19世紀ピアニスト列伝

ムツィオ・クレメンティ 第7回(最終回) 蓄財家の奇妙な癖と古老音楽家の若き精神

2013/05/07
19世期ピアノ音楽の基礎の確立者
クレメンティ

今日はピアニスト兼作曲家列伝『著名なピアニストたち』から第5章「クレメンティ」の最終回です。蓄財に余年のなかったクレメンティには、傍からみるとある「奇妙な癖」があったそうです。それでも人々の尊敬を一心に集めた晩年、80歳で最盛期と変わらぬ若々しい即興演奏をしたというクレメンティは生涯、最高の音楽家で有り続けました。身体は老いても精神は老化しない、それこそが人間の偉大さであり、向上心を持ち続けることの大いなる力なのではないでしょうか。

クレメンティはクラヴサンの大家の貴重な傑作集を八ツ折版の4巻で出版した。この曲集は今日ではめったに見ることができない。クレメンティの交響曲、序曲は聴く機会に巡り合った事はないが、オベールが私に断言したことには、これらのオーケストラ作品には相対的な美点があるだけで、独創性を欠き、ハイドンモーツァルトの色彩豊かで創意工夫と変化に富んだ作品と並べると大変色あせて見えるとのことだ1。ならばクレメンティのためにはヴィルトルオーゾ作曲家の偉大で見事な人相をとっておくことにしよう。かれはこの分野の第一人者であり、そのために法則を書き、規範を作った。現代のピアニストは皆、彼の偉大な流派の門弟なのである。

クレメンティは豊かさに関して飽くことなき欲望を持っていた。財産を獲得するため、キャリアの半ばで被った多大な損失と大切な貯金を飲み込んでしまったあの倒産を償うために、彼はいかなる犠牲も払うことにはならなかった。倦むことを知らぬ勤勉家のクレメンティは、1日14時間、高額な謝礼でレッスンを行い、その合間に作曲と工場監視の時間を見つけたのだった。彼はフランス、ドイツ、ロシアで行った演奏会の収益を貯めることに密かな楽しみを感じていた。彼は旅先で食卓や宿泊、灯りにかける費用を節約し、紙を買うわずかな出費さえ良しとしないほどの倹約家であったから、演奏旅行はその分だけ大きな利潤を生んだ。アンリ・エルツは、私に次の面白い出来事の目撃談を語ってくれた。クレメンティがプチ・カローのホテルに到着すると、そこにはすでに彼の才能を熱狂的に信奉する生徒たちが待っていた。彼は荷物ケースを三階に上げてくれるボーイにすべての仕事代として10サンチームを渡したということだ2

素晴らしい知性の持ち主のこの狭量な精神とおかしな癖については、様々な説明がなされてきた。巧みな金銀細工師だった父のもとで過ごしたクレメンティの少年時代、クレメンティの心の内には金や貴金属への愛着が育っていた。ベックフォード卿の家で不自由ない生活を送った思春期、彼はゆとりある暮らしを続け、裕福な老年期に備えることに関心をもち、願望を抱くようになった。こうした影響が、パガニーニを除くどんな作曲家も遠く及ばないクレメンティの利益に対する頑な執着の原因だとされている。

1752年にローマに誕生したムツィオ・クレメンティは、1832年3月10日にロンドンでその生涯を閉じた。彼のもとには富みが舞い込んだが、少なくともそれは彼が期待し得たよりもずっと大きなもので、共同経営者のコラードが指揮を取っていたクレメンティのピアノ製造業からくるものだった。生涯の終わりに、彼は少年時代の暮らしの環境を再び探し求めた。彼はロンドン近郊にある自身の所領となっていた田舎に隠退し、非常に厳格で快適な環境の中で、音楽の古老の一人として賞賛と敬意に包まれ、敬愛を受けた。彼は友人と表敬に訪れる人々を親しげに迎えたが、演奏を聞かせるということはなかった。それでも、彼は最期の日まで、唯一偉大な芸術家たちを育む健全な勤労的習慣を崩すことはなかった。

伝記作家たちはクレメンティの晩年について感動的な逸話を残している。珍しくロンドンを訪れたとき、クラーマーモシェレスら著名な音楽家の饗応を受けた。食事が終わると、クレメンティは80歳の高齢であるにもかかわらず演奏することを申し出て、即興演奏で聴衆を驚かせた。そこに息づく若々しい着想、ヴィルトゥオーゾの大胆さ、彼の様式の色彩と力強さは、なおも彼が成功の絶頂にある頃と変わらないことをはっきりと示していた。そしてそれは本当の別れの饗宴となった。クレメンティはそれからほどなくして1832年3月10日に亡くなったからだ。

  1. 訳者注:サンチームは貨幣の基準単位の1/100。10サンチームはチップ程度のごく小さな金額
  2. 訳者注:クレメンティの交響曲は現在YouTubeでも視聴可能です。「Clementi symphonie」で検索してみてください。オベールの見解に反してイタリア的な優美な旋律、管楽器を生かした鮮やかな色彩を放つオーケストレーションが対位法もとづく知的配慮と見事に調和した作品です。第一番のドラマチックな和声展開、鋭い強弱の対比はベートーヴェンを先取りしているようにも思われます。

次回は第6章「E.プリューダン」をお送りします。エミール・プリューダンはフランスにおけるタールベルクの後継者として国際的な名声を博したパリのピアニスト兼作曲家です。音源と共にご紹介しますので、どうぞご期待ください。


上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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