知りたい!みんなの「譜読み」

第8回:インタビュー「譜読みマイスターに聞く!」 第2回 久元祐子先生(前編)

2016/12/22
第8回 特別インタビュー「譜読みマイスターに聞く!」
第2回 久元祐子先生・前編

全回より、“譜読み”のエキスパートである先生方を「譜読みマイスター」とお呼びし、皆さまからお寄せいただいた疑問やお悩みをお尋ねするインタビューを行っています。第一回は秋山徹也先生に、アナリーゼを通して楽譜を“読む”ことが演奏へともたらす効果や重要性についてうかがいました。今回はさまざまな演奏会にご出演され、膨大なレパートリーをお持ちのピアニストである久元祐子先生に“譜読み”のスタートからステップアップについてうかがいます。


“弾く”前に徹底的に“読む”―イメージづくりの重要性
新しい曲との出会いは楽しいものですが、複雑な曲等 に取り組む際はその情報量の多さに高い壁を感じることもあります。先生は初めての曲に取り組む際、まず何をされていますか?

鍵盤の制約を受けずに、譜面を見て音楽のイメージを掴むことから始めます。

音を出さずに"読む"ことから始めるのですね。

音楽との出会いも人との出会いに似ているようなところがあり、第一印象をとても大切にしています。もちろん、最初はとっつきにくいのに、じっくり付き合うととても好きになったり、その逆の場合もあるのですが...

それでは久元先生が楽譜を"読む"過程を教えて頂けますか?

調や拍子、テンポ表示など、曲全体のイメージを決定づける要素といった全体を俯瞰した後、細部に入っていき、フレージング、アーティキュレーション、デュナーミクを感じたり、全体のクライマックスはどこなのか、曲のテンションがどのように高まっていき、どのように減衰していくのかを解釈します。この段階になりますと、指が"うずうず"してきますので、実際に演奏し、響きの中で自分なりの理想像にアプローチしていき、「譜読み」を仕上げていく段階に入ります。

"譜読み"の際、とにかく音を出して弾いてしまうという方が多いと思いますが、久元先生は実際に音を出されるまでに、かなり段階を踏んでいらっしゃるのですね。では、実際に音を出して"譜読み"をするときに留意する点を教えてください。

私は、自分の欲しい音を見つける中で「フィンガリング」が重要な要素だと考えています。指使いの基本(単純であること、無駄のない優雅な動きであること、長い指で黒鍵、短い指で白鍵、重い音には第1指や第3指、軽い音には第2指や第4指といった具合)によって選べる箇所はすぐに決まりますが、5本しかない指ですから、基本通りにはいかないような箇所では、どちらの要素を優先させるか、自然に弾きやすい動きはいずれの指使いか...など、いろいろと試しながら選択します。この選択は、練習していく段階で変更することもありますし、本番で何かしっくりこないことがあると次の本番までに改良したりします。

指導で直面する"譜読み"の問題
久元先生は、たくさんの方をご指導されていますが、コンクールの審査、アドヴァイザーとしてもご活躍です。指導の中でお感じになる若きピアニストたちの共通した問題について伺いたいのですが。

とてもよく練習されていて、指もよく動く生徒さんの演奏を聴かせていただいた後、曲について少し質問すると「ソナタ」ということしか知らなかったということがありました。結構長く弾いているのに、誰が作曲した「ソナタ」なのか、何調の曲か知らないで弾いていたり、テンポ表示や楽語を全く見ていなかったり、という生徒さんもいらっしゃいます。

実はそういう方って結構多いですよね。取り組む曲に書かれた音を"拾う"ことしかしてこないというか・・・

もちろん、演奏はスポーツに似た要素があることは事実です。頭でっかちに考えてばかりでは上手になりません。ですが、分析、解釈、想像、構築など「学ぶ悦び」をすっ飛ばしてひたすら「反復」するという1000本ノック的な練習方法だけでは、「音が苦(オンガク)」となり、生涯音楽を続けることは難しいのではないでしょうか。

ミスをしない、ということはすごいことですが、演奏者の解釈や想いが浮かび上がる演奏でなければ、魅力的にはなりませんよね。

はい。「はずさない完璧さ」というだけでは、いずれ人間は機械に負けてしまうでしょう。でも、私たちには人間には感情や個性があり、音符からも心を感じることができます。そうして生まれる表現は、コンピュータにはできない息遣いや豊かな感性を醸し出すことができます。そのためには、作曲家が残してくれた楽譜から「心」を読み取る力をつけていくことが大切だと思うのです。

心を表現するにはもっと「攻め」の姿勢が必要
ネット社会の影響か、心を表現する、ということへの壁を感じている方も見受けられます。

ひと昔前は、作曲家の自筆譜を見せてもらうためにヨーロッパまで足を運ばなくてはならない時代がありました。しかし今やクリック一つで情報が一瞬に手に入る時代です。そうなると「いつでも手に入るから」...と、"知る"ことに対するハングリー精神がなくなってしまっているように感じます。

音大の授業などを見ていても、実技はものすごく熱心なのに、講義系の授業などではどこか上の空だったり、実技ほどの熱心さを感じない学生が多いですね...

せっかく一流の先生が授業をされているのに、音楽史は音楽史、楽典は楽典、ソルフェージュはソルフェージュ...片づけて終わりにしてしまうのはもったいないです。貪欲にそれらの学んだ知識や能力を自分の武器にして、"譜読み"に生かし、演奏の助けにしていく姿勢が大事だと思います。それから若いときには、「守り」ではなく「攻め」ていただきたい。節度をもって、人から後ろ指をさされないような常識的で上品で控えめな演奏をするのではなく、他人の評価を気にせず、自分の考えで、思い切って表現するような姿勢が好きです。それが若い時に許される特権であり、仮に失敗しても、そのときの自分の精一杯を出せば、後悔はしないはずです。

どうしても試験やコンクールでは「音を外さないように」などということに意識がいってしまったり、先生から言われたことを忠実に守ろうとするあまり、自分を枠の中に閉じ込めてしまっている人が多いですよね。

そうですね。そしていろいろな意味でクールな人が多い。「どうせ...だから」、などと、自分で自分に制限をかけてしまわず、無限の可能性を信じて、内から沸き起こるエネルギーと情熱を大切にしてほしいと思うのです。シューマンが「音楽家の座右銘」で述べている「音楽家に必要なのは熱狂である」という言葉を思いおこしてほしいと思います。


・・・後編はこちら


長井進之介
国立音楽大学演奏学科鍵盤楽器専修(ピアノ)卒業及び音楽情報・社会コース修了を経て、同大学大学院器楽専攻(伴奏)修了。同大学院博士後期課程音楽学領域に在学中。主な研究対象はF. リストの歌曲作品。ドイツ・カールスルーエ音楽大学に協定留学。ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州財団給費奨学生。DAAD(ドイツ学術交流会)「ISK(語学研修奨学金)」奨学生。アリオン音楽財団2007年度<柴田南雄音楽評論賞>奨励賞受賞(史上最年少)。伴奏を中心とした演奏活動、複数の音楽雑誌への毎月の寄稿、CDライナーノーツの執筆及び翻訳を行う。
【GoogleAdsense】