ピアノの19世紀

12 ピアノ音楽風土記 スペイン その3

2009/07/29

 20世紀スペインにおけるピアノ音楽で注目されるのは、ギター音楽で有名な、ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999)です。彼はバレンシア地方のバレンシアの北方の町サグントの出身で、盲目の作曲家で知られ、ギター協奏曲「アランフエスの協奏曲」が有名です。アランフエスはマドリッドの南方の地名で、スペイン王室の宮廷がある場所です。この作品だけが有名すぎてロドリーゴのその他の側面が隠れてしまったところもあります。とくにピアノ作品がそうです。ピアノ作品として最初に注目したいのが、この「4つの小品」です。
 この「4つの小品」は以下の作品から構成されています。1 カレセーラス(チェチカ賛)、2 食堂のファンダンゴ、3 カスティーリャ王女の祈り、4 バレンシアの踊り
これらの作品の中で第1曲の標題に用いられている「チェチカ」は19世紀のサルスエラ作曲家です。ファンダンゴはスペインの民族舞曲で、カスティーリャやバレンシアはスペインの地方名です。そのほか、ロドリーゴのピアノ作品には、「カスティーリャのソナタ集」や「アンダルシアの4つの絵画」があります。ロドリーゴはピアノ音楽の作曲者としては知られていませんが、ギター音楽以外にももっと注目されてしかるべき作曲家です。
 スペインは南米に植民地を求めました。隣国ポルトガルも同様です。その関連で、中南米諸国は、スペインとポルトガルの音楽文化の影響を受けて生きます。しかし、それぞれの民族音楽をそのまま生かすよりも、とくにフランス音楽の影響を経由して自国の音楽にまなざしを向ける傾向が見られます。
 メキシコの作曲家マヌエル・マリア・ポンセ(1882-1948)は、フランスでデュカスに師事し、近代フランス音楽からの強い影響を示しています。「マルグレ・トゥ」などの彼のピアノ作品にはメキシコ色はまったく感じられません。しかし、彼は「メキシコ狂詩曲」などの作品ではメキシコ文化を題材にして、国民文化への接近を示しています。
 ポルトガルを旧宗主国とするブラジルではまず、エルネスト・ナザレ(1863-1934)が注目されます。ナザレはブラジルで最初の音楽教育を受けます。彼が最初に心酔したのはショパンベートーヴェンの音楽でした。しかしその後、タンゴを中心に南米色を出した作品に関心を示し、「オデオン」や「サランベッキ」などの作品はタンゴを土台としています。ナザレは、その後、ヴィラ・ロボスや、ブラジルに滞在したダリウス・ミヨーに強い影響を与えました。彼は生涯に220曲ほどの作品を作曲していますが、そのうち91曲が、「ショーロ」というスタイルのブラジル風タンゴ(「タンゴ・ブラジレイロ」)です。
 ナザレの強い影響を受けた、エイトル・ヴィラ=ロボス(1887-1959)においても、ヨーロッパ音楽の伝統とブラジルの民俗音楽の二つの要素が創作の原点になっています。ヴィラ=ロボスの作品では、「バキアナス・ブラジレイラス」、つまり「ブラジル風バッハ」が有名ですが、ヨーロッパの伝統を強く意識したこの作品の反面、彼はブラジルの民俗文化を共感を込めて作曲しています。14曲の「ショーロス」は、ナザレの「ショーロ」、つまりブラジル風タンゴです。ピアノ作品では、「赤ちゃんの一族」が有名です。この作品は、白人から黒人、東洋系までさまざまな人種が住むブラジルの現実を映し出しています。第1組曲は、ブラジルに住むさまざまな肌の色の人を扱い、「小さな動物たち」と題された第2組曲ではブラジルの自然を扱い、「遊戯」と題された第3組曲は文字通り、さまざまな踊りを表現しています。そのほか、「ブラジル民俗舞曲小品集」などの作品はブラジルの日常を描き出しています。彼の5曲のピアノ協奏曲はどれも難曲ぞろいで、ヨーロッパの伝統と彼の個性とブラジルの伝統の総合とみることができます。


西原 稔(にしはらみのる)

山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期退学。現在、桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。「音楽家の社会史」、「聖なるイメージの音楽」(以上、音楽之友社)、「ピアノの誕生」(講談社)、「楽聖ベートーヴェンの誕生」(平凡社)、「クラシック 名曲を生んだ恋物語」(講談社)、「音楽史ほんとうの話」、「ブラームス」(音楽の友社)などの著書のほかに、共著・共編で「ベートーヴェン事典」(東京書籍)、翻訳で「魔笛とウィーン」(平凡社)、監訳・共訳で「ルル」、「金色のソナタ」(以上、音楽の友社)「オペラ事典」、「ベートーヴェン事典」(以上、平凡社)などがある。

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