ドビュッシー探求

前奏曲集第1巻より第2曲「帆」あるいは「ヴェール」

2007/11/16

今回の曲目
音源アイコン 前奏曲集第1巻より第2曲「帆」あるいは「ヴェール」 4m30s

 標題音楽的な考え方、すなわち文学的な考え方を、必ずしもドビュッシーは好んでいなかったということはさまざまなところで述べられていますが、インスピレーションを受けたことについては確かでしょう。生まれはそうでも、音楽になった瞬間にそれは絶対音楽になる、それがドビュッシーの考え方ではないかと僕は思います。さて、この第2曲ですが、Voilesという標題は、普通、帆と訳されていますが、衣裳のヴェールという意味もあります。おそらく、どちらでも良いのでしょうが、風という自然現象について第1曲から第4曲までを見てみましょう。第1曲では舞姫が踊っていて、そこには自然に揺れる衣裳のヴェールがイメージされますが、風のニュアンスはほとんどありません。第2曲は少しだけ水面の揺れる程度の風を感じ、第3曲では比較的強めの風が吹いています。そして第4曲では3曲目までで徐々に強くなってきた風から一変して真夏の気だるい夕べに無風状態を想起させます。これら4曲の「風」のつながりは、バスの音の支配の変化に呼応しています。つまり、第1曲から第3曲まではバスはbが支配的ですが、これが第4曲で半音下降してaになります。同じ音bを連続することで高揚し、bからaに下降することで力が抜けた感じになります。このような構造的なことをドビュッシーが風の強さと関連づけて考えていたのかどうかわかりませんが、極めて短期間で12曲を作曲したことを考えると可能性はあります。そういう意味で、この第2曲の標題は第1曲から第3曲へ移行するために2重の意味を持つと考えても良いのではないでしょうか。
 さて、この作品は、近代和声を扱うさまざまなテキストに頻出します。それは、42~47小節以外は全音階という音階で作品のすべてが表現されているからです。全音階というのは2種類しかなく、異名同音を無視すれば、c→d→e→fis→gis→ais(→c)というものと、これらを半音ずらしたものです。主音をどこにしてもまったく同じニュアンスです。つまり、移調の意味がありません。従って、全音階だけで曲を作ることは、ニュアンスの変化に乏しいものになることは明白です。しかし、この作品はどうでしょうか。信じられないほど立体的で多様です。しかも、バスは最初から最後までbのまままったく変化しません。バスのオルゲルプンクトにのって3度のモチーフ、全音階のオクターブのモチーフ、細かいリズムモチーフなどが和音単位で数えれば3声として立体的に響きます。ずっと霞がかかったニュアンスで、変化もほんの少しずつで、決して大袈裟な表現がない、つまり、力みのない美しさに満ちあふれた作品です。
 ワインに例えれば、決してアメリカのナパ・ヴァレーの赤ワインではなく、フランスのブルゴーニュの繊細で複雑な赤ワインといったところでしょうか。

演奏上の問題について
 シャープ系は明るめ、フラット系は暗めで表現することは、偶然かもしれませんが、異名同音でニュアンスと一致するように思います。1~5小節のソプラノの3度の並進行モチーフですが、指示通りにとても柔らかく演奏されるべきです。4小節は、フラット系でその前よりも暗い、湿った音のイメージがありますが、1小節目のgisと4小節目のasというように指示が呼応しています。そう考えれば、確かにバスのbはaisではないし、7小節からテノールで始まるモチーフもすべてフラットで書かれているので納得がいきます。だから、12,15小節にgisとasが混在するのは、これらを質として区別して表現することを狙ったと推測しています。確かにぼくの感じるニュアンスの違いと一致するからです。だから10~21小節では、ソプラノは総じて明るく、テノールは低めの木管の音、バスは更に暗い音色ということになります。22小節は、「柔らかく、しなやかに」演奏されるため、ソプラノがフラット系になっています。23小節のテノールのfisは、確かに、暗めのgesではなく、主張するfisだと思います。24小節の2拍目ウラのソプラノ上行アルペジオも少し輝きが欲しいのでgisを用いてasを用いていないのだと思います。だから、25小節2拍目ウラからのソプラノは曇った音色に変化すると思います。28小節から32小節は盛り上げたいところですが、ドビュッシーはここでもsubitoピアノをしつこく書いていますから、細かいふくらみだけで微妙な表現に終止するべきだと思います。
 33小節からの右手のテヌートの付いた音符は、16分音符と明確に音質を変えて演奏するべきです。特に35小節の1拍ウラ、2拍ウラなどは難しい部分です。僕は必ずしもやりませんが、テヌートの付いた音の指だけに腕の重さを乗せて、16分音符は指だけで重さを乗せずに弾くという方法が考えられます。いろいろと自分に最適な方法を探すと良いでしょう。42小節からは東洋の5音階で書かれています。ここからの6小節だけが変ホ短調という調性を感じさせる唯一の場所です。ただし、バスは変ホ短調のv音のオルゲルプンクトなので、あまり強い調性感は出ませんが。ここも、最大はフォルテなのでおさえた表現が必要ですが、ここまでずっと我慢しているので僕にはなかなか難しいです。まあ、43小節にEmporte(沸き立つように)などとありますから、ある程度はドビュッシーも許してくれるかもしれません。
 45、46小節のデュナーミクの変化は非常に難しいですが、ここはTresretenuとあるので、8分の4拍子と考えて、バスのbにも拍子を与えると、45小節のソプラノのgisにおけるpiu P は表現可能です。46小節は更に曇った表現になるので、45小節の最初をあまり弱くし過ぎないことも大切でしょう。
 48小節からは細かい音符に、「非常に軽いグリッサンドのように」と指定があります。1音ごとがはっきり聞こえないようなニュアンスで弾きたいところです。50小節からのソプラノは、フラットで書かれています。遠くでなっているようなイメージで、決して明るい音色は使わないところだと思います。はたして意識するべきかわかりませんが、48小節でテノールのfis、49小節のテノールのasで明暗を弾き分けるとすれば、2小節単位でのニュアンスの組み合わせになります。勿論、54~57小節は拡大されていますが。
 58小節からは、右手のパートが2声になっていて、たとえば、58小節の1拍目の8分音符と、2拍目からの部分は全く別の音色で弾かれるべきです。62小節からの部分は、フェルマータがありますが、あくまでも拍子を意識して演奏しないとゆるみ過ぎてしまう危険があると思います。62小節にペダル記号があるとおり、ペダルは最後まで踏み続け、c eの3度がだんだん薄く消えていくような感じになると思います。
 演奏者にしかほとんどわからないような微妙な音量や音色や音質の変化が要求されますが、何も大袈裟にできないところがドビュッシー後期に特有の質感ですから、「何も表現しない」「我慢して少しだけ表現する」のではなく、「最大限表現する」結果が微妙な質感になるようにしたいところです。


金子 一朗(かねこいちろう)

1962年東京都に生まれる。早稲田大学理工学部数学科卒。本職は中・高等学校の数学科教諭。ピティナピアノコンペティション全国決勝大会で、ソロ部門特級は2003?4年ともに入選、コンチェルト部門上級で2004年に奨励賞、グランミューズ部門A1カテゴリーで2004年に第1位受賞。2005年における同コンペティション ソロ部門特級でグランプリ(金賞)および聴衆賞、ミキモト賞、王子賞、日フィル賞、文部科学大臣賞、読売新聞社賞、審査員基金海外派遣費用補助を受賞。 第1回ザイラー国際コンクール・イン・ジャパン・フリー部門第2位。第1回北本ピアノコンクールH部門第1位、合わせて全部門での最優秀賞を受賞。2004年10月にリスト国際コンクールマスタークラスにてレスリー・ハワード氏の公開レッスンを受講、オランダ大使館にてリスト国際コンクール主催の演奏会に出演。2005年1月、円光寺雅彦指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演。2005年5月、テレビ朝日「題名のない音楽会21」に出演し、現田茂夫指揮東京交響楽団と共演。 これまでにピアノを角聖子、神野明、北川暁子、K.H.ケンマーリンク、森知英、田部京子の各氏に師事。また音楽理論を中村初穂氏に師事。
著書に『挑戦するピアニスト 独学の流儀』(春秋社刊 2009)

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