パリ発ショパンを廻る音楽散歩

07.スクワール・ドルレアン9番地/コンサート・ホールの創設

2008/07/01
スクワール・ドルレアン9番地コンサート・ホールの創設
クリックで大きい地図(別窓) スクワール・ドルレアン9番地
スクワール・ドルレアン9番地 (テブー通り80番地)
9, square d'Orleans (80, rue Taitbout)
75009 Paris
地下鉄 : 12号線 Torinite d'Estienne d'Orveトリニテ、Notre-Dame de Loretteノートルダム・ド・ロレット下車
1842年9月末から1849年まで

第7回
スクワール・ドルレアン入口


第7回
ショパンが1842年から1849年まで住んだと記された9棟のプレート


第7回
サンド宅のプレート

第7回
中庭の噴水

ショパンとサンドの新しい住まいとなったスクワール・ドルレアンは、通りから隔離された中庭に噴水のある、緑の美しい、落ち着いた佇まいのアパートでした。モンマルトルの丘のふもとのこの地域は、当時、政府が新しく開発し始めた区画で、ギリシャ風の建築様式や装飾を持つ建物が多く、さらに、1833年に独立したギリシャが社会的に注目されていたことから「ヌーヴェル・アテネ」と呼ばれ、多くの文化人や芸術家がこの界隈に移り住み、頻繁に集っては互いに協力し合う、芸術共同体を形成していました。スクワール・ドルレアンには、既にピアニストのカルクブレンナーやジンメルマン、作曲家のアルカン、歌手のポーリーヌ・ヴィアルド夫妻、作家のデュマ(父)、ショパンの彫像を制作した彫刻家のダンタン、プリナ・ドンナのタリオーニらが住んでいました。ショパンはこのアパートの9棟の地上階、サンドは5棟の上階に部屋を見つけ、同じ敷地内に住む共通の友人達と、一種の共同生活を営みます。


スクワール・ドルレアン内部 ショパンは9棟、サンドは5棟に住んでいた スクワール・ドルレアン内部 ショパンは9棟、サンドは5棟に住んでいた

コンサート・ホールの創設

 楽器の飛躍的な向上に伴ってヴィルトゥオーゾたちの活躍が脚光を浴び始めると、人々はジャーナリズムの情報や批評を通してコンサート会場へと足を運ぶようになり、コンサートの需要が激増した為、従来の劇場やオペラ・ハウスの他に、コンサート専用のホールが建てられ始めます。

 録音や放送の伝達手段がなかった時代のヨーロッパにおいて、料金を払えば誰もが来場できる公開演奏会の形態は既に18世紀ごろから在りましたが、ゲヴァントハウス(織物会館の意)を拠点としたことからその名が付けられた管弦楽団の例に見られるように、かつてはコンサート専用の空間がほとんど存在しなかったので、教会や宮廷の大広間、多数の聴衆を一同に集めて演奏できる既存の大型建築スペースを借りて開催していました。19世紀に入り、度重なる階級闘争とイギリスで先行していた産業革命に追髄する形で勢力を増した中産階級が新時代の主役になると、音楽は教会や貴族、宮廷によって保護されるものから一般市民を担い手として自由に商業化されるようになり、宮廷を中心に確立していったオペラに対抗する形で市民生活の中に浸透し、パリでは新たな音楽文化の活況が始まりました。楽器の成熟によって登場したヴィルトゥオーゾたちへの人気が高まると、彼らを主役とする音楽的な催しが驚異的に増え、オペラ以外の音楽会を対象にしたコンサート・ホールが望まれるようになりました。

*ゲヴァントハウス管弦楽団
ドイツのライプチヒに所在するオーケストラで、市民階級による自主経営団体として1743年に発足した世界初のオーケストラ

 こうした状況の下、ピアノメーカーとして軌道にのったプレイエル商会の2代目社長、カミーユ・プレイエルは、1830年1月1日に演奏家の支援と自社ピアノの宣伝を目的とした世界初の私設ホール「サロン・プレイエル」を開場します。以降、サル・プレイエルはショパンをはじめ、時代を代表する音楽家たちのさまざまな音楽シーンを演出し、フランス音楽界の発信地として重要な役割を担うようになりました。

 新興ブルジョワは、ボックス席によって仕切られているオペラ座では叶わない上流階級との接触を試みて、しばしばコンサート・ホールへと足を運びます。当時の上流貴族は、オペラ座のボックス内に一族専用席というのを確保し、一般の観客とは隔離された位置で鑑賞していました。このボックス席は各貴族による代々の世襲制で、滅多に「空き」がでません。従って、ブルジョワ階級は経済的に彼らと同等になっても、同じボックス席に座って観劇するわけにはいきませんでした。ところが、世襲制のボックス席が存在しない、開かれたばかりのコンサート・ホールでの新しく出現したヴィルトゥオーゾによる音楽会においては、チケットを入手さえすれば階級にかかわらず、以前なら顔を見ることさえ出来なかった侯爵や伯爵と同席して対等に音楽を鑑賞できるという魅力があります。かつてはありえなかった二つの階級が同じ場に会し、コンサート音楽会という共通の場を通してお互いのコミュニケーションが可能になりました。当時のコンサート・ホールは、貴族と新たに出現したブルジョワという二つの階級を融合させていく、社会的に重要な役割をも果たしていたのです。

 1832年、ショパンはこの会場でパリ・デビューを果たします。1831年の12月25日に予定されていたコンサートは2度延期され、最終的には1832年の2月25日にショパンを応援する亡命貴族やリスト、メンデルスゾーンなど、パリ音楽界をリードする面々を招待客に連ね、この小さなサロン・プレイエルでの成功によって、ショパンは瞬く間にパリ音楽界有数のソリストのひとりと数えられるようになりました。

 その後もショパンは、公式演奏のほとんどをプレイエルのホールで展開し、1849年には生涯最期の舞台としてプレイエルのホールを選び、人生の幕を閉じることになります・・・

旧サロン・プレイエル跡
写真制作所のプレートが残るかつてのサロン・プレイエル(カデ通り9番地)入口
写真制作所のプレートが残るかつてのサロン・プレイエル(カデ通り9番地)入口
サロン・プレイエル跡
サロン・プレイエル跡
現在、幼稚園になっていたかつてのサル・プレイエル
現在、幼稚園になっていたかつてのサル・プレイエル(22, rue Rochechouartロシュシュアール通り22番地)
プレイエルでの演奏会風景
プレイエルでの演奏会風景
9, rue Cade
75009 Paris



現代のような綿密な音響設計によるコンサート専用ホールがほとんど無かった時代にプレイエルが造ったサロン・プレイエル。此処でショパンのデビュー・コンサートが企画され、ショパンをはじめ、彼と同世代のヴィルトゥオーゾたちの活躍の場となった。


旧サル・プレイエルの座席表(550席)
旧サル・プレイエルの座席表(550席)

拡大したプレイエル社の移転に伴い、1839年12月にロシュシュアール通りの工房に併設された550席の音楽ホールがあった場所。
1848年2月16日、ショパンは此処でパリで生涯最後の公式演奏をする。


サル・プレイエル
サル・プレイエル
サル・プレイエル内部
エントランスやロビーの内装を1927年の創建当時に再現され、 プレイエル・ピアノのメイン・ショールームも再開されて、 よりお洒落になったサル・プレイエル内部
Salle Pleyel
252, rue du Faubourg Saint-Honore
75008 Paris
www.sallepleyel.fr
予約:TEL +33 (0)142 56 13 13
日曜を除く11時から 19時まで
日曜はコンサートがある日のみ、11時から17時まで
チケットカウンター:月曜から土曜の 12時から19時
コンサートのある日は20時まで
日曜はコンサート開始の2時間前より受付開始
地下鉄:2号線Ternesテルヌ下車
1・6号線、RER A線Charles de Gaulle-Etoile シャルル・ドゴール=エトワール下車

1927年10月18日にフォブール・サントノーレ通りに移転オープンした大規模なホール。メインホールの他に、ショパンとドビュッシーの名を冠した小ホール二つを備え、さらにピアノ展示室が設置されていたこのホールは、世界中の注目を浴び、パリの代表的音楽スポットとして揺るぎない存在に。その後、プレイエル社の経営難による紆余曲折を経て、2006年秋にリニューアルオープンしたサル・プレイエル。2370席あった客席は1913席に減らされてさらにゆとりある空間になり、音響設計も改善され、再び、パリ随一のコンサート・ホールとしてパリ市民のみならず、世界各国から訪れる音楽ファンを楽しませている。


パリ高等演劇学院ホール(ショパンが度々演奏した旧パリ音楽院ホール)
パリ高等演劇学院ホール
パリ高等演劇学院ホール
小じんまりとしているが、3階まである馬蹄形で、ワインレッドのビロードで張られた椅子が美しい。
Conservatoire Nationale d'Art Dramatique
2 bis rue du Conservatoire
75009 Paris
www.rueduconservatoire.fr
予約:TEL +33 (0)142 56 13 13
地下鉄:8・9号線Bonne Nouvelleボン・ヌヴェル下車
パリ高等演劇学院入口のプレート
パリ高等演劇学院入口のプレート
パリ高等演劇学院ホールで行われていた授業風景
パリ高等演劇学院ホールで行われていた授業風景
パリ高等演劇学院ホールのロビー
パリ高等演劇学院
ホールのロビー

パリでショパンが演奏した、パリ高等演劇学院内に現存する唯一のホール。
ショパンはポワソニエール大通り、シテ・ベルジェールに在るパリ滞在初期の2つの住まいから歩いて数分のこのホールで開催された1832年5月20日の慈善演奏会の際に「ピアノ協奏曲ホ短調の一楽章」を、1833年12月15日に人気ヴィルトゥオーゾ、ヒラーとリストと共にバッハの3台のピアノの為のニ短調協奏曲のアレグロを、1834年12月14日にベルリオーズの演奏会の賛助出演でピアノ協奏曲ヘ短調の緩徐楽章を、1835年月26日に指揮者のアブネックを支援するための演奏会で「アンダンテ・スピナートと華麗なるポロネーズ」を、1838年3月3日には作曲家、アルカンの演奏会でピアノ用アンサンブルに編曲されたベートーヴェンの交響曲第7番を共演している。 現在はパリ国立高等演劇学院。


中野真帆子
なかのまほこ◎4歳よりピアノを始め、10歳の時、NHK教育TV「ピアノのおけいこ」にレギュラー出演。ウィーン国立音楽芸術大学を経て、パリ・エコールノルマル音楽院コンサーティストを審査員全員一致で修了後、カナダ・バンフセンターにて研鑽を積む。ロヴェーレ・ドーロ国際音楽コンクール優勝をはじめ、アルベール・ルーセルピアノ国際音楽コンクール第4位、及びルーセル賞、マスタープレイヤーズ国際音楽コンクールピアノ部門第1位など、ヨーロッパ各地のコンクール入賞を機に、ソリスト・室内楽奏者としてアジア・カナダ・ヨーロッパの音楽祭に参加。帰国後はフェリス女学院大学音楽学部で後進の指導にあたる傍ら、国内外での演奏、各種コンクールの審査員、TV・ラジオへのメディア出演、音楽雑誌への執筆・翻訳など、多方面で活躍し、2016年秋に国連帰属の世界公益同盟より日本人として初めてのメダル受章。著書に『ショパンを廻るパリ散歩』(2009)、翻訳書に『パリのヴィルトゥオーゾたち』(2004)、『ショパンについての覚え書き』(2006)、録音にキングインターナショナルより『LIVE』(2015)、『ロマンチック・タイム』(2016)。◆ Webサイト
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