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第12回:特別インタビュー「譜読みマイスターに聞く!」第3回 三ッ石潤司 先生・前編

2018/12/19
第12回 特別インタビュー「譜読みマイスターに聞く!」
第3回 三ッ石潤司 先生・前編

"譜読み"のエキスパートである先生方を「譜読みマイスター」とお呼びし、皆さまからお寄せいただいた疑問やお悩みをお尋ねするインタビューを行う「譜読みマイスターに聞く!」久しぶりの掲載です。今回はアンサンブルピアニスト、コレペティートル、作曲家、そして教育者...と幅広いお顔をお持ちの三ッ石潤司先生にお話を伺いました。

兵庫県生まれ。東京藝術大学作曲科卒業、同学大学院博士課程(音楽学)単位取得。アンリエット・ピュイグ=ロジェ女史にコレペティツィオン、伴奏を学ぶ。その後1988年よりウィーン国立音楽大学に学び翌1989年より教育科、作曲指揮科講師を経て、同学で初めてのアジア人声楽科専任講師としてリート・オラトリオ科でエディット・マティス教授のアシスタントなどを務める。その傍らウィーン(国立歌劇場オペラ研修所)、パリ(オペラ・コミック、シャトレ)を始めヨーロッパ各地の劇場や音楽祭でコレペティートア、またロームミュージックファンデーション主催の音楽セミナー(指揮指導小澤征爾氏)講師として活躍した。2008年に帰国し、日本各地でコレペティートア、伴奏者、作曲家として活動。特にバリトン河野克典氏、ソプラノ浜田理恵氏との共演は数多い。作曲家としては音楽遊戯「アリスの国の不思議」の制作初演(東京・兵庫2016、翌年沖縄にて再演)、また東京混声合唱団委嘱の「祈り―2016」(東京2017)は好評を博した。教育者としては武蔵野音楽大学教授(2018年度新設のピアノコラボレイティヴアーツコース主任)ならびに東京藝術大学講師として伴奏法、声楽コーチ、演奏解釈を中心に後進の指導にあたっている。長年の功績に対して2009年にオーストリア共和国功労金章受章。

実際に私が三ッ石先生の演奏に接して感じていたことですが、本当に歌の方に寄り添い、時に導くことはもちろん、本当に楽譜が"見える"ようだなと感じています。それだけ緻密に楽譜を読み込まれ、再現されているからこそだと思うのですが、楽譜とどのように向き合っていらっしゃるのでしょうか?

楽譜を読むことは、言葉を読むのと似ていると思います。例えば古文を読んだり現代文を読んだりするときに、古文ではその文法を知らなければならないし、現代との文化の違いを理解しないといけないですよね。新聞を読むときも、常用漢字を知らなければもちろん読めません。音楽についても、基礎知識を持っていないと読むことは当然困難、もしくは不可能だと思うのです。

音楽の基礎知識、というとやはりソルフェージュということになるのでしょうか。

もちろんソルフェージュには演奏のために必要なことをたくさん学ぶことができますし基本的なこともたくさん含まれていますが、できない人にとっては"基礎"にはなりませんよね。あくまでもこれは"便法"として生まれたものだということを前提にしなくてはなり ません。ヨーロッパの人たちが自分たちのよく知っているヨーロッパ音楽をどのように早く学べるか、楽譜をいかに早く音楽にしていくかということを学ぶためのものなのです。日本人にはその前提がないのに、とりあえずソルフェージュをやれば最終的に音楽的な演奏ができるよう になる、という考え方で進めようとしていることが多いように思えます。

確かに、とりあえず正確に音程やリズムを取る、聴音をする、クレ読みを早くするなど、目的よりも手段に向かって突っ走っているような傾向がありますね。

「何をやりたい、どういう音楽をやるためには何を克服するか、という目的意識をもって取り組まなければ意味がありませんよね。たとえばクラリネットとピアノの作品をやる時にただクレ読みできるようになっておけば便利、みたいな考えではだめだと思います。ソルフェージュの学び方はここが誤解されがちで、それだけやっても決して演奏にはつながりません。どんなに文法を精確にやっても正しい言葉を話すことができないのと同じです。

"楽譜を読む"ということは文字通り"読む"ということなのですよね。

ただ音を並べるだけでは全く意味がないんですよね。音楽を「演奏すること」は詩の朗読のようなものだ と思います。韻律が正しく読めること、文節をどう分けるかということ、そしてそれをどう表現するという1ランク上の話があります。最低限の話が"てにをは"を間違えない、漢字を間違えない、言っている内容をそのまま伝えられるか、ということで、音をとる、だけということではないんです。あくまでも"文章として成り立つかどうか"だと思うんです。

どうしても特にピアノという楽器はそれを忘れて"弾く"ことに必死になってしまいがちです。

その作品の"前提"が何か、読む前に何がわかっていなければなりません。例えばバッハの≪インヴェンション》だって、彼がどういうつもりで書いているか、音型の動きの一つ一つにどんな意味があるかということを考えないと、ただの音のつながりになってしまいます。

こうしてお話頂くと"なるほど"となりますし、実際にそうだなぁと反省してしまいますが、これに気がつくことは非常に難しいことだと思います。先生はいつ気づかれたのでしょうか?

もちろん自分も子供時代にこういうものをやったときはわかりませんでした。例えばバッハの《平均律クラヴィーア曲集》第1巻の第1番をみるとハ長調の音階でほとんどが 構成されていますよね。《インヴェンション》も《シンフォニア》もそうです。それが曲集の最初に来る、ということがとても興味深い。作曲の勉強をして、カンタータやオラトリオなどを伴奏するようになってからバッハは"音で語る"んだな、そういうものを重ねて書いているんだなということがわかってきたんです。

楽譜を"読む"ということについて改めてよく考える必要があることがわかりました。次回はさらにくわしいお話を伺い、楽譜を通して私たちが読み解いていくべきことについて考えていきたいと思います。

後編へ続く


長井進之介
国立音楽大学演奏学科鍵盤楽器専修(ピアノ)卒業及び音楽情報・社会コース修了を経て、同大学大学院器楽専攻(伴奏)修了。同大学院博士後期課程音楽学領域に在学中。主な研究対象はF. リストの歌曲作品。ドイツ・カールスルーエ音楽大学に協定留学。ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州財団給費奨学生。DAAD(ドイツ学術交流会)「ISK(語学研修奨学金)」奨学生。アリオン音楽財団2007年度<柴田南雄音楽評論賞>奨励賞受賞(史上最年少)。伴奏を中心とした演奏活動、複数の音楽雑誌への毎月の寄稿、CDライナーノーツの執筆及び翻訳を行う。
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