19世紀ピアニスト列伝

ムツィオ・クレメンティ 第3回 イタリアの声楽的感性とドイツの豊かな和声

2013/04/09
イタリアの声楽的感性とドイツの豊かな和声
ムツィオ・クレメンティ

今日は前回に引き続きマルモンテルによる音楽家列伝第5章「ムツィオ・クレメンティ」の第3回。前回は、クレメンティバッハヘンデルスカルラッティ、マルチェッロなど彼以前の大家の作品に学びつつも、ソナタ形式の枠組みを拡大し豊かな声楽的要素を導入するなど作曲様式の革新に貢献したというところで話しがおわっていました。今日のテキストの冒頭にある「豊かな変容は一日して起こるものでもなければ、」というフレーズは、この作曲様式の革新の話題を受けています。クレメンティは既存の様式を押し広げることでベートーヴェンカルクブレンナーフィールドショパンといった後輩たちに19世紀ピアノ音楽の指針を示したのです。

豊かな変容は一日して起こるものでもなければ、ハイドンモーツァルトドゥシークもまた、この移行期において誉れ高き貢献をしたのだ。だがクレメンティは最初のソナタ(作品2)を出版した。その作品は大当たりをとったので、彼はロンドンに定住することを心に決めた。彼はイタリア座の伴奏ピアニストとして招かれた。かくして彼は恩人のもとを離れたが、生涯、彼は感謝の念をすこしばかりも忘れることはなかった。この指導伴奏者の重要な役職のおかげで、クレメンティは音楽的な知識を増やし、たいへん著名な歌手の演奏に触れ、声楽の偉大な模範を学ぶことによって自身の様式を完成へと導くことができた。ヘンデルのオラトリオ、ポルポラ、サッキーニ、ペルゴレージのオペラが彼の想像力に浮かぶようになった。これらの天才たちが到達した至高の頂へと自身の霊感を高めることはないにせよ、少なくとも彼はその痕跡を大切に自分の中にしまっておいた美しい旋律のかたちを室内楽用の特別な作品の中に保存するというすぐれた発想を抱いた。かくしてクレメンティはイタリアの旋律作家の自然な感情をとりわけドイツ的天分の特徴である和声の彩(あや)を絶えず結び合わることができた。ハイドンがよく示しているように、クレメンティは徹底的にエマヌエル・バッハの作品を研究し、細心の注意を払って分析した。この大芸術家エマヌエル・バッハの慎ましやかで穏やかで内省的な人生には輝かしい成功は何一つなかったが、高貴な着想、スコラ的な作品に彼がもたらした新しい形式、創意工夫に満ちた軽やかで華やかな走句によって彼は現代音楽の創造者の列に加わっている。

17701年 に出版された最初のソナタ集(作品2)?2は当時の愛好家たちの間で大変な評判となった。これらの曲はピアノまたはチェンバロ用に作曲されている。1760年にピアノ製作者ツュンペ3がイギリスにもたらした新しい楽器[ピアノ]は、まだチェンバロとクラヴィコードに取って代わってはいなかった。我々の祖先が愛したこれらの楽器には、当時多くの愛好者が存在した。

次のことは理解しておかねばならない。チェンバロは、当時の和声の実践に長けたヴィルトルオーゾの手にかかると魅力的な効果を生み出した。今日、芸術的好奇心をもつ愛好家たちは、いにしえの達人にばかり関心を寄せているが、しかるにこれらの楽器をよく調べてみること、大変な喜びと、独特の感覚を味わうことができる。それらは非常に性格で明瞭な音を発し、非常に魅力的ではっきりとした音色を備えているのだ。だが、この時代の文彩豊かな言語を理解し、音の現代的な効果、力強さ、強弱のコントラストを忘れ、音の持続が全く欠如している分を非常に密な和声とフレーズによる絶えざる装飾で補わなくてはならない。

  1. 実際には初版年は1779年。
  2. これ以前に、1771年に出版されたと考えられている《6つのソナタ》作品1が存在する。
  3. ヨハネス・ツュンペ(1726-1790)ドイツ出身、イギリスで活躍した鍵盤楽器製作者。彼の開発したシングル・アクションのピアノはイギリスで広く用いられた。1780年代にはダブルアクション機構を発展させ、イギリスのピアノの発展に大きく貢献した。彼の楽器は大陸にも輸出されており、マルモンテルのいたパリ音楽院でも19世紀初期には幾つかのツュンペの楽器が導入されていた。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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