ショパンコンクールレポート

ショパン国際コンクール・後日編―小山実稚恵先生インタビュー

2010/12/14

20101202_koyama1.gifのサムネール画像先日、第16回ショパン国際ピアノコンクール記者会見が東京にて行われました(詳細はこちら)。「今回は審査というより、『発見』しに来たという感じです」とアルゲリッチ、また「今回は新しい解釈が多く生まれ、競争の要素を超えて音楽を楽しめたのではないでしょうか」とショパン・インスティチュート副所長(レチシェンスキ氏)。常に新しい潮流を生み出す、ショパン国際コンクールの影響力の大きさを改めて実感しました。

では今回審査員を務めた小山実稚恵先生は、コンクールの結果をどのように受け止めたのでしょうか。日本人が自らの力を発揮するために何をすればよいのか、ショパンの音楽にどのように向き合えばいいのか。ショパンコンクール入賞者でもある小山先生の示唆に富むメッセージをお届けします。

 

―今回は長期間のご審査お疲れ様です。小山先生はショパン国際コンクール(1985年・4位)、チャイコフスキー国際コンクール(1982年・3位)と素晴らしい入賞暦をお持ちですが、まず25年前ショパンコンクールを受けた当時の様子を教えて頂けますか?

 

25年前は今と全く違う街の様子でしたね。社会主義の時代でしたから物資もまだ一部配給制でした。ポーランドの国に関してはあまり知らなかったですが、「これがショパンがいた街なんだ」と感慨深かったです。ポーランドでの演奏は初めてで、とにかくフィルハーモニーで弾けて嬉しいという気持でした。 

―ショパンがいた時代の精神的な名残が感じられましたか?

 

それは今でも感じますね。その当時は街でたまたま乗ったタクシーからマズルカが流れていました。物資的には貧しいけれど、精神的にはこういうものが支えなんだと思いました。今は驚くほど近代化しましたね。現在出場者が宿泊しているノボテル・ホテルはかつてフォルムというホテルで、25年前には私達もそこに泊まりました。音楽院までの寒い道を、毎日歩いて練習に通ったことを懐かしく思い出します。1軒だけパウンドケーキを売っている店があって、そこにいつも寄っていましたね。

 

―3週間という長丁場ですが、集中力を高めるためにどのようなことをされていましたか?

 

色々な参加者の演奏を聴きにいきましたね。練習室は1日3時間くらいしか借りられないので、その合間にフィルハーモニーに行って色々な人と話したり、他の参加者の演奏を聴いたりしました。その年は優勝したブーニン、マルク・ラフォレ(2位)、またルイサダやヤブロンスキーなどがいました。マルク(・ラフォレ)とは順番が前後だったのでよく楽屋付近でも会っていました。ルイサダは人気者だったので、いつも誰かと一緒にいて賑やかでした。コンクール期間中は参加者用入場パスを頂いたので、好きな時間にホールに入り、2階のバルコニー席に座って聴いていました。今は、昔ほど聴きにくる人は多くないようですね。

 

―第16回目となる今年、残念ながら日本人が三次予選に残ることができませんでした。これは歴代のショパンコンクールにおいて初めてのことですが、先生はどのように見ていらっしゃいますか?

 

そうですね・・「美しかった」の先にある表現の言葉に結びつかない場合は、難しいのかなと思いました。ショパンの精神についてヤシンスキ先生(審査員長)が仰っていたのですが、「ソナタの第3楽章は綺麗で美しいだけになっている人が多いが、あの曲は『尊厳』です。ショパンの音楽は、全てが尊厳なのですよ」と。私も本当にそう思います。

そのような誇りや精神があってショパンを弾くのか、コンクールで通りたいから弾くのか、それは基本的な第一歩で違ってくるのではないでしょうか。たとえば練習で忙しくても、命日ではなくても、(ショパンの心臓が安置されている)教会に足を運んでみるとか。受からなかったから帰ります、というのは違うような気がします。そういう気持ちが音楽に反映するのではないかと思います。

例えば山を登るにしても、いずれ頂上に辿りつきたい、あるいはもっと高い頂上に登りたい、そのために速く進むこともいいのですが、本来はいつ頂上に到達してもいいはずです。迂回してでも自分で進むべき道を見極めることや、途中で失敗することも大切ですし、無駄も大事です。世の中はスピード化していますが、「なぜ自分はピアノを始めたのだろうか」「ピアノを弾くことがどんなに素晴らしく、自分にとっていいことなのか」、そういうことをもう一度考えてショパンを弾いてみる。ショパンが特別なのではなく、音楽はそういうものだと思います。

ショパン自身は常にピアノの上にバッハの平均律を置き、葬儀にはモーツァルトのレクイエムをリクエストしました。音楽の根底にあるものをもっと感じながらショパンの響きに向き合うならば、きっと違う演奏が生まれ出るのではないかと思います。

 

―グローバル化が進む現在、多数の音源がインターネットで簡単に入手できるようになり、各国の地域差や環境の差も少なくなっています。その中で音楽への取り組み方、特に最初の一歩はどのように踏み出していけばよいでしょうか。

 

確かに、今は何でも聴こうと思ったら聴ける環境にあります。でも音楽は「想いを募らせる」というのが全ての元。昔はなかなか手に入らないものがあれば、何とか手に入れようと努力し、心待ちにして想いを募らせていました。自分にとって本当に大切なものだから、手に入るまでの時間も尊いし、手に入った時の嬉しさや有難さはひとしおです。その感動こそが音楽に繋がります。今はそんなに想いを募らせなくても、何でも手に入る時代になってきました。でも、それで演奏がお手軽な感じになるのはどうでしょうか。

スピード化された社会だからこそ周りの環境に惑わされず、自分のリズムを持ち、自分で本当にどうしたしいかという意識を持つことが大事ですね。自分の目で見て、肌で感じて、自分の心で決める。そして演奏を通じて表現する。結局はそれだけなのですね。

 

―周囲に振り回されず自分を持つ、ということは実際難しいですが、その辺りの教育を進める時期に来ているということですね。

 

日本人の演奏のテクニックは進んでいると思います。でも「意識」という面で問題があったかもしれません。自分が「こうだ」という意識があれば、人がなんと言おうと自分が納得しているわけだし、自分で責任を負うことになります。人間ですから誰でも他人の意見は気になりますが、こと演奏に関しては最終的には自分のものですから、「こういう形にしよう」ではなく、「こう弾きたい」に近づけるようにしたいですね。それは、想い、魂です。中には、解釈が必ずしも正しいとは限らないかもしれませんが、耳を傾けざるを得ない瞬間を作るピアニストがいます。そこに込めている想いが深いのだと思います。

 

―確かに、強い想いが宿る演奏には行間に濃密なものを感じます。今後の課題は意識の持ち方ですね。貴重なお話をありがとうございました。

(当インタビューはファイナル前日に収録したものです)


ピティナ編集部
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