脳と身体の教科書

第10回 「力み」を正しく理解する (4)エコ・プレイ:力まずに弾くスキル(1)

2010/09/28 | コメント(0)  | トラックバック(0)  | 
「力み」を正しく理解する (4)エコ・プレイ:力まずに弾くスキル(1)

これまで、力みの弊害についてお話してきました。では、実際にどのようにして力みを回避することができるのでしょうか?「脱力」という言葉は、演奏・指導の場面で古くから言われていますが、全部の筋肉を脱力し切ってしまっては、音は鳴らないどころか、身体は動きません。したがって、生徒さんの中には、先生に「脱力しなさい」と言われても、「どの筋肉をどのタイミングで脱力すれば良いのか、わからない」と心の中で思っている方も、少なからずいらっしゃるかもしれません。本章では、必要最小限のエネルギーを使って、最大限の音楽・音響効果を創り出すための技能について、2回に分けて幾つか事例をご紹介します。

(1)必要な瞬間だけ力を入れる

ピアノという楽器は、ハンマーヘッドが弦にどう衝突するかによって、音が変化します。ハンマーヘッドの振る舞いを決めるのは、鍵盤をどう押さえるかということですから、現在の科学でわかっている範囲内で申しますと、「鍵盤が底に着いてから力をどう込めても、ピアノの音は変化しない」ということになります(1)。もしそれが本当であれば、鍵盤が底に着いてから力を加えることは、無駄なエネルギーを使っているということになります。

図1
(図1)

今から10年少々前にドイツで行われた研究では、ピアノの鍵盤の底にセンサーを敷いて、ピアノを弾いている時に指先が鍵盤にいつ、どれだけの力を加えているかについて調べました(2)。その結果、プロのピアニストの方が、趣味でピアノを弾いているアマチュアピアニストよりも、「鍵盤が底に着いてから、指先が鍵盤に力を加えている時間が短い」ことがわかりました(図1)。つまりプロは、音が鳴ったら、瞬時に鍵盤に加える力を抜いて「省エネ」していたのです。これは、狙った音響効果を最小限のエネルギーで生み出す、極めて"エコ"な技能と言えるでしょう。簡単に聞こえるかもしれませんが、実際にどのタイミングでどれだけの力を抜いて、それが音楽に影響を及ぼさないようにするということは、それほど簡単なことではないと私は考えています。

(2)鍵盤を押さえておく力を減らす

この研究では、もう一つ面白い現象が発見されています。たとえば、親指、人差し指、小指で「ドレソ」と押さえたまま、中指と薬指で「ミファミファミファ・・・」とトリルを弾くことを思い浮かべてください。指の独立の練習でありそうな課題ですが、この時、「ドレソ」と鍵盤を押さえておく力を計測すると、アマチュアピアニストは、時にプロの3倍もの力で鍵盤を押さえ続けていたのです。これも意識に上りにくいことかもしれませんが、重要な省エネ法の一つです。なお、そのためには同時に指同士を独立に操るスキルも必要になることが知られています(3)

(3)\鍵盤から受ける力を逃がす

私たちの身体が物体を押すと、同じ力で物体から押し返されます("作用・反作用の法則")。したがって、鍵盤を押さえるときには、同じ力で指先は押し返されます。この時、手や前腕にある筋肉が受ける力の大きさは、鍵盤を押さえている時の手のフォームによって決まります。例えば、指を伸ばした状態と、指を立てた状態では、同じ大きさの音を鳴らす時でも、指の筋肉に加わる力の大きさは、指を伸ばした時の方が大きいというのは、容易に感じられると思います。

ピアニストとピアノ初心者の打鍵動作を高速度カメラで計測してみますと、ピアニストは、打鍵した瞬間から0.2秒間の間に徐々に指を立てていき、鍵盤から受ける力を逃がしていることが明らかになりました(4)。その結果、手や前腕の筋肉が鍵盤から受ける負荷は、初心者よりも約3割も軽減されていました。ここで重要なのは、どのようにして指を立てていくかです。高速度カメラから得られた肩のデータを見ますと、ピアニストは上腕を前方に回転させながら、腕全体を使って指を徐々に立てていっていました(図2)。

よく「手首を回して力を逃がしなさい」という言葉を指導の現場で耳にします。しかし、単に手首関節が回転するだけでは、指の筋肉が受ける負荷の大きさは変わりません。力を逃がす秘訣はむしろ肩にあり、それが手首と指の関節の動きと協調しあって省エネを実現しているのです。



【脚注】
(1)
これについては賛否両論あるかと思います。実際、「科学的に明らかにされていない=事実ではない」とは限りません。現在の科学の限界ゆえに、この問題を明らかにできないのかもしれません。個人的には、「鍵盤が底に着いてから指先でこすると、音色がどう変化するか」なんてことをキチンと解明できれば、とても面白いと考えています。
(2)
Parlitz D, Peschel T, Altenmüller E (1998) Assessment of dynamic finger forces in pianists: effects of training and expertise. J Biomech 31(11):1063-7
10年以上も前の研究ですが、今なお屈指の研究です。余談ですが、この実験では、スタインウェイのグランドピアノを改造して、センサーを取り付けています。実際これを見せてもらった時に、「スタインウェイを改造するなんてすごいですね」とAltenmüller教授に申し上げると、「隣の音楽学部からタダ同然でもらったんだよ」とおっしゃっていました。ハノーヴァー音大では、音楽学部に研究棟が隣接しており、科学研究の成果を指導や演奏の現場に直接還元できる仕組みがあります。
(3)
Aoki T, Furuya S, Kinoshita H (2005) Finger-tapping ability in male and female pianists and nonmusician controls. Motor Control 9(1):23-39
(4)
Furuya S, Kinoshita H (2008) Expertise-dependent modulation of muscular and non-muscular torques in multi-joint arm movements during piano keystroke. Neuroscience 156(2):390-402
私が大学院時代に行った研究で、国内外のコンクールで入賞歴のあるピアニスト7名、ピアノ初心者7名を対象に、打鍵時の肩から指先までの動きを高速度カメラで計測し、鍵盤に加える力を力センサーによって計測しました。さらに、各関節に作用する力を計算し、どのような動きが「脱力」に寄与しているかを算出することに成功しました。

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古屋 晋一(ふるや しんいち)
大阪大学基礎工学部卒業後、医学系研究科にて博士(医学)を取得。ミネソタ大学神経科学部研究員を経て、現在、ハノーファー音楽演劇大学にある音楽生理学・音楽家医学研究所にてフンボルト財団招聘研究員として勤務。日本学術振興会特別研究員PD、海外特別研究員を歴任。世界に先駆け、ピアノ演奏の脳身体運動学研究を体系的に行い、国内外より注目を集める。主な受賞歴として、Society for Neural Control of Movement (NCM) Scholarship Award、大阪大学共通教育賞、日本音楽知覚認知学会研究選奨など。2009年にはSONY主催「ランランと音楽を科学しよう」において講師を務める。訳書に、ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと(春秋社)、著書に、あなたがピアノを続けるべき11の理由(ヤマハミュージックメディア)など。主なピアノ演奏歴として、和歌山音楽コンクールおよびKOBE国際音楽コンクール入賞、日本クラシック音楽コンクール全国大会入選、兵庫県立美術館にてソロリサイタルなど。これまでに、成瀬修、中野慶理の各氏に師事。「音楽演奏科学」という新しい領域を確立し、ピアノを愛する全ての人に貢献できる教育・研究基盤を国内外に整備することを目指し、研究を行っている。www.neuropiano.net

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