論文・レポート

レポート/鷹羽綾子『ピアノの基本的演奏技能に関する教授法の比較』

2013/07/19
ピアノの基本的演奏技能に関する教授法の比較

鷹羽綾子

はじめに

筆者は卒業論文「ピアノの解釈・演奏における物語化の意義と可能性―武本京子の『楽曲イメージ奏法』を中心に─」(卒業論文, 奈良女子大, 2004年3月)で、ピアノ曲の解釈・演奏における物語化の意義と可能性を、武本京子氏の提唱する「楽曲イメージ奏法」を中心に考察した(鷹羽,2004)。「楽曲イメージ奏法」とは、「曲をより表情豊かに、より深く理解するために、主題とその変形、調性の流れなど、音楽の部分部分が他の諸部分ないし全体とどのような関係にあるかを明らかにし、物語化する」(武本,1995)というピアノ教育法・演奏法である。拙稿における考察の結果、音楽のように人間の感性に関わる領域では、主観的な個性や感性、作品に共鳴する内面的心情などが重要であること、そして、曲のイメージを物語ることは、イメージの確立や認識に有益であるということを確認した。つまり、「楽曲イメージ奏法」は、以下の資質、すなわち感受性、洞察力、さらに音楽をより広がりのある世界にするための創造性、想像力という資質のバランスのとれた演奏法なのである。しかし一方で、今後の課題として、それらのイメージを実際の演奏へ置き換えるための技術の習得とその教授法の確立の必要性が浮かび上がった。
そこで本稿では、ピアノ教育における教授法の視点から、さまざまなテクニック、タッチやペダリングなどの演奏法の習得技法について、先人の意見を取り上げ論じる。その上で、「生徒たちにいかに教えるか」について考察する。
まず第一章では、ピアノを弾く時の基礎的な姿勢および運動と技法について述べる。特に、楽器に対する身体の位置、運動に適した手と指の位置と形、基礎的な技法の習得法という三つの点に注目する。
第二章では、ピアノ奏法について考察する。レガートとノン・レガートの弾き方、スタッカートの種類とその弾き方、スケールとアルペッジョについての三つの点を中心にまとめ、今後の演奏と指導に役立てる視点を検討する。
最後に第三章では、ペダルの技法についてまとめる。ダンパー・ペダルとシフト・ペダルの役割と踏み方、ペダル・テクニックについて考察し、より良いペダリングを習得させるための教授法をまとめる。

第一章 基礎的な運動と技法について
第一節 楽器に対する身体の位置

本章では、ピアノを弾く時の姿勢や基礎的な運動、技法について考察する。第一節では、座り方や椅子の高さなど、楽器に対する身体の位置について述べる。続いて、第二節では鍵盤に対する五指の位置と形、手の状態についてまとめる。そのうえで、第三節では、手の訓練や練習方法について検討する。
第一に、椅子の位置と座り方について述べる。初学者がピアノに向う時、手の方に注意を集中しがちである。しかし、むしろ身体の重心が充分に安定し、演奏上のさまざまな動作に敏捷に対応できるような座り方や姿勢を会得することから始めるべきではないだろうか。
井口基成『ピアノ奏法の段階』(1955)によると、まず、私たちはピアノの鍵盤のほぼ中央に向かって無理のない姿勢で、足の裏が平らに床につくように、なるべく深く椅子に腰を下ろす。これは安定した位置を常に保つために必要で、身体の重心が下腹部におかれるようにするために重要なことである。次に、鍵盤に対してあまり身体を近づけないで、身体が鍵盤の上にのしかかったり、前かがみになったりしないようにする。また反対に、そっくりかえるのもよくない。心持ち前方に傾く程度になるのがよい。そして、身体の側面に手を自然に下ろした形のまま、その手の上腕を動かさず、肘のところから前腕を曲げて、その指先が白鍵のほぼ中央に楽におろせる程度に、ピアノに対して身体の位置を保つ。この際、肘は身体によせすぎても、離れすぎてもいけない。また、足は踵を床につけ、力を入れずに先のほうをペダルにかけておく。それは、いつでも要求に応じて、ペダルを踏める状態にしておくためであるという。(井口,3頁)
井口(1955)に対して、雁部一浩は、『ピアノの知識と演奏』(1999)の中で椅子の座り方について次のように述べている。「最も合理的な座り方は椅子に浅めに腰掛け、おしりと足の両方で体重を支え、肩の力を抜いて上腕は自然に下ろし、前腕はほぼ水平に保つという形になります」(54頁)。この理由として、雁部は次のように説明する。

あまりに深く腰掛けてしまうと、体重の多くが椅子にかかり、重心の移動が困難になります。ピアノの幅広い音域をカバーする為には上半身を左右に移動しなければなりませんが、それに伴う重心の移動に対して下半身を安定させておくためには椅子に浅く腰掛け、椅子と足とに適度に体重を配分する必要があります。(雁部 1999,53頁より引用)

このように、椅子に座る上で注意すべき点は、身体を安定した位置に保つことと、演奏上のさまざまな動作に対応できるような上半身の柔軟さを両立することである。井口と雁部の説は腰掛ける深さに相違がある。しかし、上記2点を守っていれば、教師は各生徒の身体的特徴(例えば足の長さ)や成長の度合いによって、腰掛ける深さを変えるように指導すれば良いと考える。
第二に、椅子の高さについては以下のことが重要である。井口によると、肘から前腕部が鍵盤と同じ高さにあり、「指を鍵盤に対して曲げた形の時に、中指の第二関節から、肘の関節までが、鍵盤に対して第二の水平線を作るようにおくのが良いとされている。それより椅子が高すぎると身体の重みが腕と手にかかってくる。また低すぎると、力が指先に入らず肘のところから抜けてしまうからである。(井口,4頁)
田村安佐子も『ピアニストへの基礎』(1990)の中で、すべての重みが指先に感じられるように手・手首・前腕・肘を結ぶ線がゆるやかな上昇曲線を描くように椅子の高さを調整すると良いとしている。(田村,54頁)
また、ヴァンティン(Sidney Vantyn)(※1)は次のように述べている。

著者の最も推奨し得る位置については、椅子の高さは肘の外側の曲つたところが、鍵の水準から半吋(6分)下つたところに位置するように腰かけられる高さにする。従つて肘から指までは非常に、極くわずか傾くようになる。この位置でやれば、指が自由に動くので、タッチが粗野にながれるのを効果的に防止される。こうしてフォルティシモの場合、ピアニシモの何れの場合でも常によい音質が得られる。(井口 1955:4頁より引用)

雁部(1999)も、椅子の高さに関しては単に肉体的に楽かどうかではなく、テクニックに与える影響を考えながら調節することが大切であると主張する。例えば、椅子を高くして弾くと「指先の能動的な動きで鍵盤を操作する」というよりも「腕を鍵盤に乗せる」という感触が強くなる。したがって、そのような感触を重視する演奏者にとっては、椅子を高めにするほうが楽に感じる人が多い。逆に、指先や手首の能動的な動きでコントロールするタイプのピアニストにとっては、肘があまり高くなく、前腕がほぼ水平に保たれている姿勢が良いということである。(雁部、56頁)
このように、ピアノの椅子の高さは、前腕から手の甲までのラインがほぼ水平になるくらいを基準としたうえで、演奏者の好みや曲調に応じてある程度の自由が認められると考えられる。しかし、椅子が極端に高すぎたり低すぎたりすると、余分な力が腕や手にかかってしまったり、また逆に、音に力が入らず、表面をなでるような迫力のない音になってしまったりする。そのようなことを考慮しながら、演奏者の出したい音やイメージを最も負担なく表現できる高さを探す必要がある。また、子どもの場合は、ピアノに対して身体が小さすぎるため、鍵盤に対する手や指の位置を上述のように保とうとすると、踵が床につかない。従って、足が垂直に下ろせる高さの足台を用いるべきである。
第三に、鍵盤からの身体の位置と特別な動作や姿勢についてである。井口(1955)によると、通常の姿勢では手が左右に充分のび、また両手を交互に交叉して弾く時も、手や腕部が充分にのびて、交叉出来るような位置をとるようにする。また、ピアノを弾きながら、むやみに身体を動かしたり、くねらせたりするのは良くない。例えば、体で拍子をとったり、鍵盤の上にかぶさるように前屈みになったり、首を振って時々痙攣的な動作をしたりするのは、自分で意識すると否とに拘わらず、あまり見栄えの良いものではない。また体を動かしすぎるために、自分自身が酔ってしまっているように見られるものもあるが、これも感心したものではない。なるべく正しいよい姿勢を保とうと心がけることは大切であるが、これに余り拘泥しすぎ、形式に捉われすぎる必要もない、という。(井口,5頁)
田村(1990)も鍵盤に指を置いて、肘が手の平より低くならずにほんの少し高くなって、手から肘にかけてゆるやかな曲線が保たれている距離を取るのが良いと述べている。(田村,55頁)
また雁部(1999)は、一般に脱力あるいは弛緩(リラクセーション)という言葉がしばしば使われることについて次のように述べる。「すべての筋肉を弛緩してしまえば姿勢を保つこともできないわけですから、ただやみくもに弛緩というのでは意味がありません。また『無駄な力を抜く』と言ってみても、何が無駄で何が無駄でないのかが依然として難しい問題でしょう」(52頁)。そして良い姿勢の条件について、「良い姿勢は対応性と安定性という一見相反する要素を兼ね備えていなければならない」(53頁)と述べ、「対応性とは、演奏上の様々な動作に敏捷に対応できるという意味で、例えば広い音域のアルペジオや和音の速い跳躍でもリズムが停滞することなく左右に手のポジションを移動できるような姿勢」(53頁)が良いという。そして「安定性とは、演奏上の様々な動作に対して身体の重心を崩さないという意味です。例えばフォルテでオクターヴを弾いた直後に、まるで別人のように軽やかな音階を弾く為には、フォルテのオクターヴを弾くことによって身体が揺れたり後ろに仰け反ったりしては困るわけです。」(53頁)と述べている。
このように、私たちは過度に身体を動かしたりくねらせたりすることなく、常に安定した姿勢でピアノの前に座って演奏することが重要である。それによって無駄な動作をはぶき、次のフレーズへの滑らかな対応が可能となるからである。
演奏者は、音楽の連続性を常に意識し、曲の大きな流れを把握したうえで演奏しなければならない。「楽曲イメージ奏法」は全体を物語ることにより、曲全体の構成を見通すことが可能となり、楽曲の連続性を把握できるような表現を可能にする奏法である。この「楽曲イメージ奏法」によって把握された曲全体の構成を、実際の演奏で有効に表現するための技術や奏法を模索することが本論文の重要課題のうちの一つであるが、これに姿勢の問題も大きく関わってくる。姿勢によって左右される安定性と対応性が、イメージされた音楽を過不足なく表現するために重要なのである。本節で述べた、安定性と対応性という一見相反する要素を兼ね備えた姿勢を習得することが、ピアノを弾く上で非常に重要なことであり、ピアノを弾く第一歩として生徒に正しく教えなくてはならない点でもある。

(1)
リエージュ王立音楽院並びにブリュッセル・スコラ・ムジックの教授
第二節 運動に適した手と指の位置と形

ピアノ演奏には、第一節で示した姿勢を保ったうえで、正しい手指の動きが不可欠である。それを怠ると、機械的な音で弾く癖がついたり手を痛めたりする原因にもつながる。また、指はいずれも重要で、それぞれ独立性を与えられなければならない。人間は各々の習慣や遺伝によって、それぞれの指が持つ力も形も違っている。しかし、ピアノを弾く際には、音の均等さや滑らかさなど、色々なことが要求される。したがって、各々の指が音符に示された発想用語や演奏記号を果すためにふさわしい位置を保つように、私たちは努力しなければならない。そこで本節では、鍵盤に対する五指の位置と形、手の状態についてまとめる。
井口(1955)によると、親指を除いた四本の指は、鍵盤の上に垂直に置かれる。分かりやすくいえば、まず握りこぶしを作り、これを軽く開いた時のような状態を作る。この時に、第一関節は反らずに、丸まった形を保って、鍵盤の上に置かれる。したがって、鍵盤の上に並んだ五本の指先が当たる線は、ゆるいカーブを描くようになる。その指先が一直線になるようにと強調する人もいるが、これは実際には無理なことなので、気持ちのうえでそうなるように心がける程度でよい。そして、親指以外の四本の指先は鍵盤に対して垂直に下ろされるのが良いという。(井口,6~7頁)
上述のように指を垂直に下せば、指の先端が鍵盤に接触する面積は、最小限に少なくなる。このように指の腹を用いないのが原則となる。しかし、親指だけはこの規則の例外であるから、指の側面の先で叩くようなかたちになる。この場合も、親指が鍵盤に対し、指の腹にわたって幅広くべたりと寝ないように、と井口は注意する。また、第3関節から指を曲げすぎないことにも注意するべきであると述べる。爪が鍵盤に当たるような形は絶対に避けるべきである。これは指先の力が重心を逸れて、音の効果をまったく失ってしまうからである。(井口,7~8頁)
したがって、ピアノを弾く時、爪はいつも短く切っておくべきである。爪は、鍵盤に対する指の力の抵抗をコントロールする大切なところである。いつも爪を短く、かつ指が垂直に、指の尖端が正しくキーに当たるように練習すれば、指の先は爪先との間に適当な肉がつき、よいタッチができるようになる。その結果、爪がコチコチとキーにぶつかったり、爪のために指の力が抜けたり、指が鍵盤をすべったりすることがなくなり、演奏は円滑に行われるようになる。指導者は生徒が指をそのような形に発達させることができるように、正しい弾き方の指導をしなくてはならない。
田村(1990)は、手の中にみかんを包み込むように手の平を丸めた形が良いという。まず右手中指をソ♯の鍵盤の一番奥の上に落とし、自然に力を抜きながら手前に引いてきて、次に人差し指(ファ♯)とくすり指(ラ♯)を同時に弾き、最後に親指(ミ)と小指(シ)を押す。この位置が、ピアノの鍵盤の上に最も自然に手が置ける位置だという。そして手の平が常に同じ高さを保っていられるように、中指のように長い指は指を丸くして鍵盤からの距離を短くし、小指は短いのでしっかりとたてる。親指も小指と同じ高さになるように立てる。田村は、このようにすると各指には同じ重さが分配され、音の均一さとバランスを生み出すことができるという。(田村,62~63頁)
一方で、ギーゼキングのように、指が垂直になることを嫌う人もいる。この方法は、第三関節を曲げすぎないので、指先と鍵盤の角度は垂直ではなく鋭角になる。すなわち、指先が鍵盤に対して先へのびた平らな手の形になる。井口(1955)によるとこの方法の利点は、第一には、曲げすぎた場合に時として陥りやすい第一関節における力の沮喪、第二には、指が楽に滑らかに動いて運動がしやすいという二点である。(井口,8頁)
このように、指の形に対する意見は指導者の間で分かれており、雁部(1999)は指の形はさまざまでよく、外見的な形ばかりに着目して物事の本質を見失うことに注意を促している。雁部は各々の関節をその可動範囲のどのあたりで使うかということが大事であり、各関節が無理のない角度で使えるような指の形を推奨する。(雁部,41頁)
では、鍵盤に接触する以上のような指の状態を保つ場合、それを保持している手の甲はどのような形をしているのが良いのであろうか。
井口(1955)によると、手の甲は表面を平に保つことが必要であり、普通は小指の方へ傾きがちであるが、そうではなくまっすぐに保ち、むしろ心持ち親指の方へかかるようにすべきであるという。これは、小指、薬指が外側へ寝やすく、手の甲が小指の方へ傾いた形の時、キーを小指の横腹で打つようになりやすいためである。それではもちろんよいタッチは得がたいから、指は立てて、手の甲は横に傾けず、心持ち丸みをつけるようにする。(井口,6頁)
マルウィーヌ・ブレー(Malwine Bree)の『レシェティツキー(※2)奏法の原理』(The Groundwork of the Leschetizky Method)によれば、「五指は、鍵盤の前端を圧えることがよく、そこがタッチの最も軽い箇所だからである。但し余り端を圧えすぎて指がすべり落ちないようにせよ」(井口 1955,10頁より引用)と言っている。また井口も「ピアノが挺子の原理を応用したその構造上からみると、力の経済という点を考えて、鍵盤の中央よりやや手前の方を打つというやり方が妥当なようである」(井口,10頁)と述べている。鍵盤の中央を打つという意見もあるが、その場合鍵盤が重く感じられ、すばやい動きがしづらい。そのため、ブレー、井口ともに鍵盤の中央よりやや手前を打つやり方を推奨している。
最後に、手や指の個人差についての問題をとりあげよう。手の形や大きさの個人差は、ピアノを弾く際に大きく影響する。ヴィリー・バルダス(Willy Bardas、元東京音楽学校教授、シュナーベルの弟子)は著書『ピアノ技術の心理』の中で次のように述べている。

人は指の長さ、その比例がちがつたり、また細長いのや短いものがあるので、それによつて種々の運動の形が定められ、この形の差異に応じて、教師はそれぞれ教授法を発達させたのである。
こうして、時には一つの方法、時には他の方法が正しいものと呼ばれたが、実はどの派にも同じほど著名な代表者が昔も今もいるのである。というのは、こういう人達は運動の形から発して達人の域に入つたのではなくして、他の方面から磨き上げた熟練によつて、それぞれ自分に適した運動の形を正しいものと信ずるに至つたのである。それ故、これらの方法の重要な差異は、手の外面的な運動形に求むべきではない。― 一層重要なことが、筋肉組織の敏活と弾力であり ―又すべての教授法にあてはまるものである。

(井口 1955:12頁より引用)

このように演奏家によってさまざまな意見があり、どの奏法も各々の演奏者によって最良の方法なのであろう。そして指はそれぞれ異なる形の五指があり、さらに各人の天性の形もまちまちなので、どんな方法を取っても構わないというのではなく、それだけに基本的なものを自ら得るための訓練が大切なのである。きちんとした基礎ができていないと、ある時にはできた動作が、次の時にはできないというように、不安定なテクニックしか身につかない。それを避けるために、指導者にはこれらの基本の構え(手の位置、高さ、構え)を意識したレッスンが求められる。

(2)
Leschetizky(フルネーム)(1830~1915) ポーランドのピアノ奏者、教師、作曲家。はじめ父にピアノを習い、11歳のときヴィーンでチェルニーに師事、1852年ペテルブルクでデビューした。1862年アントン・ルビンシテインの要請でペテルブルク音楽院のピアノ科の主任教授となるが、1878年ヴィーンに戻り、音楽協会を組織、定期的に会合や演奏会を催した。彼のメソッドはチェルニーの流れを維持し、その弟子たち(パデレフスキ、エシポフ、フリードマン、ナイ、シュナベール)は、リストの弟子たちのグループとともに、20世紀初頭のヨーロッパのピアノ界を席捲した。
第三節 基礎的な技法の習得法

それでは、第二節で述べた基本の構えを習得した後、どのような練習をしたらよいのであろうか。
まず、体全体がピアノを弾くのに適した状態を作り出す必要がある。そのために田村(1990)は、腕や手を柔らかく動かし、柔軟性を保つための体操を示している。体操とは、腕を柔らかくする運動と腕の力を抜く体操と腕の三つの関節(肩、肘、手首)の柔軟体操の三つである。またそれとは別に手と指の準備運動として、手を開く練習と手のマッサージを奨励している。これは右手の親指と人さし指の間を、左手の親指と他の指でよくもみほぐし、左手の手のひらなどを使って、よく開くようにのばすものである。指と指の間に脂肪がたまると、指がよく開かなくなるので、その部分をマッサージして脂肪がつかないようにするのである。これらの準備体操や手のマッサージを毎日続けることは、ピアノのテクニックの練習をより効果的に行うことを可能にする。
次に五本の指の瞬発力を揃え、音の均一さを導くための練習が必要である。その練習法として森山ゆり子・光子(2000)は、「手掌窩」(森山 2000:37頁より引用)をしっかりさせ、ドからソまでを同時に弾き、次に指のつけ根から順番に指を上げてゆく方法を推奨している。各指はすばやく上げるが、手の甲より高く上げたり、指先を巻きこんで上げたりするのは、手に無駄な緊張を要するので、避けなければならない。指だけを動かせばよいので、前腕や肘は楽にして静止していればよい。この時、肘は横に張り出さないように注意し、顔は自分の指を見つめず、少し顔を上げて、目線だけで静かに下を見れば十分である。次に、第五指から第一指へ向けて同様の練習を行う。これらの練習は、腕や肘に頼らずに指をつけ根からすばやく動かすことを体得するための練習である。これによって、手首や肘を固くせずに、指のつけ根からの動きで指自身の瞬発力を使うということがどういうことかを体得しやすくなる。
また、エーリヒ・ヴォルフ(Anthony E.Wolf)は『ピアノ指導への指針』(1963/1986)の中で、以下の九つの課題をあげている。

1.
五音領域内部と外部での五指の練習、すなわち全音階と半音階
2.
五指の位置の内部と外部での重音奏法の練習
3.
そこから派生する運動の学習を伴うあらゆる習慣的な形による三度、四度、五度の和音のような和音
4.
関連する補足的な学習を伴うさまざまな現象形態による音階
5.
特別な装飾型(トリルなど)
6.
伸張練習
7.
跳躍練習
8.
無音による指の交替と反復
9.
回転運動、振動、側方打鍵

(以上、ヴォルフ 1963/1986:109頁)

これらの課題をこなすためには、多くの練習を何年にもわたりこなさなくてはならない。教師には、そのための指導法が求められる。そこで第二章では、レガートとノン・レガートの弾き方、スタッカートの種類とその弾き方、スケールとアルペッジョについて論じる。

第二章 奏法についての考察

第二章では、ピアノによる音楽表現の大切な要素である奏法について考察する。奏法と音とは無関係ではなく、洗練され優れた演奏家であればあるほど、その奏法も無理がなく合理的なものとなる。ここでは、奏法というテーマが本来かなり個人差を含んだ問題であることを前提とした上で、共通して重要ないくつかのポイントについて述べる。第一節ではレガートとノン・レガートの弾き方、第二節ではスタッカートの種類とその弾き方、第三節ではスケールとアルペッジョについて検討する。

第一節 レガートとノン・レガートの弾き方

レガートとは、音のあいだに切れ目を感じさせないように演奏することで、スラーをつけるか、またはlegatoと記して示される。ピアノを弾くうえで、レガート奏法は非常に重要である。例えば、ヨーゼフ・ホフマン(Josef Hofmann)はレガート奏法を推奨して「本当にピアノの音を出すのはこのレガートで、指のテクニックを発達させるものは、これを措いて他にない」(井口,22頁)と言って強調している。レガートは、次の音を打った瞬間に前の音を打った指を上げることによって得られる。このためには、手や肘部の筋肉を弛緩させて、その力が鍵盤にこもらないように注意する必要がある。この練習法として、井口(1955)は鍵盤の上を指が速く通り過ぎる練習を避けて、一音一音ゆっくりさらうことを推奨している。これは音と音の「ねばりつき」(井口,23頁より引用)や、不明瞭さを除くために有効である。真のレガートは、一つの音を長く保持して次の音が打たれるのを待ち、次に音が移る瞬間に指を敏捷に持ち上げる指の運びが大切である。特に、各音、各指が責任をもって独立した動きをすることが重要である。
井口が言うように、レガートをゆっくりさらうことは非常に有益であると筆者も考える。その時に、各音、各指は独立した動きをするわけだが、この時手の甲でレガートの流れを作ることが重要である。そして、曲によるが、濃厚なメロディーラインなどでは、手の甲で重心の移動を感じながら弾くことが、深い音質でのレガートを可能にするのではないだろうか。
ジョゼフ・レヴィーン(Josef Lhevinne)は『ピアノ奏法の基礎』(1970/1980)の中で、「隣り合う二つの音が、おたがいに双方の音の中に流れ込んでつながるようでなければならない」(50頁)、「レガートのフレーズの音は、みな同じ音質でなければならない」(50頁)と述べ、一つのフレーズを一つの打鍵法で弾くことを提起している。さらに、「普通の教則本や君が現在ひいている曲よりやさしい曲を選んで、耳と手に等量の責任を持たせ、頭を使って注意深く敬虔な気持ちで、一つ一つのフレーズをていねいにくり返しながら練習する計画をたてることは非常に賢明だと思う」(53頁)と述べている。
このように、美しいタッチやきれいなレガートは、不注意で怠慢な練習では何時間練習しても得られないのである。自分の出している音を自分の耳でよく聴き、自分の求める音を模索しながら練習することが芸術的な演奏のためには不可欠なのではないか。指導者は、生徒がその意識を持って練習するように導くことが重要である。
また、幼い子どもの場合は、レガートの練習に注意が必要である。幼少者は指が弱い。そのためにもし、音を出そうとして指の能動的な動作ではなく、手や前腕を振り動かす悪い習慣を初めのうちに身につけてしまうと、直すのが困難になる。基本のレガート演奏ができないうちに、次々に曲を進めて、子どもの能力を越えるようなことを要求すると、それが禍して子どもの柔軟性が失われてしまう恐れがある。このようなことを避けるために、指導者は焦らずに正しく確実にレッスンを進めていくべきである。
ところで、ピアノの勉強を始めた多くの人が必ず一度は弾く練習曲にツェルニーの練習曲がある。これは、高度な技巧を習得するための予備練習として、指の迅速さ、正確さ、音の均等さなどを身につけることを目的とし、さらに音楽的な基礎感覚を養うように書かれている。(『ツェルニー30番練習曲』より)。そこで、以下、各奏法についてツェルニー各練習曲のどの曲で技術の習得と訓練ができるか指摘する。

  • 『ツェルニー30番練習曲』(Vorschule zur Schule der Gelaufigkeit)「熟練教程のための入門」
    1番(3連符)、2番(3連符)、3番(右手)、10番(左右の受け渡し)、
    15番(アルペジオのレガート)、23番、26番。
  • 『ツェルニー40番練習曲』(Die Schule der Gelaufigkeit)「熟練教程」
    15番、24番(左手)、37番、40番。
  • 『ツェルニー50番練習曲』(Kunst der Fingerfertigkeit)「指の熟練のための技術」
    2番、22番、24番(左手)、34番(3度のレガート)、43番、45番。
  • 『ツェルニー60番練習曲』(Schule des Virtuosen)「専門家のための教程」
    15番(和音)、17番(保持音)、20番(保持音)、35番(左右の受け渡し)、43番、 53番(3度の重音)、58番(不規則な重音)

以上がレガートの習得に関わる練習曲である。
次に、レガートの極端なものとして、レガーティッシモ(legatissimo)がある。これは前の音が次の音と少し重なるようにする奏法である。ホフマンは「常に二本の指が同時に動作しなければならない。しかも決して複数にならないことが必要」で「二箇以上の音が切れないように互いに結合され、先に音を出した指は次の指が鍵にふれて音を出すのが耳にきこえる迄、鍵を離れてはならぬ」(井口,23~24頁)と述べている。
レガートの場合、手を低くして、鍵盤の近くに保つ「近接位置」をとっている人も多い。しかし井口は、「ピアノ演奏は、求めている音の範囲、音量、楽器の性能などを充分考慮して、その効果を充分あげ、その性能を充分に発揮させるという点でも高位置を保つ練習が好ましいと信ずる」(24頁)と述べ、一つの音、一つの指の独立性を重んじて、高位置におけるレガート・タッチの練習をすべきだと述べている。この場合、指は十分に上にあげなければならない。
これに対してノン・レガートは、指先だけを使う場合もあるとはいえ、主に手首や腕を使って弾く場合が多い。つまり押しつけて弾くような弾き方である。これはレガートよりも音を少し切り、一つ一つの鍵盤を打つ間に、ごくわずかの間隔を作って弾く弾き方である。レガートの時よりもわずかに早く、指が次に移る瞬間に鍵盤を離れる。その際、音と音、打鍵の間隔は常に同じ間隔で、終始均等な音をもっていなければならない。どんなに速度が速い場合でもこの規則は守らなくてはならず、音が途切れたりボツボツしたりしてはならない。筆者は、指を鍵盤に一つずつ置いていくようなイメージで弾くとよいと考えている。
ただし、ある程度以上の速いパッセージには、この規則が概念的には理解できても実際には適用できない場合もある。淺香淳編『ピアノ技法のすべて』(1981)では、そのような場合には、せいぜい克明にパッセージを弾くだけで手一杯であると述べている。また、練習の仕方として、楽節をできるだけ克明に弾くよう、速いテンポ遅いテンポで、またデュナーミクも正確に注意深く練習すること以外に良い方法はないと述べている。
ノン・レガートを適切に演奏する際にはテンポが大きく影響し、非常にテンポが速い場合はその切れ方が難しくなる。特に、ノン・レガート(※3)、スタッカート(※4)、ポルタメント(※5)は実際の演奏ではよく似ているので、その違いをはっきり区別しなければならない。そのためには、演奏者がはっきりと違いを意識して弾くことが大切である。また、指導者は、生徒にこれらの違いを明確に区別するように注意を促す必要がある。そして、奏法の違いをきちんと教え、生徒が曲の中にそれらの要素をうまく取り込めるように導いていくことが大切である。
最後に、ノン・レガート奏法のための練習曲として、『ツェルニー40番練習曲』の6番、7番があることも付言しておく。

(3)
ノン・レガートnon legato(伊)=レガートでなく。
(4)
スタッカートstaccato(伊)とは演奏記号の一種で、「レガート」に対する語。音と音の間を切って音の間隔をあける奏法、または唱法。そのため、音と音の間に、楽譜に書かれない短い休止が生ずる。スタッカートの効果は楽器によって異なるが、概してスタッカートはその音を強調し、鋭さを増すために用いられる。符頭の上または下に点(・)、または楔形(?)をつけてあらわす。
(5)
ポルタメントportamento(伊)とは、声または擦弦楽器で、一つの音から他の音へ移るとき、跳躍あるいは音階にかかわらず、音を滑らせてなめらかに演奏すること。この奏法は特に指定されず演奏者の自由に任されることも多い。
第二節 スタッカートの種類とその弾き方

第二節ではスタッカートの種類とその弾き方、練習方法について論じる。スタッカートの練習はピアノの勉強にとって非常に重要なことである。ショパンも「スタッカートの練習はピアノの初歩者には一番大事なことだ」(安川加寿子編 ピアノのテクニック:2頁)と述べ、スタッカートの練習を通して、手の重さをなくすこと、全部の指の重さを同じにすること、薬指と小指の弱さをなくすこと、左手を右手と同じように巧みに弾けるようにすることを習得できるとしている。
スタッカートには色々な種類があって、同じスタッカートでも、記号の示し方によって、その奏法は異なる。井口によると、普通にスタッカートと呼ばれているものは、以下の三種類に分けられる。(井口,26頁)

(譜例1)
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この三種のスタッカートはどのようなタッチかというと、譜例1に示すように、(1)の場合は一つの四分音符が八分音符の長さを持ち、残りの半分が八分休符となる。あまり短く切りすぎてはならない。(2)の場合は、より鋭いスタッカートであるので、音と音の間に付点八分休符の間隔がある。また、(3)の場合は、ポルタメントと呼ばれており、四分音符一つは音を出す時に、付点八分音符一つと十六分休符として演奏することになる。
このようにスタッカートはそれぞれ内容の違いを持つわけであるが、これはテンポとも密接な関係があり、それに準じて音の長さが決まる。曲ごとのテンポに応じてスタッカートで鳴らされる音の長さは異なり、さらにその長さは記号によって区別されなければならない。
また、淺香淳編『ピアノ初歩指導の手引Ⅰ』(1981)では、同じ音価でも、表現が異なる場合について次のように言及されている。例えば、連続的に軽く続くスタッカートと緩やかな楽曲中に現れるスタッカートとでは、表現は異なってくる。前者では軽く弾くし、後者は乾いた感じにはならないように弾く。曲の性格に関わりなく、指を鍵盤から離してしまうような一律なスタッカートではなく、「どのようなスタッカートにすべきか」ということを考えながら練習していくことが大切であると述べている。
次に、スタッカートを弾く時の手の使い方について述べる。スタッカートには、腕からの運動によるもの、手首の運動によるもの、指によるものなどがある。井口によると、最も多く用いられるものは手首の運動であり、これは膊部を静止状態にしておいて、手首のみを動かし、鍵盤を打つことによって音を出す弾き方である。すなわち、下膊に対して直角になるほど上向きに手首を折り曲げ、その手のまま手首から下へ手を落とし、指先が鍵盤を打つ。その後、もとの上向きに折り曲げられた状態の位置にすばやく返るようにすることの繰り返しによって弾く奏法である。この時に注意したいのは、鍵盤を手首の弾みだけを使って打ち、その打った勢いではね返るという敏捷な動作を手に力を入れずに行うことである。指先はほとんど動かさずに手首を上げ下げし、その関節を充分に屈折してやるのであって、手に力を加えずに、手首の屈折による自然の重みで弾くように心がけるべきである。(井口、27頁)
前掲書では、スタッカートの練習方法について、二小節から四小節くらいに区切ってやることを勧めている。そして、そのすべての音が均等に鳴らせるよう、注意深く聴きながら練習する。五指全部を用いて弾く時、親指だけが重くなりすぎないように注意したい。
以上、スタッカートについてその種類、弾き方、練習方法の三点について述べてきた。スタッカートはあらゆる曲に使用されており、その曲の魅力を高めている。最適なアーティキュレーションの選択は、与えられた曲を音楽的にどのように理解するかによって決まってくる。曲に対峙する時、演奏者はさまざまなスタッカートの奏法の中から、その曲に相応する特色を持つスタッカートを選択し、それを全体の流れの中で維持して弾く必要がある。そのためにも、スタッカートについての知識と技術を学び、奏法を習得することが重要である。

第三節 スケールとアルペッジョについて

『新訂 標準音楽辞典』(1991)によると、スケールとは音階のことで、音楽において用いられる高音素材を高さの順に配列したものである。ブゾーニ(Busoni(※6))は『ピアノのテクニック』(COURS GRADUE DE MECANISME ERNEST VAN de VELDE)(1968)の中で、「テクニックの円滑さを得るためには、音階の勉強ほど役に立つものはありません。この音階の練習はピアニストにとって欠くべからざる毎日の体操です。」(33頁)と述べている。また、アントン・ルービンシュタイン(Anton Rubinstein(※7))も、「音階の練習の目的は、指の素質を矯正するためです。おのおのの指はそれぞれ癖があって、強かったり、弱かったり、長かったり、短かったりします。それは音階の練習によって、音の完全な均等さを得ることができるのです。」(前掲書、35頁)と述べている。
スケールの特徴は、第一指が他の指の下をくぐって進むことである。この時、五本の指の中では特に強い第一指が、他の指による音の響きを壊さないように、美しくつないでゆかねばならない。また、腕や肩がこわばらずに、手首を水平に保って弾いていくように注意すべきである。森山ゆり子・光子は『ピアノ演奏の秘訣』(2000)の中で、スケールの上行形(右手)について、手首の上下や左右へのずらしで演奏を補助せずに、純粋に第一指の動きのみで行うこと、第一指をくぐらせようとして肘から手を上げないことの二点を主張している。(47~48頁)
譜例2は、森山が提案している、第一指をすばやく次のキーに触れさせる練習である。第一指によるF音はキーに指を乗せるだけで打鍵せず、手首の上下動も使わない。音が上行する方向性に従ってすばやく自然に第一指がF音のキーに触れるのに慣れることを目的として練習を行う。

(譜例2)
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(森山 ピアノ演奏の秘訣:48頁)

第一指の動かし方がわかったら、次にスケールの上行形を弾く(譜例3)。一音ずつ手首を上下させずに、手の甲が水平方向に動き、指の交換によって指先でキーの底を一つずつ捉える感触を得るように心がける。森山は、豊かな響きで虹色の階段を登るようなイメージをもって内的に歌うこと、妙なところにアクセントがつかずにきれいにレガートに響いているかを、顔を上げ、音をきちんと耳でキャッチしながら弾くことを忠告している。(森山 ピアノ演奏の秘訣:48頁)

(譜例3)
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(森山 ピアノ演奏の秘訣:48頁)

次にスケールの下行形(右手)について、手首を上行形の時よりも高めにキープすることを主張している。譜例4にしたがって説明すると、音階が下行に向かうH音(?印の音)の第四指の打鍵の時、手首を少々引き上げて高めにし、この時の高さをキープしながら指を順次動かして次の音へと進む。このように、右手でのスケール演奏は上行より下行を高めの手首に保つことで、音列としての「まとまり」がでてくるのである。そしてさらに、スケールを音楽的に音列としてのまとまりをもって弾くには、第一章で述べた足裏での体重の移動によって、呼吸とタッチを一体化させることが重要である。(森山 ピアノ演奏の秘訣:48~49頁

(譜例4)
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(森山 ピアノ演奏の秘訣:48頁)

また、レヴィーン(1970/1980)は、長調、短調のすべての調性と、三和音・七度の和音に関する知識を熟知することが非常に重大であり、そのために全調性のスケールとアルペッジョを完全に弾けるようになることを強く勧めている。そして、スケールの練習の本当の価値は、正しい指使いを身につけることで、どの調性の曲を弾いても自動的に正しい指使いを使えるようにすること。そのための方法として、スケールを主音からばかりでなく、途中の音から始めて、順番に一通り練習することを提案している。

また、ツェルニー各練習曲では以下の曲がスケールの習得と訓練に適している。

  • 『ツェルニー30番練習曲』
    6番(右手のハ長調音階)、8番(右手の音階)、9番(左手の音階)、14番、
    18番(変ホ長調)、21番(両手の半音階)、23番(3度、6度、10度でかさねられた音階)、29番(音階を両手にわけて弾く練習)、30番(両手の音階)
  • 『ツェルニー40番練習曲』
    1番(ハ長調音階)、2番(ヘ長調音階)、5番(両手の音階)、8番(ハ長調音階)、
    9番(オクターブの音階)、15番(両手の半音階練習)、24番(右手の音階)、
    25番(ユニゾンの音階)、29番(3度の平行音階)、31番(両手半音階)、
    33番(6連譜による右手音階)、36番(反進行する全音階、半音階)
  • 『ツェルニー50番練習曲』
    1番、5番(3度あるいは6度の平行進行による音階)、17番(急速な短音階)、
    23番(左手の音階)
  • 『ツェルニー60番練習曲』
    1番、4番、13番、19番(半音階)、60番(重音による半音階)

以上がスケール習得に関わる練習曲であるので、練習時に参考とすると良いと考える。
このようにスケールの練習は、音楽家として望ましい基礎を備えるためだけでなく、無意識に合理的な指使いで弾けるようになることや、初見の速度を早めることにも役立つ。したがって、私たちはスケールのようなメカニズムの練習時間を充分に取り、常に、メカニズムと曲の練習の目的をはっきり分けて取り上げ、両者の間で時間をきちんと分けて練習することが必要である。
続いて、アルペッジョarpeggio(伊)について考察する。『新訂 標準音楽辞典』(1991)によると、アルペッジョとは和音構成音が同時ではなく順次に弾かれる音。分散和音ともいう。現在は譜例4のような記号で示される。その奏法はふつう最低の音から順に鳴らし、通例その和音が置かれている拍から始める。しかしながら、アルペッジョの最高音が旋律を担っている時は、その音は遅れることが許されず、拍と一致しなければならない。特にピアノ演奏で左手のみにアルペッジョがある時は、そうである。譜例5のように、両手で同時にひくアルペッジョと左手から右手へ渡される長いアルペッジョは区別されなければならない。

(譜例5)
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バッハやヘンデルの時代の音楽には、連続した和音の冒頭にarpeggioと書かれていることがある。この場合、奏者は自由に和音を分散し数回上下させ、また拡大させ、奏者が適切と判断したら、和音外音をも挿入した(譜例6)。これらの和音は拍にしたがって記されているが、それは読みやすさを狙っただけで、アルペジオの長さは奏者の意志で決められる。

(譜例6)
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アルペッジョも基本的にはスケールと同じように上行、下行とも手の甲や手首を水平面上で移動させる。そして、指をつけ根から動かすように注意したい。練習方法として、井口はハ長調の三和音を例にとって、以下の楽譜を示している。(井口,46頁)

(譜例7)
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これら三つの譜例では、指の動かし方や親指のくぐり方は同じだが、各音の間の鍵盤の幅が異なる。指をくぐらせることに重点を置き過ぎるあまり、他の部分をむやみに動かさないように注意し、腕の弛緩を意識して練習したい。
次に三和音のアルペッジョは、二音、四音ずつアクセントをつけて練習する。井口はこの練習法について、音階の場合と同様で、音質の均等、力の平衡に役立つ良い方法であると述べている。また、片手の練習がよくできたら、両手同時の練習に移り、反進行やスタッカート、強弱をつけて練習することを勧めている。さらに、完璧にするための予備練習として、以下の方法を挙げているので参考にしたい。(井口,48頁)

(譜例8)
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また、ツェルニー各練習曲では以下の曲がアルペッジョの習得と訓練に適している。

  • 『ツェルニー30番練習曲』
    4番(右手)、7番(両手)、15番、25番
  • 『ツェルニー40番練習曲』
    3番、8番、10番(左手)、12番(両手)、19番、24番、30番(両手)、32番(両手)、
    36番、
    39番(右手)、40番
  • 『ツェルニー50番練習曲』
    2番、6番、23番、28番、31番、45番、46番、47番、50番
  • 『ツェルニー60番練習曲』
    6番、12番、23番、27番、35番、44番、52番

このように、アルペッジョはピアノ演奏における非常に重要な要素であり、ツェルニーの練習曲においても、多くの曲がアルペッジョ習得のために書かれている。初歩の段階から、手の甲や手首を水平面上で動かすこと、第一指(親指)をすばやく移動させること、どんなに指の間を広げても掌の支えを失わないように注意して練習したい。常に均等さを保って音を出せるようにすること、手首や腕の弛緩にも注意が必要である。

(6)
ドイツ系イタリア人の作曲家、ピアノ奏者。ピアノの巨匠演奏家として輝かしい経歴を送っただけに、ピアノを活用した作曲を多く残しているが、オペラや管弦楽曲や声楽曲も作曲した。現代においては、過去の大作曲家のピアノ曲の校訂と作曲の編曲に功績が認められている。これは、経験と美学的研究から行われたもので、後世の人に役立つところが多い。とくにバッハとベートーヴェン作品の校訂には定評がある。また、音楽美学と理論方面でも、新しい説をたて、重要な著作『新音楽美学試論』(1907)を残した。
(7)
ロシアのピアノ奏者、作曲家、指揮者。ロシア音楽の水準を専門的な高さに引きあげ、ロシア音楽のアカデミズムを確立した音楽家として、その功績は高く評価されている。作曲家としてはドイツ古典派から初期ロマン派音楽の影響を強く示し、折衷的なものが多かったので、国民楽派からは厳しく批判された。
第三章 ペダルの技法
第一節 ダンパー・ペダルの役割

ここまで、ピアノを弾く時の座り方や姿勢、腕の使い方、奏法などについて述べてきた。続いて第三章では、ペダルの役割と踏み方についてまとめる。
ジョーゼフ・バノウェツ(Joseph Banowetz)の『ピアノ・ペダルの技法』(THE PIANIST'S GUIDE TO PEDALING(1989)によると、ダンパー・ペダル(右ペダル)の役割は二つある。一つ目は、指だけで継続して保続できない音を接続したり長く響かすこと。二つ目は、それらの音に音色的な特質を与えることである。(22頁)
雁部(1999)も、ペダルには「音を持続させる働き」と「音色を変える働き」があると述べる。(29頁)ただし、ペダルは自分の音の響きを聴きながら用いるべきであり、演奏会場の音響条件によってペダリングを変える必要がある。そのために、どのように踏むとどのような効果が生じるのかという因果関係を充分に把握しておくことを勧めている。(雁部,29頁)
井口(1955)もまた、ペダルは指が打ち出した音に、色彩をそえ、潤いやバラエティを与えたり、ハーモニーの流れに優美さ、流麗さ、又は音を盛り上げたりするのが目的である。従って、手や指のタッチの弱点をカバーするためにペダルを用いることはすべきではないと述べる。(91頁)
このように、ペダルには「音を持続させる働き」と「音色を変える働き」があり、その効果は実に奥が深く、豊かな可能性を秘めている。しかしK.U.シュナーベル(Karl Ulrich Schnabel(※8))の『増補版 ペダルの現代技法』(1980)によれば、「自分自身どうペダルを使っているか分かっていないほどで、......あて推量や直感、運に頼っているにすぎない」(9頁)と批判している。そこで本章では、以下、シュナーベルの『増補版 ペダルの現代技法』(1980)とローゼンブラム(Sandra P.Rosenblum)のPerformance Practices in Classic Piano Music(1989)を中心に、いくつかの提言をまとめながら、さまざまなペダル・テクニックについて述べることにする。

(8)
オーストリアのピアニスト及び作曲家。アルトゥール・シュナーベルの息子。レオニード・クロイツァーの門弟。1925年デビュー。ヨーロッパ及びアメリカを巡演した。
第二節 さまざまなペダル・テクニック
(1)「踏む」と「放す」によるペダルの状態

まず、次の音が指では届かないために持続の不可能な音符を、ペダルによって保たせる機能から述べる。これはシュナーベル(1980)によると「分離」、「まったく休止のない接続」、「極端なレガート」の三つの手法がある。まず「分離」においては、ペダルは音が弾かれる前に放さなければならない。次に「まったく休止のない接続」は、ペダルは次の和音が弾かれると同時に放されなければならない。最後に「極端なレガート」は、ペダルは次の和音が弾かれた直後に放さなければならないというテクニックである。(シュナーベル,10頁)
シュナーベルは、ペダルを放してふたたび踏むことを、ペダル・チェンジ(以下、P.C.と略記)と呼ぶ。音を持続させる場合、柔らかく弾く時と中音部または高音部でのP.C.は、非常に速く為さなければならない。低音部で弾く時、またはfffの場合はやや遅めに取り替えることが必要である。そうしなければ、ダンパーが弦の振動を止められないことがあるからである。(シュナーベル,11頁)
次に、非常に速いテンポの曲のパッセージで、手と一致するように試みないで、ペダルをできるだけ速やかに踏んで放すのを繰り返すペダリングを、ヴァイブレーティング・ペダル(以下、V.P.と略記)という。これは、ペダルなしで演奏することによる、細く乾いた音を防ぐことができる。この場合、ペダルは上下に大きく動かすと過激で騒々しくなってしまうので、ダンパーが弦に接触してふたたび離れ、弦が自由に振動できる程度にまであげるのが大切である。このために必要なのは、ペダル操作の可能範囲のわずかな部分であって、残りの運動は「遊び」で、音には影響しない。(シュナーベル,13頁)
また、基本的なペダルの踏み方として、打鍵と同時に踏んで音に大なり小なりアクセントをつける効果をもつ〈アクセント・ペダル〉、打鍵の一瞬にはペダルを上げて、音が鳴り出したら踏んでその響きを繋ぐ効果をもつ〈シンコペーション・ペダル〉などがある。(森山,81頁)

(2)「中間位置」に保たれたペダルの状態

(1)では、単に二つの一般的なペダルの状態、「踏む」と「放す」のみを論じたが、ペダルは「中間位置」においても保つことができる。この場合には、ダンパーは弦にある程度の振動は与えるが、弦が自由に振動するのは防ぐ。それゆえ、キーが押されている間は充実した音が聞かれ、キーを放すと、音量は減じるが幾らかの響きは残る。この余韻の量はダンパーの位置による。いかなる余韻も、ダンパーが弦に触れていればほとんど残らない。一方ダンパーが完全に弦から離れていれば、打鍵時とほぼ同じ音量が残る。これから述べるすべての残響の程度は、この二つの位置の間でペダルを動かすことで得られる。
「中間位置」ペダルの使用によって、音質を良くし、その変化を大にするというような、大きな利益を得られる例は多い。シュナーベル(1980)によると、例えば一音以上のペダル保持では濁る結果になってしまう。一方、V.P.では過度の重さをきたし不平坦を生じてしまう。したがって、ペダルなしでは乾いた鈍い響きになってしまうパッセージの場合、「中間位置」が役立つのである。もちろんこの性質のパッセージには、音階を弾いたり和声が変わったりしても、いささかの濁りも生じないほど余韻はわずかでなくてはならない。
この最小限の余韻を「1/4ペダル」と呼ぶ。この効果は音響を明るくすることであり、P.C.を必要としない。これはpppmfのすべての中速および高速の音階と非和声音を多く含み、和声固有音にとらわれないパッセージに使用できる。ここで注意しなければならないことは、1/4ペダルが一定のペダル位置を指示しているわけではない、ということである。この一定量の余韻を生むペダルの位置はピアノによって変わるし、同じピアノでも、その時の音響の条件によって変わるのである。
1/4ペダルの状態からダンパーをごくわずかにあげることによって余韻の量が増すと、「1/2ペダル」と呼ばれる効果が得られる。1/2ペダルは、この状態のまま音階を弾いたり、和声が変わったりすると濁りを生じるが、キーが放された後にも音が残っているような印象は与えない。より多くの振動と反響を許容するので、響きに対しては1/4ペダルよりもさらに大きな助けとなる。1/2ペダル使用の際のP.C.は、1/2ペダルが放されて即時に新しい1/2ペダルがその直後に入らなければならない。また、1/2ペダルは、スタッカートがペダルなしで奏される時にしばしば生ずる誇張された短さと乾いた不愉快な感じを少なくする効果がある。したがって、1/2ペダルはスタッカート音符の時に放す必要はない。1/2ペダルを踏みながらでも、スタッカートの性格は完全に保持されうるのである。
ダンパーをもう少し余計にあげることによって余韻の量をさらに増すと、普通のフル・ペダル(以下、F.P.と略記)を使用した時とほとんど同様の効果が得られる。この時、キーを放してからも音が持続されている印象を与えなければならないが、音響の透明さの点ではF.P.と異ならなければならない。この効果を3/4ペダルと呼ぶ。3/4ペダルは、音響が透明でかつ良く反響するので、非常に輝かしい響きを作ることができる。3/4ペダルが特に有効なのは、一つあるいはいくつかの音を持続するよう指示されているのに、それと同時に音階その他のパッセージを弾かなければならないため、それを指で持続するのが不可能なすべての場合である。
これまでに述べてきた中間位置ペダル(1/4P.、1/2P.、3/4P.等)の用語は、特定のペダルやダンパーの位置を示すのではなく、キーを放した時の残響の量を示すものである。ここで各々のペダルの効果が正確に出せているかどうかを判断する方法を以下に述べる。
シュナーベル(1980)によると、1/4P.の効果を確かめる方法は、音階か異なる和声の連続を弾くことである。最後の音が弾かれるまで、そこには濁りがあってはならない。しかしペダルなしで同じパッセージをもう一度弾いてみると、そこには著しい音響の変化があるはずである。1/2P.を確かめるには、単一のスタッカート音符または和音群を弾く。それらはスタッカートに聞こえるはずだが、音階や異なった和声の連続を弾くと、幾らかの濁りがあるはずである。3/4P.の場合は、和音を弾いてからキーを放す。すると和音が保たれているように聞こえる。次にF.P.を使って同じ和音を弾いて放すと、音響に明らかな相違が見られるはずである。(シュナーベル,40頁)
ピアノは楽器の具合や演奏会場の響きによってペダリングの調節が必要であり、いつも同じように踏めるように練習を重ねるというわけにはいかない。しかしペダリングは、盲目的に楽譜の記号に従うのではなく、楽曲の和声的構造を正しく把握した上で実際にさまざまな方法を試み、微妙な響きの違いを自分で味わってみることが何よりも大切である。練習を通して耳と足のつながりを訓練し、自分自身のペダルへの感覚を磨くことが必要なのである。
ペダル・テクニックに関して助言を与える場合、指導者は、ただ盲目的に楽譜のペダル記号に従うべきではないということを教えるべきであろう。上に述べたような多くのペダル・テクニックの存在と効果、練習方法を教え、微妙な響きの違いを自分自身の聴覚によって判断するのだという意識をもたせることが指導者の役割である。
以下にローゼブルム(Sandra P.Rosenblum)のPerformance Practices in Classic Piano Music(1989)を中心に、主なペダル技法をまとめる。(Rosenblum,102~141頁)

① ロング・ペダル
ピアノの音は人の声やフルート、バイオリンなどにくらべて、そのまま音量を長く保てない。打鍵の瞬間から減量するのが宿命である。そこで長くその音を伸ばしたい要求から、このペダルが生じたのである。言い換えれば、鍵盤を指で押すだけでは保つことができない音を、延長させて響かせるのに良いペダルであり、ベートーベンの後期以後の全作品において、音響的に重要な基礎となった。最終の和音を延長し、強調したい時にほとんど常識的に用いられる。

② アクセント・ペダル
拍子本来の強拍がより誇張されたり、弱拍である部分にアクセントがついたりしている場合、特にその音、または和音を際立たせたい時に用いるペダルである。拍頭に軽く踏み、きわめて短い瞬間であるが、さまざまな変化をつけることができ、香辛料のような役目を果たす。ただし足を強く踏み鳴らして耳障りな音を出さないように注意しなくてはならない。

③ シンコペーション・ペダル
シンコペーション・ペダルはレガート・ペダル、まれに後続ペダルとも称される。指で結ぶことのできない、または結びづらい音を結びつけるための重要な用法である。最も一般的に使用されるペダル技術で、打鍵後すぐにペダルを踏み、二番目の和音を弾いてからペダルを上げる。ペダルのこのような使用は完璧なレガートを可能にするが、よく反応するダンパーの構造を必要とする。
また、ジョーゼフ・バノウェツ(Joseph Banowetz)は『ピアノ・ペダルの技法』(THE PIANIST'S GUIDE TO PEDALING)(1989)の中で、前から響いている和声音を残さずに、かつ響の継続に穴を開けないようなペダル効果が必要な場合の手順を次のように挙げている。

1.
まず和音を弾いてペダルでこの最初の響きを保持する。
2.
二番目の和音を弾いてからペダルを上げる。
3.
新しい二番目の響きを注意深く聴き、新しい音がハンマーで打弦された瞬間にダンパーが最初の響きを消すようにする。
4.
指で二番目の響きを保持している間にペダルを再び踏む。そして注意深く新しい響きだけが聴こえて、古い最初の響きが全く聴こえないようにペダルの交換ができたかどうかを確認する。
5.
この手順を各々新しい和声の響きが継続されるたびに繰り返す。

(以上、バノウェツ 1989:27頁)

④リズム・ペダル
ペダルを使用した音は、倍音の関係で増量される。この原理を応用して、強拍でペダルを踏み、弱拍で放すとリズミカルに聞こえる。この反対はいけない。これをリズム・ペダルという。リズム自身が楽曲の特性になっている舞曲などに適している。
リズムがいっそう強調されるので、古典派舞曲では、メヌエット、ガボット、ジークなどに適し、ロマン派舞曲では、ワルツ、マズルカ、ポロネーズなどに向いている。以下に具体的な例を示す。

1. ワルツのペダルの踏み方

(譜例9)
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(イ)のように一拍目で踏み二拍目で放すのが原則
(ロ)fの場合、またはcresc.したい時に二拍目まで踏みつづけ、三拍目であげる。
(譜例10)
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2. ポロネーズのペダルの踏み方

(譜例11)
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(譜例12)
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3. マズルカのペダルの踏み方

(譜例13)
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アクセントが三拍目にくるのが原則だが、一拍目にあるのも、また、二拍目にあるのも多種多様である。以下に三つの譜例を示す。

(譜例14)
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三拍目にアクセントがある。
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三拍目の他に、一拍目にもアクセントがある。
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二拍目にアクセントがある。
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(安田 1978:24~26頁)

⑤ヴィブラート・ペダル
普通の方法では和声の混濁を避けられない音階などにおいて、足を震わすようにして頻繁にペダルを踏みかえる技術をヴィブラート・ペダルと呼ぶ。この場合、ペダルのストロークを完全に上げ下げする必要はなく、1/2ペダルと併用するのが一般的である。足の裏をペダルにぴったりとくっつけて、足の雑音を出さないように注意する。1/2ペダルで響きの一部を消し、残りの響きを残すことで羽ばたくような響きのざわめきを表現できる。
以上、さまざまなペダル・テクニックについて述べてきたが、ペダルは音色のみならず、音質も変化させることが可能であることがわかった。その結果、よりいっそう音楽的な雰囲気を高め、演奏効果を倍加できる。このように、ペダルはよりよい演奏のために不可欠なものであり、上にまとめたような種々の用法を明確に理解したうえで、曲に適した使用を追及すべきである。

第三節 シフト・ペダルの役割と踏み方

ペダルには三種あるが、ここまでは一番右のダンパー・ペダルについて述べてきた。このペダルが演奏に美しい色彩と潤いを与えているのは上で述べたとおりである。続いて第三節では、シフト・ペダルと呼ばれる、中央ペダルと左ペダルについて、その用い方、効果を述べる。

(1)中央ペダル

グランド・ピアノの場合、中央ペダルは一般に「ソステヌート・ペダル」と称されているが、「調性ペダル」「保続ペダル」「保音ペダル」または「オルガン・ポイント・ペダル」などとも称されている。二つの左右ペダルの中央に属するもので、踏んだ時の音だけが残るものである。厳密にいえば、それを踏むとその時押した鍵盤の音の一つ、または一組の和音だけを保つ効果を持ったもので、その後に押した音には作用しない。グランド・ピアノのソステヌート・ペダルの構造は、ダンパー・ベースにそって取り付けてある長いバー(棒)によって作動する。
バノウェツ(1989)は中央ペダルが調子良く機能するために、以下の三つの条件が満たされることが必要だと述べている。

1.
一音符、または複数の音符をソステヌート・ペダルを用いて演奏する場合、ペダルが完全に踏み込まれるまでダンパーを保持していなければならない。
2.
右ペダルは中央ペダルで特定の音、または和音を保持する時に、同時に作動すべきではない。もしそうした場合には、すべてのダンパーがソステヌート・ペダルで受け止められてしまうからである。しかし、一度ソステヌート・ペダルを踏んで特定の音だけ残るようにした後では、自由にダンパー・ペダルを使用することができる。またソステヌート・ペダルで受け止められて保持されている単音、または複数の音や和音は、右ペダルがどのように使用されても何の影響も直接受けることなく、その響きは保持され続ける。
3.
ソステヌート・ペダルは、使用中完全に下まで踏み込んでいなくてはならない。ほんのわずかな解除でも、瞬間的に不必要な他の音の響を受け止めて保持してしまうからである。

(バノウェツ,106~107頁)

スタインウェイが1874年に中央ペダルの特許権を獲得して以後、数十年間欧州大陸ではこのペダル機構が一般に使用されなかった。従ってこのペダルの使用表示はほとんど見当たらず、楽譜に記載されるようになったのは、20世紀に入ってからのことである。バノウェツは、演奏者はこのペダルをいつ、どこで、どのように正しく使用すべきかを決定しなくてはならず、作曲家、または編集者がペダル使用表示を記入している場合でさえ、いくつかの手直し、修正が必要になる場合が多いと述べる。そしてその方法として、まずダンパー・ペダルのみを使用して弾いてみることを推奨している。そして次に中央ペダルを使用して、それが作曲家のオリジナルな音楽上の工夫を歪めてしまうことなく、明確なものとするような効果を上げて、さらにそれをより深く、演奏として具体化していくように働いていることを確認することを勧めている。(バノウェツ,107~108頁)
また、バーバー、バルトーク、カーター、コープランド、ハリス、そしてセッションといった20世紀の作曲家達は、作品の中で中央ペダルの使用に際して、特別な表示を用いている。このような場合には、他のペダル使用法の応用を演奏に際して考えないほうが良いと、バノウェツ(1989)は述べている。(108頁)
しかし、井口(1955)は「ある音をのばす為にこれを使った際、他の音は切れても、同じ音をたたいた時に又その音のみが強く残るので、音の調和をこわすような結果も生じ易いので、余り考慮に入れて弾く必要はないのではないかと思う。」(98頁)と述べている。
最後に、現在のアップライト・ピアノの中央のペダルについて述べる。このペダルは「保音ペダル」とは全く無関係でその仕掛けも異なる。これを踏むと最弱音にしぼることが可能で、音量を下げる効果のみがある。

(2)左ペダル

これは一般に「ソフト・ペダル」と呼ばれているが、「レフト・ペダル」「変位ペダル」「u.c.」(ウナ・コルダ)または「シフティング・ペダル」などとも称されている。このペダルの効用は音を弱くすることと音色の変化にあり、響きを減じ、また柔らかくするように作用するものである。普通このペダルを踏む時は、ウナ・コルダ(una corda(伊)=一本の弦)あるいはドゥエ・コルデ(due corde(伊)=二本の弦)と書かれているところで用いて、そしてトレ・コルデ(tre corde(伊)=三本弦)またはトゥッテ・コルデ(tutte corde(伊)=全部の弦)というところで放す。この指示法はグランド・ピアノでは全体に鍵盤が少しずれて三本の弦のあるところが、一本しか触れなくなるような仕組みになっているからである。
ところで、ソフト・ペダルの使い方については、二つの意見に分かれて論争が起こっている。一方は、ソフト・ペダルを踏むともっぱら音の強さの減少を起こす作用をするというものである。もう一方は、その使用は音響の性格を変えると提唱している。前の意見の主唱者は、弱い響きを作り出さなければならない時には、いずれの個所でもソフト・ペダルを用いてよいと説いている。後の考えの主唱者は、ただ特別の音質が望まれるところだけその利用を認める。
シュナーベル(1980)は、大変弱く演奏する場合はソフト・ペダルによって音色の質が変化しないとの印象を持っているため、ソフト・ペダルをppもしくはpppの記号が所定のすべての箇所に使用するように勧めている。(63頁)それに対して井口(1955)は、手で十分に小さな、柔らかい音を出す訓練をすることが大切で、むやみにこのペダルの助けをかりて響きを小さくすることは良くないとしている。ソフト・ペダルは弱くするというよりむしろ音色を変えたり、バラエティを求める時などに用いるべきであると主張し、mfやfと記されている所でも音色の面白みや変化に富んだ良い音の組み合わせのためには使用していいと述べている。中央のペダルを用いることによって生ずる効果は、音色の面白味や変化に富んだよい音の組み合わせが生まれるからである。(98頁)
シュナーベルや井口に対して、安田信子は『ピアノ・ペダルの踏み方』(1981)の中で次のように述べている。

踏み方に規則はありませんが、深くまたは浅くと足加減し、右のペダルの踏み代を参考にすべきです。使用に際しては、音量を下げたいピアニシモの部分だけでなく、音量を変化させたいメッツァ・ヴォーチェ(Mezza Voce)や、ソット・ヴォーチェ(Sotto Voce)等と記された部分に必要な場合もあり何小節踏み続けてもよく、踏み替えません。遠景描写に最適であり、神秘的な効果を求める所とか、香りや匂いが立ち込める雰囲気に似合います。長時間踏みっぱなしに使用すると、ハンマーの溝がすり減って音が横ゆれすることがあり、変則的な左ペダルの多用はいけません。......左のペダルを踏み続けながら、右のペダルを使用して差し支えありません。左ペダルだけでは音が枯れてしまうので、併用することも多いのです。両足同時にペダルを使用する場合は2Ped.と印刷されている楽譜もあります。ドビュッシーやラベルではしばしば見受けられます。(安田 1981:49~50頁)

ソフト・ペダルについて、シュナーベルが音量の効果、井口が音質の変化を主張しているのに対して、安田は両方の効果を主張しているのが特徴である。このようにソフト・ペダルの使用には、異なる意見が存在する。よって、これは演奏者が自らの楽曲の理解の上に立って為すべきものである。指導する側はソフト・ペダルについての充分な知識を与えたうえで、最終的な判断は演奏者に任せるべきだと筆者は考える。

結語

本稿では、楽器本来の目的である「音楽表現」のためのピアノ演奏を目指すために、必要な技術の習得とその教授法の確立という視点に立ち、さまざまなテクニック、タッチやペダリングなどの演奏法の習得技法について論じてきた。これまで述べてきたように、偉大なる先人たちが各々の経験や考えに基づいた指導法・演奏法を我々のために書き残してくれている。
ピアノ指導者の一員である筆者にとって、自分が学生時代に注意を受けた部分だけにとらわれてしまわず、ピアノ指導はどうあるべきかといった全体の見通しのうえに立っての指導が必要であろう。本稿を通して学んだ指導法・演奏法を知識として自分の中に取り込み、今後はそれを生かして、広い見通しを持った指導を心がけていきたい。
しかし、ピアノ演奏は音楽であり、音楽は、言葉ではどんなに苦労してみても言い尽くせるものではない。指導にしても、人間が一人ひとり異なった身体的特徴をもち、能力も性格も違う存在である以上、一概にただ一つの方法を正しいピアノ指導法と言うことはできない。したがって、指導は縛られ、動かせないカリキュラムであってはならず、指導者は各々の生徒の人間性を尊重し、その時々に応じた指導を行う必要がある。
また、指導は常に音楽性に導かれたテクニックの習得でなければならない。すなわち、「このように歌いたいからこのように弾く」というのが正しく、その逆の順序であってはならないのである。ともすれば、ピアノ指導は技術の習得に重点を置きすぎるあまり、いつの間にかテクニックを重視した音楽不在の教育になりがちである。常に、楽譜に書かれた音符から音楽を感じ取る過程を経て、感じ取った音楽を求めるという立場に立っての指導・演奏を忘れてはならない。
筆者は、卒業論文で「楽曲イメージ奏法」が曲のイメージの確立や認識に有益であるということを既に確認し、さらに本稿でそのイメージを演奏に生かすためには、姿勢や奏法、ペダリングを個々の能力や身体的特徴に即して習得するべきであるという知見を見出した。「楽曲イメージ奏法」で確立した、曲に対するイメージや音楽性を認識したうえで、本稿を通して考察した指導法・演奏法を礎とし、目の前にいる生徒が演奏するピアノに即しての指導を心がけていきたいと思う。


引用文献及び参考文献
淺香淳編(1991) 『新訂 標準音楽辞典』 音楽之友社.
淺香淳編(1991) 『ピアノ初歩指導の手引Ⅰ』 音楽之友社.
淺香淳編(1991) 『ピアノ初歩指導の手引Ⅱ』 音楽之友社.
淺香淳編(1991) 『ピアノ実技指導法』 音楽之友社.
バノウェツ,ジョーゼフ(1989) 『ピアノ・ペダルの技法』 (The Pianist's Guide to Pedaling, 1985) 岡本秩典訳、音楽之友社.
雁部一浩(1999) 『ピアノの知識と演奏―音楽的な表現のために』 音楽之友社.
井口基成(1955) 『ピアノ奏法の段階』 音楽之友社.
井上直幸(1998) 『ピアノ奏法―音楽を表現する喜び』 春秋社.
レヴィーン,ジョゼフ(1980) 『ピアノ奏法の基礎』 (Basic Principles in Pianoforte Playing, 1970) 中村菊子訳、全音楽譜出版社.
森山ゆり子・森山光子(2000) 『ピアノ演奏の秘訣―音楽的技法のエッセンス』 音楽之友社.
Rosenblum, Sandra P.(1989) Performance Practices in Classic Piano Music,Indiana University Press.
シュナーベル,K.U.(1980) 『ペダルの現代技法』 青木和子訳、音楽之友社.
鷹羽綾子(2004) 『ピアノの解釈・演奏における物語化の意義と可能性―武本京子の『楽曲イメージ奏法』を中心に』 奈良女子大学文学部人間行動科学科教育文化情報学専攻音楽文化分野平成15年度卒業論文.
田村安佐子(1990) 『ピアニストへの基礎』 筑摩書房.
中田京子(1995) 『楽曲イメージ奏法』 ドレミ楽譜出版社.
ヴォルフ,エーリヒ(1986) 『ピアノ指導への指針』 (Der Klavierunterricht Ein Leitfaden durch die Unterrichtspraxis,1963) 佐藤峰雄・小山郁之進訳、音楽之友社.
全音楽譜出版社出版部編 『ツェルニー 30番練習曲』 全音楽譜出版社.

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