脳と身体の教科書

第09回 「力み」を正しく理解する (3)何が力みを引き起こすか

2010/08/30
「力み」を正しく理解する (3)何が力みを引き起こすか

ここまで、力みとは何か、力みによって起こる疲労はなぜ問題かについてお話しました。では、そもそも力みはどうして起こるのでしょうか?力みを引き起こす要因は、一つではありません。詳述すると、何カ月分も費やすべきトピックなのですが、今回は特に重要である「正確性との関連」に焦点を当ててお話します。

私たちの身体には、たくさんの関節や筋肉があるため、一口に「鍵盤をある大きさの力で押さえる」といっても、様々な関節や筋肉の使い方が可能です。指を曲げても、肘を伸ばしても、あるいは胴体を前後に揺り動かしても、音は鳴るわけです。ですので、ピアノを弾くための身体の使い方は、個々人によっても、練習量によっても、先生の指導法によっても異なります。

様々な身体の使い方ができるということは、同じ音を鳴らしていても、身体の使い方によって筋肉の負担が違うということです。簡単な例を挙げますと、鍵盤に加える力は同じでも、指を使うより肩を使った方が、筋肉にかかる負担は少ないのですが、これは感覚的にご理解いただけるのではないでしょうか。理由は、胴体に近い筋肉ほど、太く強いからです。

一方で、肩に比べて指の方が、繊細な力のコントロールは得意ですから、肩を使いすぎると、狙った音量や音色の音が作りにくくなるかもしれません(第02回参照)。したがって、この場合ですと、「身体のどの部分を、どれくらい使うか」という割合は、「どれだけ正確に、楽に、弾きたいか」によって変わってきます。

練習の初期では、まず正確性を優先するため、2つの問題が生じます。一つ目は、手先を使った方が、胴体に近い大きな筋肉を使うよりも正確に弾けるため、その弾き方・身体の使い方で一旦弾けるようになってしまうと、さらなる身体の使い方の探求を怠ってしまう危険性があります。「思い描いた音楽を創ること」の重要性に比べれば、自分の身体の力みや疲労は些細なことですので、それが実現できてしまうと、どんな身体の使い方をしているかに関わらず、それ以上探求しないということが往々にして起こります。たとえその時、指の筋肉ばかり使うがゆえに、手指や手首、前腕の筋肉がカチコチに固まっていたとしてもです。

同じような問題はスポーツでも起こります。ボール投げにせよ、バットやラケットなどのスイング動作にせよ、初心者は手先だけを使いがちです。しかし、多くは、練習を積むにつれ、より胴体に近い筋肉を使い始めます。これは、胴体に近い筋肉を使った方が、素早く力強い運動を作り出せるため、投球速度や打球の飛距離といったパフォーマンスが目に見えて向上するためです。結果、手先の筋肉の力みも減っていきます。

一方、ピアノでは、スポーツほど大きな力や速度は必要ではないので、胴体に近い筋肉を使わずとも、狙った音楽を創り出すことは、多かれ少なかれ可能です。したがって、スポーツに比べ、「身体の使い方の探求」をする必要性が見落とされがちで、ともすれば「音楽表現の探求」のみに没頭してしまいます。練習の初期に、手先だけで弾いてしまうのは避けがたいことかもしれませんが、その後、より身体に優しい弾き方を探し求めていくことは、音楽表現の探求に負けず劣らず重要なことではないでしょうか。

正確性を優先することで起こる弊害の二つ目は、正確性そのものが力みを引き起こすという問題です。以前、「正確に身体を動かそうとするほど、脳は筋肉を固める(同時収縮する)」というお話をしました。もちろん、うまくなると、身体を固めずとも正確に身体を動かせるようになるのですが、「正確に身体を動かそうと思うことが、力みの引き金になる」ということです。

正確性は、練習の初期に限らず、ピアノを弾く上で、色々な状況で求められます。レッスン(先生のコワサにもよるでしょうか?)、学校の試験、発表会、コンクールやコンサートでは、ともすれば、過度に「正確に弾きたい/正確に弾かないと」という想いが生まれます。そのため、本番後、普段疲れない身体の部分が疲れていたり痛くなったりすることもあります。ピアノ演奏における力みには、こういった心理的および社会的な要因もあるため、一見、弾き方は完璧なのに手を傷めてしまうことも、しばしば起こります。

また、正確性は、テンポが速くなるにつれて、その要求が高まります。私たちは、速く身体を動かそうとすると、動きが不正確になります。これは「フィッツの法則」と呼ばれており、多くの研究者が今なお、そのメカニズムの解明に取り組んでいます(1)。ピアノも当然、速く弾こうとすると、必然的に正確性は落ちるのですが、それでもなんとか正確に弾こうとすると、脳は筋肉を固めます。窓の立て付けが悪いから、窓枠のネジを締めなおすようなものです。ですから、自分が弾けるテンポ以上で弾くことが、間接的に力みの引き金になるわけです。

幸い、私たちの身体は、練習を重ねるだけで(たとえ身体の使い方を探求せずとも)、動作の正確性は向上し、結果、ある程度は力み(同時収縮)が減っていくことが知られています(2)。したがって、「たくさん弾けば、力みは消滅する」と思ってしまいがちなのかもしれません。事実、それは完全に間違いではありませんし、単に練習不足が原因で、力んで弾いているケースも多々あります。しかし、練習の「量」だけで、必ずしも力みの全てが無くなるわけではありません。逆に言うと、適切な身体の使い方・弾き方を発見するだけで、力みは容易に消え去る可能性があるということです。次章の「エコ・プレイ」では、力みを軽減するための身体の使い方について、具体的な事例をいくつかご紹介します。



【脚注】
(1)
* Fitts PM (1954) The information capacity of the human motor system in controlling the amplitude of movement. J Exp Psychol 47(6):381-91
* Harris CM, Wolpert DM (1998) Signal-dependent noise determines motor planning. Nature 394(6695):780-4
(2)
* Osu R, Franklin DW, Kato H, Gomi H, Domen K, Yoshioka T, Kawato M (2002) Short- and long-term changes in joint co-contraction associated with motor learning as revealed from surface EMG. J Neurophysiol 88(2): 991-1004
* Thoroughman KA, Shadmehr R (1999) Electromyographic correlates of learning an internal model of reaching movements. J Neurosci 19(19): 8573-88

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古屋 晋一(ふるや しんいち)
上智大学 音楽医科学研究センター(MuSIC)センター長,ハノーファー音楽演劇大学 客員教授.大阪大学基礎工学部を卒業後,同大学大学院医学系研究科にて博士(医学)を取得.ミネソタ大学 神経科学部,ハノーファー音楽演劇大学 音楽生理学・音楽家医学研究所にて勤務した後,2014年度より現職.アレクサンダー・フォン・フンボルト財団研究員,日本学術振興会特別研究員PDおよび海外特別研究員などを歴任.音楽家の脳と身体の研究分野を牽引し,マックスプランク研究所(ドイツ)やマギル大学(カナダ),ロンドン大学(イギリス)をはじめとする欧米諸国の教育・研究機関における招待講演や,国際ジストニア学会や国際音楽知覚認知学会,Neurosciences and Musicといった国際学会におけるシンポジウムのオーガナイズを多数行う.また,ヨーロッパピアノ指導者協会(EPTA)をはじめとする国内外の音楽教育機関において,演奏に結びついた脳身体運動科学の講義・指導を行う.学術上の主な受賞歴に,ドイツ研究振興会(DFG)ハイゼンベルグ・フェローシップ,大阪大学共通教育賞など.主なピアノ演奏歴として,日本クラシック音楽コンクール全国大会入選,神戸国際音楽コンクール入賞,ブロッホ音楽祭出演(アメリカ),東京,大阪,神戸,奈良でのソロリサイタルやレクチャーコンサートなど.主な著書に,ピアニストの脳を科学する,ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと.ランランとのイベント,ビートたけし氏との対談,NHKハートネットTVへの出演など,研究成果を社会に還元するアウトリーチ活動にも力を入れている.東京大学,京都市立芸術大学,東京音楽大学にて非常勤講師を併任.アンドーヴァー・エデュケーターズ公認教師.www.neuropiano.net
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