会員・会友レポート

<海外訪問記>素の情熱宿るハノイ音楽院/久元 祐子先生

2005/05/08
素の情熱宿るハノイ音楽院-先進国が失いかけた「音楽をする喜び」がココにある

ハノイのオペラ劇場


声楽科教授(院長のご主人)と
ヴァイオリン科のビェ先生(左)

去る6月、はじめてベトナムを訪問し、 6月2日には国立ハノイ音楽院院長のトラン・テュー・ア先生にお目にかかることができましたので、ベトナムの音楽事情についてレポートします。

ホーチミン経由でハノイ入りしましたが、ホーチミン市の気温は37度。じっとしていても汗が出てきます。通りには膨大な数のオートバイがあふれ、クラクションを鳴らす「ビー!!プー!!ブブブブ!」という音や物売りの声など、今まで経験したことがない喧噪の世界がありました。

ハノイ音楽院を案内してくださったのは、元院長の息子さんであり、ヴァイオリニストとして活躍されているビンさんです。ビンさんは、東京芸大に留学され、澤和樹先生に師事された後、現在カナダご在住ですが、ちょうどベトナムに里帰りされていたのでした。ビンさんを紹介くださったのは、ベトナムと日本の音楽の架け橋として尽力されておられる国立音楽大学講師の伯田昭子先生です。




ホーチミンの指揮


院長と久元先生


ハノイ音楽院の授業風景

ハノイ音楽院は、1956年に文化情報省によって設立されたベトナム音楽教育の殿堂です。ピアノ科、ヴァイオリン科、アコーディオン科、パーカッション科などがありますが、学生数では声楽科が一番人気だそうです。ポップス歌手になって人気を博するとベトナムではかなりの収入になるそうで、そいうった人気ポップス歌手を夢見る若者たちもこのハノイ音楽院で基礎を学ぶのだそうです。

ビンさんにパーティーができそうな広い応接室に案内していただきましたが、まず目に入ったのはベトナム建国の英雄、故ホーチミン大統領がオーケストラを指揮している写真でした。ホーチミン氏自身もこの写真を大いに気に入っていて、ベトナムでは「有名な写真」の一つだそうです。まもなく院長のトラン・テュー・ア先生が国会から汗をふきふき音楽院に戻ってこられました。ダン・タイ・ソン先生の実姉にあたるア先生は、ピアニストであり、かつ国会議員でもいらっしゃるのです。

「一日のうち、誰よりも早く学校に来ます。そして2、3人教えたあと、国会に行き、また学校に戻りレッスンをするのです。それ以外の時間は、ピアニストとしての練習、室内楽の合わせ、そして、夕方からは家庭人として家の仕事。。。」とのこと、大変お忙しいご様子でした。「私は、生徒を教えることが大好き。生徒のコンチェルトの伴奏をしてあげる時間が、なにより楽しい」と明るい笑顔で話してくださいました。なぜ政治の世界に身を置いているのかおたずねしたところ、国会議員には、文学、美術、音楽など主要な芸術分野の代表的な人物もなっているとのことでした。こうして芸術家の意見が直接政策に反映される仕組みになっているのだそうです。

応接室を出て音楽院の中を案内していただきました。各階には、ひとつずつ小ホールがあり、試験やコンサートなどに使われています。ハノイ音楽院には、5歳から入学することができ、専門家になるための教育を早期から受けることができます。翌日が実技試験という日でしたので、どのレッスン室でも熱のこもったレッスン風景が繰り広げられていました。来年の夏までクーラーはおあずけという状態なのだそうですが、気温37度の中、巨大な扇風機のそばで一生懸命ピアノを弾く女の子や、レッスンの順番を待つ間、廊下で懸命にさらっているヴァイオリンの男の子の姿などが目に入ります。生徒さんのひとりに「明日の試験の準備はどう?」と聞くと、「最高にうまく弾けているので自信がある」という頼もしい答えが返ってきました。立派な演奏家になりたい、という強い希望とひたむきに邁進する真摯な姿勢が感じられます。

ハードの面ではこれからの部分もあるのかもしれませんが、そんな環境の中で強い上昇志向と目的意識を持ちながらパワー全開でがんばっている生徒さんたちからは、力強いエネルギーが感じられました。ひるがえって日本の音楽大学は冷暖房完備。でも恵まれた環境の中で音楽を学ぶ目的意識がうすくなり、何となくキャンパスライフが4年間すぎてしまう、、、という光景がありがちなのが少々気になったハノイ音楽院訪問でした。


街の楽器屋


笠をかぶり天秤を肩にかけ街を行く行商人

ベトナムには、伝統音楽の世界もあり、ハノイ音楽院で学び、卒業後、伝統音楽の演奏家として生きていく方たちもたくさんいます。そういう民族楽器を使ったステージも多いようです。ベトナム滞在中、何度かそういうステージを見ることができましたが、お母さんと息子さん2人で親子チームを組んで演奏活動を続けていたり、あるいは、先生と生徒さんという組み合わせがあったり、楽器の組み合わせにもいくつものヴァリエーションがあるようでした。中には来日数回、かなりの日本通という若い演奏家もいました。最近はポップスに流れてしまって民族音楽に見向きもしない人が増えているようですが、音楽を愛する人々の心をつかむことができるよう頑張っておられました。彼らが小さな頃から訓練を積んでいるという民族楽器の独特の音色に惹かれ、楽器店の若い店主に教えてもらいながら挑戦してみました。単純なつくりの楽器ほど音を出すのが難しく、冷房なしの店内で音ではなく汗ばかりが出てきてしまいました。

店内に置かれてあるピアノをさわると、子供たちが寄ってきて、「ピアノ大好き」と話しかけてきます。誰でもがすぐにグランドピアノを持つことができるような状況にはないようですが、街角でも音楽への興味や憧れが強いように感じました。この子供たちの中から、第2、第3のダン・タイ・ソンが生まれる日がくることを願いながら、ハノイをあとにしました。

リポート◎久元 祐子先生(当協会会報編集・広報委員)


ピティナ編集部
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