ショパン時代のピアノ教育

第12回 カルクブレンナーのピアノ・メソッド 4―新たなピアノの表現可能性

2008/04/10

パリ音楽院の最初の公式メソッド(1805)を執筆したルイ・アダンは、他の楽器や歌のさまざまなニュアンスを模倣できる点に、ピアノの特質を見出している。これは、クラヴサンにはなしえないことであった。アダンの弟子であったカルクブレンナーもまた、この点を非常に重視し、アダンよりも具体的に論じている。前回挙げた、ピアニストが克服すべき6つの点をマスターした後、彼が生徒に課したのは、オーケストラが生み出すような、多彩なニュアンスの追求であった。彼はピアノとオーケストラの関係について次のように述べている。

音楽においてもっとも完璧な状態とは、フル・オーケストラを形成するすべての楽器が集合している状態である。この大アンサンブルを形成し、完成させるために集まった各々の楽器の性格と固有の感情は、不満な点の一切ない、多様な効果をもたらす。ピアノは、他の楽器の助けなしに、オーケストラが演奏するものの大部分を再現できる楽器である。熟達したピアニストは、生涯、この美しい成果を得るために練習しなければならない。

この引用の要点は、彼がオーケストラのマッシヴな響きを追求したということではなく、オーケストラを構成する個々の楽器の持つ固有の性格を、10指で表現し分けるという点にある。このあとで、彼はさらにこう続けている。

ピアニストは、両手をそれぞれ非常に独立させるように専念しなければならならず、もっとも力強く情熱的なものを片方の手で演奏する一方で、もう片方の手では、もっとも静かで弱いものを演奏できなくてはならない。また、同様に、時には対照的な2つの表現を、同じ手で演奏しなければならない。

この例として、彼は自身の初期の《24の練習曲 作品20》の練習曲から第2番の一節を引いている。いかにその例を引用する(譜例1)。

譜例1 カルクブレンナー 《24の練習曲》作品20-2
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この例において、最上声部は旋律線として浮き立たたせ、第2、第3の声部は「独自の表現規範に従いながらも最上声部に従属し」、バスを担う最低声部は持続させるために十分強調されなければならない。この各声部の性格を際立たせるには、10指に繊細な注意を払わなければならない。このような効果を意図的に用いた作品は、カルクブレンナー以降、頻繁に見られるようになり、ピアノ技法のひとつの典型となる。今日、最も馴染み深い例は、ショパンの作品10-3であろう(譜例2)。

譜例2 ショパン 《12の練習曲》作品10-3
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ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「悲愴」の第2楽章も同様の技法を意図している。さらに別の例を挙げよう。カルクブレンナーに多年に亘り師事した後、1838年ころからショパンの弟子となったマティアスGeorges Mathias(1826-1910)は、マルモンテルによれは、前者の確固たるメカニスムとショパンの表現力を同時に発揮したピアニストであった。彼がマルモンテルに捧げた《ピアノ・ソナタ 第1番》(J. Meissonnier fils, 1855)の第2楽章には、ショパンのop.10-3と同様の手法が用いられている(調性も同じである)。

譜例3 マティアス 《ピアノ・ソナタ 第1番》第2楽章冒頭
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マティアスはこの他、高弟イシドール・フィリップに捧げた《ショパンに基づく2つの演奏会用エチュード》で、ショパンの黒鍵エチュード作品10-5の右手を左手に移し、右手にレガートの旋律をつけ、また、前奏曲の作品28-17でも同様のことをしている。これは、前回引用した、師カルクブレンナーの理想とするピアニストの条件(1)を、もう一人の師ショパンの作品を通して体現させた例である。

最後にもう一例を挙げよう。譜例4はカルクブレンナーの高弟スタマティの練習曲《12の絵画的練習曲12 Études pittoresques》(C.A. Spina:1853)の一節である。

譜例4 スタマティ 《12の絵画的練習曲 作品21》第10曲〈ハンモックの歌Chanson du Hamac〉
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スタマティはカルクブレンナーの片腕として彼の教義を広く伝えた人物である。ショパン、マティアス、スタマティはいずれもその表現様式は異なるものの、同種のピアノ技法を用いているのである。

カルクブレンナーはおそらく上で見たような、カンタービレな旋律を伴う多声書法によるピアノの可能性を押し広げた先導的ピアニストなのである。

ショパンがパリに到着した1831年、彼はカルクブレンナーと知己を得、この名教師からレッスンを受けないかと誘われていることを考えれば、ショパンは1830年に刊行された彼のメソッドを一読はしている筈であろう。そしてショパンは1832年に作品10-3を作曲した。やがてショパンは、手首で演奏するカルクブレンナーの流儀を否定するに至るが、各指の個性を尊重したショパンと、各指の均質さを目指したカルクブレンナーの考え方がいかに対立するものであったとしても、彼らは19世紀のある時期に、同じ語法を共有していたのである。ここでは、ショパンがカルクブレンナーの影響を直接受けたかどうかは重要な問題ではない。なぜなら、同時代、この種の技法を含む作品は、ベートーヴェン(1770-1827)やクラマーJohann Baptist Cramer (1771-1858)など、先輩のピアニストたちによって探求されているからである。カルクブレンナーの功績は、18世紀後期から19世紀初期にかけて発達した新興のピアノ技法を同化し、発展させ、教育の現場で体系的に説明した点にある。

ある作品と対峙し、なぜその作品がそのように書かれているのかを調べるとき、その作品内部だけを調べていては分からないことはたくさんある。その作曲家の前後の作品も調べなければならないし、その作曲家を取り巻いていた人々の作品も知らなければならない。さらにはその時代の社会構造、思想、生活、ジェンダーなど、歴史の語り口は際限なく存在する。このように、人と人との、作品と作品のつながりを調べ、作品を眺めていく過程は、ジグゾーパズルのピースを集めて繋げていく過程に似ている。その時代に生きた一人一人が、時代をいう絵を完成させる様々なピースなのだ(完成図は人によってある程度異なるだろう)。パズルの絵に描かれた人物を構成するピースもあれば背景を構成するピースもある。しかし全体像を完成させるには、どれも欠かせないのである。19世紀のピアノ音楽の歴史を描き出そうとなると、私なら、個々の音楽家とその思想、作品というピースを扱おうと思う。なぜなら19世紀に関して、この種のピースはこれまで示唆してきたとおり、膨大な数が手付かずのまま存在するからである。それまでばらばらだったピースを21世紀、多くの人が結合していく作業に携わるようになればよいと思う。どのピースを重視するかという判断も面白いが、何よりも、ピースを組み合わせる作業が私には面白く感じられる。ジグゾーパズルの楽しみも、本来そこにあるのだ。この楽しみを、今後多くの演奏家と共有していくことができれば、いっそうリアリティのある「19世紀ピアノ音楽史」が体験できるだろう。

さて、今回はカルクブレンナーが探求した新たなピアノの可能性を紹介した。次回は、彼が生徒に薦めた作曲家について書く予定である。


1 第11回参照。その条件をここに再び引用しておく。「ピアニストにとって第一に重要な点は、右手で形成されうるあらゆる走句を、左手でも同じように練習することであり、もっとも完璧な均等性が両手を試合するように練習することである。」


上田 泰史(うえだやすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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