19世紀ピアニスト列伝

ファランク夫人 第3回―厳格な指導者

2014/10/15

厳格な指導者

現代ではジェンダーについて深い議論が交わされるようになって久しいですが、今回訳出した箇所では、著者のマルモンテルは既にそうした社会的ジェンダーの規範に懐疑の目を向けているように思えます(第一段落)。第二段落では、教育者としてのファランクの厳格な姿勢が描写されます。この厳格さは、自己をおおっぴらに表現することへの恐れの裏返しとして説明されますが、それは当時の女性が作曲することに対する社会の厳しい眼差しを意識せざるをえなかった結果だったのかもしれません。

ファランク夫人の交響曲には[パリ国立]音楽院で演奏された3曲が数えられる。ピアノと管楽器のための9重奏は、サル・エラールで比類なき最も名高いヴィルトゥオーゾによって類まれな完成度で演奏された。ヴォルテールは男性のためにあるいくらかの厳格さ、構築力と不可欠な実行力のエネルギーが女性にはないと理由で女性に悲劇を書く能力を認めなかったが、彼は女性の管弦楽作曲―それは我々[男性の]眼には女性の劇作家と同じくらいまことに傑出した現象―を目の当たりにして、自身の理論に例外を認めざるを得なかった1

30年間、ファランク夫人は音楽院で多くの世代のピアニストの学習を指導した。彼女のクラスは優れた芸術家の結束した一団を生み出したが、彼女たちの才能は師の美点を厳格に反映していた。第一にファランク夫人の娘を挙げよう。彼女は大いなる様式を備えたヴィルトゥオーゾ、完成の域に達した音楽家、早くから両親の愛情を喜んで受けた。レヴィ嬢、ドリュス嬢、コラン嬢、サバティエ=ブロ嬢、ヴィアール嬢、ルノワール嬢(この最後の3人は数年間私の助言も受けた)、ベガン=サロモン夫人。ファランク夫人の教育は完璧なまでに正確で、隙のない厳格主義(ピューリタニスム)的なものだった。この世の何の為であっても、この教授は[演奏]効果に迎合しようとは思わなかっただろう。同時に、彼女の生徒たちの成功はもっぱら彼女らの個人的な美質に負っていた。ファランク夫人の流派で教育を受けたピアニストは演奏の規則正しさと異論の余地なき明晰さ、すばらしいメカニスム、まったく誇張のない正当なアクセント付け、そして[楽譜に] 書かれた字句を正確に、宗教的な配慮をもって遵守する点で際立っていた。あれほど正確でまじめで純粋なこの流派に不足していたのは熱気と色彩だった。誇張に対する恐れは、この流派をもう一つの暗礁、すなわち冷淡さへと押し流してしていたのだ。

  1. 原注:ファランク夫人は舞台用の作品、はまったく書かなかったが、彼女の甥で今日では学士院の会員の作者であるエルネスト・レイエールを指導し、栄誉と家族的な満足を手にした。彼は《セラム》、《ヴォルフラン師》、《サクンタラ》、《ヘロストラトス》、《彫像》、《シギュール》の作曲家である。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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