19世紀ピアニスト列伝

ファランク夫人 第4回―厳格な演奏の極みとその問題点

2014/10/21

厳格な演奏の極みとその問題点

著者マルモンテルによれば、ファランク夫人の演奏は明晰さを備え、比類なく正確だった一方で、彼女の作曲同様、極めて厳格なものでした。感情過多の演奏への敵対心は、彼女の演奏様式をその対極へと押し流し、極度に厳格な演奏として現れました。しかし、その厳格さには、聴き手にとっては冷たい印象を与えかねないものでした。

ファランク夫人は長い間助言を受けていたフンメルモシェレスに対する多大な賞賛を公言していた。しかしながら、彼女のヴィルトゥオジティと今挙げた著名なピアニストたちの間には、これといった類似は認められなかった。彼女の演奏の才能はむしろはるかにカルクブレンナークラーマーの流派に由来しており、彼女にはその流派の明晰さ、正確だが堅苦しい足取りが見られた。ファランク夫人はこの語の正確な意味での超絶的なヴィルトルオーゾではなかったが、様式をもったピアニストで、堂々たる[曲の]理解、解釈の仕方によって注目を集めた。反対に、繰り返しになるが、正確さという観点では比類ないこの演奏は音楽的色彩という点からはまだ不足があり、表現の起伏を欠いていた。信念、教育、気質から、ファランク夫人は執拗に感情主義(センチメンタリズム)とは正反対の立場をとった。大いに簡潔さを追求したので、彼女はこの特異な結果、すなわち自然さを装うという結果に至ったのだ。

我々は、芸術家の名で呼ばれるに相応しい芸術家たちがマンネリズム、誇張や気取りに対して持つ深い敵意を理解し共有するが、それでもなおアクセント、表現、動き、感情は一義的な美点であり、それを身につけていることは良き演奏には不可欠なのだ。もし伝わりやすい熱気が演奏家にかけていたら、聴衆も冷めたままだろう。もしヴィルトルオーゾが霊感のすばらしい弾みを持っていなかったら、もし彼が凍てつくような厳格さを余儀なくされたら、彼はどのような作用を聴衆に及ぼすだろうか。くつろいだ美点、実感あふれるいきいきした解釈を何も付け加えない譜面どおりの演奏は美と真の否定である。丁度、誇張、過剰で大げさな演奏法が芸術の退廃と趣味の堕落をもたらすのと同じように。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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