海外の音楽教育ライブリポート/菅野恵理子

ヴァン・クライバーン国際コンクール(22)今後に生かしたい5つのポイント・前編

2013/06/15
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第14回ヴァン・クライバーン国際コンクールでは世界各国30名の精鋭が集まり、2週間強にわたって華やかな競演が繰り広げられた。コンクールを聴いていると、各ピアニストがもつ個性や受けてきた教育によって、こんなにも演奏が異なるのかといつも思う。また教育内容が年々進化していることも感じる。そこで今回のコンクールを振り返りつつ、審査員シンポジウムでの発言(6月8日)や審査員インタビューを引用しながら、今後に生かしたい5つのポイントを挙げてみた。

1)曲を主体的に選ぶこと
2)曲の全体像から文脈を見出し、音を探すこと
3)ソロ以外の勉強を広げること
4)言語コミュニケーションも増やすこと
5)グローバル化を上手に活かすこと


1)曲を主体的に選ぶこと

昨今の国際コンクールでは、選曲の自由度が増している。火付け役はこのヴァン・クライバーン国際コンクールである。今年は予選2回のソロリサイタル各45分、セミファイナルのソロリサイタル60分、全て自由選曲(新曲課題曲以外)という課題だった。

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「自由」をうまく扱うのは、とても難しい。審査員ヨヘベド・カプリンスキー先生は、「選曲には、そのピアニストがどういう人か、どんな音楽的価値観を持っているのかが大いに反映されています」という。確かに30名のプログラムはそれぞれアイデンティティがあった。(写真:カプリンスキー先生のマスタークラスにて)

例えばバロックから近現代まで幅広く取り入れる人もいれば、特定の時代や国の作品を重点的に選ぶ人、作曲家の相関関係や音楽史の系譜に沿って曲を並べる人、特定のテーマを軸に曲を選ぶ人、自分が得意な曲を並べる人、近現代曲をプログラムのアクセントにする人、プログラムを通じて何らかの音楽的発見や芸術的価値を示唆する人・・様々である。どのピアニストも大変優れたテクニックを持っているだけに、それで何を表現するのか、という音楽的探究の方向性が見えたのが興味深かった。日本の阪田知樹さんのプログラムも、聴衆から高い関心を寄せられていた。(参考:「プログラムから見えるもの」予選I & 予選II

国際コンクールでどんな曲が選ばれているのかは、今後のトレンドを推測する上でも見逃せない。審査員アリエ・ヴァルディ先生は、バッハの復活(パルティータ、組曲、トッカータ等)を喜ぶ。野島稔先生は、完全自由とはいえども、だからこそ古典派作品解釈の基本は踏まえてほしいと語る。またアレクセーエフ先生は現代曲の重要性を指摘する
全体としては多様な曲が選ばれていたと思うが、それは自由の前提として、時代様式の勉強が定着していることがあるだろうか。それにしてもペトルーシュカが多かった!ペトルーシュカには何の罪もないのだが、偶然にも多くの人が選んだだけに、比較対象にもなっていた。アピールしやすいから選ぶのではなく、自分の芸術的価値観を反映した選曲なのか、じっくり考えることが出発点になるだろう。

2)曲の全体像から文脈を見出し、音を探すこと

よく言われる「美しい音」というのは、耳に心地よい音ということなのだろうか、それともを音楽が要求している美しさなのだろうか。美しさの基準は多様で、モーツァルトの美しさ、ベートーヴェンの美しさ、ショパンの美しさ、ドビュッシーの美しさ、プロコフィエフの美しさは全く違う。それぞれの作曲家の曲によっても、楽章や楽節によっても違う。美しさは、フレーズの運び方や一瞬の間からも生まれることもあるし、ほんの一瞬鳴らした音に極上の美しさが宿ることもある。終始綺麗な音が続くよりも、その対極にある音との対比によって、美しさが浮き彫りになることもある。不協和音にも美しさがある。

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どんな音が求められているのかは、曲の文脈から導き出すことができるだろう。もちろん美しさだけでなく、喜怒哀楽やユーモアといった人間の心情、自然や情景の描写、民族音楽や民謡の再現、抽象的概念など、曲はあらゆる森羅万象を表現している。審査員アリエ・ヴァルディ先生は、日頃から学生にプログラム・ノートを書かせているという。他人の本や文章を引用させず、単に自分の演奏を説明させるだけでもなく、その曲の新たな面を自分で探して書かせるそうだ。それはアレクセーエフ先生が仰る「内なる美を発見すること」に通じる。(写真:審査員シンポジウムにて)

3)ソロ以外の勉強を広げてみること

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ヴァン・クライバーン国際コンクールでは、第1回大会から室内楽が課題となっている。優勝者が最優秀室内楽賞をダブル受賞することも多く、今回の優勝者ワディム・ホロデンコも同様に、セミファイナルで素晴らしいフランクのピアノ五重奏を披露してくれた(右写真)。独自の世界を築くソロだけでなく、他人の音をどう聴きながら一緒に創り上げるのかという点で、室内楽はとても見応えある課題だった。実際、世界中の音楽院や大学音楽学科でアンサンブルはほぼ必修であり、また今回の出場者の中にも普段からソロと並行して室内楽活動をしている人が何名かいた。ちなみに1997年度優勝者ジョン・ナカマツ氏もダブル受賞しているが、彼は一般大学出身・教職からのピアニスト転身という異色の経歴をもち、天性のバランス感覚が伺える。(参考:『アメリカの大学にはなぜ音楽学科があるのか』vol.2番外編ナカマツ氏インタビュー)。(写真: The Cliburn / Ralph Lauer)

また指揮や作曲の勉強をしているピアニストも増えてきた印象だ(参考:「セミファイナル&音楽的挑戦の旅」)。演奏家が作曲家的な視点を持つことで、ソロ演奏にどんな影響を与えるのだろうか。カプリンスキー先生いわく、「200年前のピアニストは皆作曲をし、他の楽器も演奏していました。今、その当時の精神に戻ろうという強いムーブメントが起きています」。実際に音楽院でも作曲や即興を習う学生が増えており、それは彼らの音楽体験を豊かにしてくれるでしょう、と先生は好意的に捉えている。審査員ヨゼフ・カリシュタイン先生によれば、クリーブランド音楽院では卒業時に1曲の作曲が課せられるそうだ。
また世界中で審査経験のあるヴァルディ先生によれば、今回のヴァン・クライバーンではかつてないほど、バッハやモーツァルトにおいて自由な装飾音や自作のカデンツァが聴けたという。「カデンツァの作曲は、私にとってもマストです!」

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ファイナルの古典派協奏曲を振り返ってみよう。優勝者ワディム・ホロデンコはモーツァルト協奏曲第21番でバロックの対位法を踏まえたカデンツァを自作。彼はモーツァルト自身のカデンツァがないか、他の作曲家のカデンツァがあっても満足できない場合には自作しているという。またファイナリストのニキタ・ムンドヤンツは、モーツァルト協奏曲第20番で自作カデンツァを披露、大きく時代を飛び越えて近現代の音色も取り入れたのが面白い。彼は作曲活動もしており、まさにコンポーザー=ピアニストである。(写真:The Cliburn / Ralph Lauer)

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また3位のショーン・チェンはセミファイナル『ペトルーシュカから3つの楽章』で、オーケストラ版を参考にソロをアレンジ。本人いわく「ジュリアード音楽院在学中に、作曲科非専攻者のための作曲クラスを履修していました。それが自分のソロ演奏にどう影響を与えたかのかはよく分かりませんが、たとえばバッハの装飾音が自由にできたり、色々編曲ができるようになりました」。映画音楽やビデオゲームの作曲もしているそうで、将来はピアノ・作曲・コンピュータを何かしら組み合わせたことができれば面白い、と語っている

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一方指揮の勉強は、ピアニストにどんな影響を与えるだろうか?今回の審査員では3名がピアニスト兼指揮者(ジョン・ジョルダーノ審査員長、アリエ・ヴァルディ先生、アンドレア・ボナッタ先生)、1名が指揮者(シャン・ジャン女史)と、計4名も指揮者が含まれていた。
ボナッタ先生は(右写真)「指揮をするということは、音楽の全てを勉強するということ、また音楽家として人生で得た全てを音楽に注ぎ込むということです」と語る。また現在ミラノやNYなど世界中で指揮するシャン・ジャン女史は、学生時代にピアノから指揮科に転向したことで勉強の仕方が全く変わり、総譜を読むことでより頭を使うようになったと言う。そしてお二人とも、「若い音楽家は皆さん、指揮や作曲を勉強するとよいでしょう」と助言している。

作曲家や指揮者的な視点をもつことで、ピアノ曲の見方や音の捉え方が変わってくるかもしれない。もちろんソロ演奏だけでも大変なことで、その上に作曲や指揮の勉強というのは難しいと思うが、興味を持ってその世界を少し覗いてみるだけでも、視野が広がるのではないだろうか。

(→後編に続く

菅野 恵理子(すがのえりこ)

音楽ジャーナリストとして各国を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を長期連載中(ピティナHP)。著書に『ハーバードは「音楽」で人を育てる~21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育』(アルテスパブリッシング・2015年)、インタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア・2013年)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。2007年に渡仏し「子どもの可能性を広げるアート教育・フランス編」を1年間連載。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。 ホームページ:http://www.erikosugano.com/

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