体力的な限界を超えてしまった為でしょう。

マネージメントが確立していなかったロマン派の時代において、演奏家が全て自身の手でお膳立てしなければ成り立たなかったコンサートの在り方は、ショパンにとって体力的にも精神的にも負担が重く、彼は次第に作曲に専念し、作品の出版を通して自らの音楽を表現していく道を選びます・・・


中野真帆子
なかのまほこ◎4歳よりピアノを始め、10歳の時、NHK教育TV「ピアノのおけいこ」にレギュラー出演。ウィーン国立音楽芸術大学を経て、パリ・エコールノルマル音楽院コンサーティストを審査員全員一致で修了後、カナダ・バンフセンターにて研鑽を積む。ロヴェーレ・ドーロ国際音楽コンクール優勝をはじめ、アルベール・ルーセルピアノ国際音楽コンクール第4位、及びルーセル賞、マスタープレイヤーズ国際音楽コンクールピアノ部門第1位など、ヨーロッパ各地のコンクール入賞を機に、ソリスト・室内楽奏者としてアジア・カナダ・ヨーロッパの音楽祭に参加。帰国後はフェリス女学院大学音楽学部で後進の指導にあたる傍ら、国内外での演奏、各種コンクールの審査員、TV・ラジオへのメディア出演、音楽雑誌への執筆・翻訳など、多方面で活躍し、2016年秋に国連帰属の世界公益同盟より日本人として初めてのメダル受章。著書に『ショパンを廻るパリ散歩』(2009)、翻訳書に『パリのヴィルトゥオーゾたち』(2004)、『ショパンについての覚え書き』(2006)、録音にキングインターナショナルより『LIVE』(2015)、『ロマンチック・タイム』(2016)。◆ Webサイト
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