ドビュッシー探求

前奏曲集第1巻より第3曲「野を渡る風」

2007/12/07

今回の曲目
音源アイコン 前奏曲集第1巻より第3曲「野を渡る風」 2m21s

前の2曲に比べ、明らかに運動性が増し、無窮動な音楽がこの第3曲です。標題音楽としてのイメージは前にも述べたとおり、唯一性に欠けるので重要ではありませんが、楽譜から読みとる標語以外に知っておきたいのは、風の性質でしょう。風といってもさまざまな種類のものがあります。恐らく、日本なら、5月頃の、湿度が低く、暖かい草原に心地よい風が吹いているようなイメージでしょう。従って、非常に軽やかな音楽であって決して重々しい音質で表現されるものではないと思います。しかし、中間部ではそういった草原に突如つむじ風が起こりますが、また前と同じようになり、風がおさまっていくように感じられます。絵画であれば、フランス印象派の偉大な画家、クロード・モネの、「散歩、日傘をさす女」など、多少ニュアンスが近いと思います。決してゴッホなどの強い色調のものではないと思います。第2曲と同様に、この作品も構造的に巨大な盛り上がりを作るというよりも、中間部のフォルテは、突如起こるものとして、全体としては可能な限りたんたんと流れるという美意識で書かれています。この美意識自体がかつてなかったものだと思います。

演奏上の問題について
 前述の通り、可能な限り軽やかな音楽であることは、楽譜の最初に「できる限り軽やかに」とあるので音楽を正しくとらえるためにどうしても標題が必要だとは思いません。あくまでも、「仮に例えれば・・・があるけれど、他でも良い」程度のものです。6連符の16分音符は可能な限り軽やかでありつつ、バスのbのオルゲルプンクトの響きの上に乗っている必要があるので、本当に少しだけペダルを使うと良いと思います。
 1~8小節は、調性も旋法も規定しにくいところです。それが、無機的に流れる風の表現には逆に適切だと思います。ぼくは、変ト長調の5音階に3音bのオルゲルプンクトが響き、6,7小節で借用の根省V9で響きが揺らぐように感じます。ただし、8小節の最後は9小節の変ホ短調トニックに向かうドミナントを感じます。再現部の49小節の最後から50小節の最初はサブドミナントからトニックの進行と見れば、この2箇所以外に調性を明確に感じさせるカデンツァは見当たりません。従って、多少は意識して表現しても良いでしょう。
 この部分はドビュッシーの美意識として極めて興味深いところだと思います。ドビュッシーは同じ繰り返しを決して好まないことはこれまでにもたくさん書いてきました。同じ繰り返しで高揚することをドビュッシーはあまり好まないことがあるのです。それをこの提示部分に対応する44小節以降と比較してみましょう。
 3~6小節のフレーズと44~49小節のフレーズを比較すると、前者に比べ後者はリズムが緩くなっています。しかも、前述のように9小節に向かうところはドミナントからトニック、50小節に向かうところはサブドミナントからトニックとなっていて、後者の方が明らかに弛緩した表現です。しかも、54小節からは、3小節のモチーフの断片の変奏が、最初は4拍、次は5拍、次は5拍で少しリテヌートがかかり消えていくというように、更に弛緩していきます。つまり、前半は緊張した感じを提示し、後半はその逆に弛緩した感じで提示して消えていきます。しかも、それが大袈裟でなく、ほんの少しの変化で表現されています。この繊細な部分をどう感じて演奏するかということからさまざまなタッチを決めていけば良いと思います。
 さて、この作品はカデンツがほとんど見当たらないと書きましたが、ドビュッシーは意識的にトニック和音を書かずに浮遊感を演出しています。たとえば、7小節、58小節に、本来あるべきのトニックの和音をわざと使用していません。しかもしつこいことに、58小節へは、54小節から3和音が徐々に半音ずつ並進行して上行し、明らかに変ホ長調のトニック和音に収束するように書いておきながらわざと書いていません。この美意識が所謂ドイツ音楽と対極にあるものだと思います。
 話が前後しましたが、1~8小節の部分は、バスのbのオルゲルプンクトの上にメロディーがリズミカルに響き、それとは異なる軽い質感で右手の16分音符が静かにただようように弾けば良いと思います。決してしてはいけないのは、右手の響きにメロディーやバスが埋もれることでしょう。他の類似部分でも同様です。9~12小節では、変ホ長調トニック和音の響きの中に、des とcが揺れ動いていることで、柔らかいフラット系の響きに複雑な揺らぎを与えています。バスの5度の並進行も10小節の3,4拍は下降して、あたかもIV→V→Iのようなニュアンス、12小節の3、4拍は上行してI→IV→Iのようなニュアンスになっています。13小節からはまた最初と同じ響きですが、28小節から始まる、突如起こるつむじ風の予見ですから、2拍目のsfや小さいクレッシェンドも大切ですが、特に13小節3拍目のsubito P はしっかりと表現したいところです。15~17小節と18小節、19~20小節はブロック構造的に動、静、動を表現したいところです。21小節では小さな松葉がついていますが、これがつむじ風が起こる前の、急ではないけれども風が変わったニュアンスを表現したいところです。何しろ、ずっと左手が主であることに変化はありません。つむじ風の起こる前には、不安感も表現されていて、22、25,27小節は全音階のニュアンスがブロック的に挿入されています。
 28~34小節はつむじ風のニュアンスの部分で、演奏も難しいところですが、いくつか解決のヒントがあります。まず、音価を正確にとることです。そして、フォルテの部分はフォルティシモではないことも解決のヒントです。決して重くない和音です。そして、32小節まではフラット系、33小節からはシャープ系なので、前後で強弱に頼らず、明るさを変えることが大切だと思います。技術的には、1,5の指が黒鍵の場合と白鍵の場合で手の位置が手前なのか奥なのかを明確に意識すると良いと思います。例えば30~31小節にかけては、奥、前、奥の順に、33~34小節にかけては前、前、奥の順にポジションが変化します。
 34小節から44小節へは、バスが揺れ動きながらも半音階で下降しながらgis からbに収束していきます。しかし、ドビュッシーは単純を好みません。43小節では2拍目から3拍目にかけて、短3度の下降が起こり、ここで急速にbに収束する感じを強調しています。
 以後は、前述の通り、提示部よりもゆるんだニュアンスを大切にしながら演奏すれば良いと思います。細かいことですが、51小節の3,4拍は、つむじ風の余韻として小さなクレッシェンドがあるのに対して、53小節の3,4拍は収束に向かうためにクレッシェンドはありません。
 54小節からは、前述のようにモチーフの間隔が徐々に拡がっていきますが、ドビュッシーはバスの1拍目に全音符を付け、あくまでも4拍子を意識させようとしていますから、その中でゆるんだ状態を表現したいところです。
 力任せにできず、かといって繊細なだけでもだめである、そういう微妙な作品で困難ですが、ドビュッシーの美意識がふんだんに現れた作品だと思います。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

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