19世紀ピアニスト列伝

アメデ・ド・メロー第4回:「古典音楽」の普及者・作曲家として

2013/07/31
「古典音楽」の普及者・作曲家として

アメデ・ド・メローの肖像

ショパンの没後、19世紀の後半になると裕福な市民層が一気に拡大します。社会にピアノが浸透するにしたがって、市民はピアノ教育に古典音楽を通して伝統意識と勤勉の精神を取り込もうとし始めます。今日私たちが当たり前のように手にとっている古典曲集は、フランスにおいてはメローのような博識の音楽家の努力によって普及していきました。

メローの文学的な著作、専門書は数多く、非常に多様である。これらを読めば、彼の知識の厚みと極めて堅固な判断力がいかばかりのものか理解することができる。彼の作曲した作品は作品番号にして120に上り、様々な性格と様式を備えている。一曲の荘厳ミサ曲、複数のカンタータ、トリオ、カルテットが一曲ずつ、複数の協奏曲、オルフェオン1のための合唱曲いくつもの主題変奏、ポロネーズ、ファンタジー、一曲の悲哀的ソナタ2、そして、クレメンティの『グラドゥス・アド・パルナッスム』に並ぶ重要性と音楽的価値を有するピアノのための大練習曲3。もっとも、ド・メローは、生涯にわたって純粋に古典を重んずる作曲家だった。彼が大胆で、調和のとれた活気に溢れた時代に至るまで、彼の中にはクレメンティクラーマーフンメルモシェレスの忠実な生徒の姿を感じることができる。

ここで[メローの編纂した古典鍵盤曲集]『クラヴサン奏者たち』の話題に入ろう[*クラヴサンとはチェンバロのこと]。この音楽考古学的な記念碑は、大いなる芸術の高みに位置づけられるもので、1637年から1790年まで存在したクラヴサン奏者たちの作品を含むというこの上なく興味深いものである。この懐古的探究は創意工夫に満ちた大家たち、そして現代のピアニストたちが進むべき道を拓いた天才たちの様式と言語に関するものであり、必須の作品であると同時に今なお素晴らしい仕事として認められている。読者はこの曲集で年代順に作品を辿り、いわば様式の段階的な変化を一歩ずつ追っていく。そして素朴な旋律ながらも力強く織り込まれた和声をもつこれらの作品を注意深く分析しながら、数々の着想がどの時代にものであるかを知るばかりでなく、当時修熟することが非常に有用とされ、一世紀の間[=18世紀]、大変に流行した装飾に再び出会うのである。

メローは現代の記譜の慣行に倣って、[古い楽譜を]細心の注意を払って通常の記号、計量的な音価にすっかり書き直した。倦むことを知らぬこの忍耐、そして非常に神経を使う作業の中で伝統的な規則を遵守したことは、この素晴らしい[音楽的な]言語―それは今日殆ど忘れられ、識者にしか知られていない―を白日の下に晒したこの芸術家の最も偉大な名誉となっている。何事か非常に重要な計画を成し遂げるには、深い学識と力強い意志のある人物が必要だったということである。ド・メローは、偉大な芸術家としてこの任務を果たした。[巻頭に掲載された]伝記、歴史的な解説、様々な作曲家の様式に関する考察、それぞれの作曲家の手法や趣向の適切な比較によって、これらの曲集はクラヴサンとフォルテ・ピアノの真の歴史として提示されており、すべての芸術家が知識として身に付け、できる限り吸収すべき高度な音楽文芸の講義ノートを成している。

メローが編纂した『クラヴサン奏者たち』の第4集の表紙。第4集はクープランの作品が収められている。装飾音は17、18世紀は特殊な記号で表記されたが、メローは実用的観点を考慮して記号を全て音符に置き変えている。
  1. 1830年代のフランスで始まった合唱運動を担う男性合唱団。その主体は一般市民で、パリ市は公的な音楽教育の一環としてオルフェオンの運動を推進した。この運動は1850年ころからフランス各地に広がり、様々な団体が集まってコンクールを行う大規模なイベントが行われた。合唱イベントはしばしば軍楽の吹奏楽バンドにコンクールと同時に開催され、アマチュアの団体は独自の旗を掲げユニフォームを身に纏って参加した。ここには現在の全国合唱コンクールや吹奏楽コンクールの原型が認められる。作曲家のシャルル・グノーは1852年にパリのオルフェオンの監督に就任し普及に貢献した。
  2. 悲哀ソナタSonate l giaqueホ短調-ト長調op. 99はメローが1870年に出版した4楽章構成のソナタ。マルモンテルに献呈。一楽章にはヴィクトル・ユーゴーの詩が、以下の楽章にはラマルティーヌの詩が引用されている。各楽章のタイトルは次のとおり「哀しみに」、「夜に―夢想」、「祭りの間に」、「祈り」。
  3. この作品は1855年に出版された『60の性格的奇想曲としての大練習曲集―自由様式と厳格様式による』作品63を指す。5分冊で出版された。メローの作品中最大の練習曲集で、おそらく19世紀に書かれたピアノ作品としては最大級のものである。技巧において当時の最も体系的で難易度の高い練習曲であるばかりでなく、古今の様式を取り込んだ知的な傑作で、メローの博識が遺憾なく披瀝されている。本作はフランス学士院音楽部門でも高く評価され音楽部門の公的な推薦を受けた。

(訳・注釈:上田泰史)


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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