19世紀ピアニスト列伝

フンメル 最終回:ベートーヴェンとの敵対と和解/ 書かれた作品のような即興

2014/12/04
フンメル 最終回:ベートーヴェンとの敵対と和解/
書かれた作品のように聴こえる即興

今回はフンメルの章の最終回です。1790年代のウィーンの音楽界では演奏をめぐってベートーヴェンフンメルの反目が取りざたされるようになります。アグレッシヴなベートーヴェンの演奏を称賛する陣営にとってはフンメルの演奏は単調なものと映りますが、フンメル陣営にとってフンメルの繊細なタッチが織り成す演奏は甘美な魅力を湛えたものでした。第3段落からは実際に彼の演奏を聴いた著者マルモンテルの実体験に基づいてフンメルの巧みな即興の技法が語られます。

 

フンメル

ベートーヴェンフンメルが成す二大最高峰の絶頂では、二人の間に敵意にすら至る根深い不和が生じた。だがこの二人の大芸術家は絶えず互いの音楽的価値に対しては公正であろうとした。この反目にはさまざまな動機、つまり愛や芸術上のライバル意識があるとされる。また別の筋によれば、この断絶の本当の原因はベートーヴェンの激しやすい感受性にあったという。苦悩からくる彼の気難しい性格は十全な平静を欠いていたのだ。つまりこれら選り抜きの人物は互いを理解し合い評価し合ったにせよ、長いあいだ敵対しつつ人生を過ごしたのだ。だが末期の別れに際して、フンメルは己の傑出したライバルの絶望的な状態を理解し、彼のもとを訪れて目を涙で湿らせた。ベートーヴェンは和解の印に彼に手を差し伸べた。

1811年からピアニスト兼作曲家としてのフンメルの名声はパリで確立されパリ音楽院に根を下ろした。[院長の]ケルビーニは彼がウィーンへの帰るときには、このドイツの大家の作品の高い価値を最初に教え知らしめた人物となっていた。1829年、[フンメルの]二度目のパリ旅行の折、私はエラールの社屋で行われた数々の演奏会でフンメルの演奏を聴く幸運を得た。私は強い称賛の念とともに思いだす。あの高貴で単純な様式、油のようになめらかな響き、ピアノを歌い語らせる見事な手法、このヴィルトゥオーゾの大胆さの上で聴く者を驚嘆させる、しかし静けさのある威厳を湛えたあの活気を。

フンメルはピアノの偉大な巨匠の一人である。おそらく、彼はベートーヴェンの途方もない威光は持たないが、近代の第一人者であろう。だが作曲家としては第二線に位置するに過ぎないとしても、瞬時の着想を定着させ、そこに命と形を与える技術にかけては右に出るものはいなかった。一流の作曲家、比類なき即興家のフンメルは、その音楽的学識で創造力を補っている点、画趣を愛する感受主義者1の一派ではなく論理家の一派に属していた。彼は音楽的着想を明晰に提示し正しい均衡の下に発展させる技法において卓越しており、無尽蔵の技法をもってして重要度に応じてそれらを結びつけ取り扱った。驚異的な即興家として彼は比類なき完成度で霊感を導き統制する術を心得ていた。彼の即興は大変に秩序立てられており巧みで、そこでは学識と自発性が非常に見事に一体となるので彼の演奏を聴いていると魅了され眩惑され、豊かなさ細部、創意工夫に富み、優れた技法で結び合わされ、かつたいへん見事に均衡のとれた組み合わせをもつこれらの所業[即興]が、熟考の下に作られた作品であるかのように思われるのであった。現代のピアニストの中では、何名かの傑出した音楽家がこの驚くべき即興の才能を様々な程度で持ち続けている。ステファン・ヘラーローゼンハインヒラーは与えられた主題で華麗に即興する。リストもまた偉大な即興家だが、彼のまばゆく目もくらむばかりだが、秩序と構成に時に欠陥がある彼の前奏を即興と認めようと思うならの話だ。

フンメルは1837年10月17日にかの愛しく静かな隠居所、来るべき動乱の時代以前の芸術の真の聖地ヴァイマルで亡くなった。彼の顔立ちは精彩を放ち目鼻立ちがはっきりとしていた。微笑みを湛えた口は喜ばしいユーモアを語った。だがこのはっきりとした揺るぎない骨格を見るとき、このごつごつした外見がこの芸術家の詩情と魅力あふれる才能とあれほど見事に調和していることに驚くのであった。このラインの宝石はダイヤモンドのように煌き、その光輝はベートーヴェンのそれに拮抗するほどは強くはないにせよ、少なくともフンメルの名がドイツ楽派の極めて純粋な名誉の一つとして光り輝くための燦きは保ち続けるだろう。

  1. 感受主義者Impressionalistes:マルモンテルがしばしば著作で用いる表現。音楽的な感受性に優れた人の意味で用いられる。印象主義者impressionistesとは異なる。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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