19世紀ピアニスト列伝

フンメル 第2回 モーツァルトの指導と若きヴィルトゥオーゾ

2014/11/18
モーツァルトの指導と若きヴィルトゥオーゾ

前回モーツァルトとの出会いのところで話が切れてしまいました。フンメルモーツァルトの家に住み込みの徒弟として指導を受け、10代前半にはヨーロッパ中を父と共に旅して喝采を浴びます。豊穣な学識と才能を備えたフンメルはあらゆるジャンルで作品を残していますが、最後の段落では彼の声楽のための作品が一瞥されます。

フンメル

かくしてフンメルモーツァルトの数少ない生徒の一人になるという計り知れない幸福に浴した。モーツァルトは自宅に彼を寄宿生のように住まわせた。フンメルの受けたしっかりとした教育、同時代の作曲家の大部分に対する彼の絶大な卓越はここから来ているのだ。彼は大変に急速な進歩を遂げたので、モーツァルトは1787年、9歳の驚異的な弟子をドレスデンで開いたコンサートで紹介することができた。フンメルの父は続いてモーツァルトその人の父よろしく息子の才能を世に知らしめ、いくらか活用しようと考えた。6年間、フンメルはドイツ、デンマーク、オランダ、スコットランド、イギリス(ここでは1791年から92年にかけて2年間滞在した1)を駆け巡り、ゆく先々で強い好感を持たれた。父が息子に大変厳しい練習を強いたせいで、フンメルは大人になっても生涯その習慣を崩さなかった。

ロンドンに滞在した二年の間、熱心にクレメンティのレッスンを受けたフンメルは彼の様式を身に染みこませ彼の流派の教えに従った。ロンドンを去ると―そのとき彼は15歳になっていた―フンメルはウィーンに戻り、それまでまだやりかけだった和声の勉強を始めた。彼を指導したのは極めて老練、かつあらゆる優れた音楽家が意見を求める教師の一人にして偉大な理論家、対位法作曲家であるアルブレヒツベルガーだった。著名なサリエリもまた彼に声楽と舞台様式の作曲法に関する助言を与えた。こうして彼は作曲家となり、同時に比類なきヴィルトゥオーゾでもあり続けたのだった。我々はこの労多き漂白の人生を年毎にたどることはしない。フンメルはドイツ、ポーランド、ロシア、オランダ、ベルギー、イギリス、フランスと、何度もヨーロッパのさまざまな国を訪れた。至るところで喝采を浴びた彼の大いなる様式、威厳あるヴィルトゥオジティ、驚くべき即興の才能(これらの美点は全てまとめて完成の極みに達していた)によって彼は言葉のもっとも高尚な意味で大家の地位に列せられた。

劇音楽の作曲家として、フンメルはいくつものオペラ・セーリア、半性格的オペラ、オペラ・ブッファ、多くの合唱付きカンタータ、公共的序曲、歌とダンス付きのバレエ音楽とパントマイム音楽を書いた。もっとも知られた作品は3幕の《ギーズ家のマチルド》2、1幕《これは売家》3、二幕のオペラ・ブッファ《恋の顛末》4である。エステルハージー侯爵、ヴルテンベルク、ザクセン=ヴァイマル大公爵の宮廷楽長を歴任したフンメルは3つの荘厳ミサ曲5、4声、オーケストラ、オルガンのための複数のグラドゥアーレ6とオッフェルトリウム7を書いた。

  1. 訳注:フンメルがイギリスに渡ったのは実際には1790年の春である。
  2. 《ギーズ家のマチルド》Mathilde von Guise op. 100:1819年3月ウィーン初演。21年にヴァイマルで改訂版初演。1826年頃にライプツィヒで出版。
  3. 《これは売家》Dies Haus ist zu verkaufen, 1812年ウィーン初演。
  4. 《恋の顛末》Le vicende d'amore , 1804年作曲。
  5. 作品77, 80, 111の3作。いずれもフンメルの生前に出版された。
  6. Quod quod in orbe, op.88, 1808頃~10年に作曲。
  7. 少なくとも7作のオッフェルトリウムがある。

上田 泰史(うえだ やすし)

金沢市出身。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学修士課程を経て、2016年に博士論文「パリ国立音楽院ピアノ科における教育――制度、レパートリー、美学(1841~1889)」(東京藝術大学)で博士号(音楽学)を最高成績(秀)で取得。在学中に安宅賞、アカンサス賞受賞、平山郁夫文化芸術賞を受賞。2010年から2012まで日本学術振興会特別研究員(DC2)を務める。2010年に渡仏、2013年パリ第4大学音楽学修士号(Master2)取得、2016年、博士論文Pierre Joseph Guillaume Zimmerman (1785-1853) : l’homme, le pédagogue, le musicienでパリ=ソルボンヌ大学の博士課程(音楽学・音楽学)を最短の2年かつ審査員満場一致の最高成績(mention très honorable avec félicitations du jury)で修了。19世紀のフランス・ピアノ音楽ならびにピアノ教育史に関する研究が高く評価され、国内外で論文が出版されている。2015年、日本学術振興会より育志賞を受ける。これまでにカワイ出版より校訂楽譜『アルカン・ピアノ曲集』(2巻, 2013年)、『ル・クーペ ピアノ曲集』(2016年)などを出版。日仏両国で19世紀の作曲家を紹介する演奏会企画を行う他、ピティナ・ウェブサイト上で連載、『ピアノ曲事典』の副編集長として執筆・編集に携わっている。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会研究会員、日本音楽学会、地中海学会会員。

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